エレバンを出発し、飛行機に乗るためにジョージアに戻ることになりましたが、その途中でセヴァン修道院を見学しました。
セヴァン修道院は、セヴァン湖に突き出た半島の丘に造られています。バスを降りると、小さな羽虫(おそらくユスリカだろうと思います)が大発生しており、口元を抑えないと虫を吸い込みかねない状態になっていました。麓の駐車場脇には土産物屋が並んでいたのですが、それを見学する余裕もなく、丘の上を目指すことになりました。現地ガイドも、このような虫を経験するのは初めてと言っていました。
幸いひと登りすると、風が吹き抜けるためか、虫はいなくなりました。
セヴァン修道院は、9世紀に創建された幾つかの建物からなる複合宗教施設です。現在は、手前の聖使徒教会と奥の聖母教会しか残されていません。
修道院の立つ丘の上からは、セヴァン湖の展望が広がっていました。
セヴァン湖は、面積約1256平方m、最大深度82mのコーカサス最大の湖です。標高1900mの高地にあるので夏でも水温は20度以上にはならないといいますが、それでも湖水浴は行われているようです。
丘に広がる草原はお花畑状態になっていました。アルメニアに入国してからエレバンに向かう途中、ポピーの見学を行いましたが、ここの花は種類も多く見事でした。
聖母教会に入場しました。
入口の脇には、沢山のハチュルカ(十字架石)が置かれていました。
壊れているものが多いので、他所から運んできたのでしょう。
聖母教会の中には、小さな祭壇が設けられていました。
祭壇には、聖母子像の絵が飾られていました。
この教会では、脇に置かれているハチュルカ(十字架石)が有名なものになっています。
ハチュルカ(十字架石)には、細かい模様が彫り込まれていました。、
ハチュルカ(十字架石)の上部。
ハチュルカ(十字架石)の下部。
ハチュルカ(十字架石)の上に飾られている絵は、周囲に12使徒が飾られているのは判るのですが、中央のキリストだろうと思われる人物は恐ろし気な姿で描かれています。
外に出て、教会高台から振り返りました。
草原には、野草の案内板が置かれていました。
時間も限られていたのですが、花の写真撮影を行いました。
6月の訪問なので、これらは初夏の花ということになり、これから花の種類も変わっていくのでしょう。
とりあえず、丘の最高点まで足を延ばしました。
花と教会を眺めながらバスに戻ることになりました。
セヴァン修道院は最後の観光地ということで、トンガリ屋根の教会もこれで見納めになりました。ジョージアとアゼルバイジャンの教会は、小さなものが多かったですが、風景に融け込んで美しい姿を見せてくれました。
バスに戻って、湖畔沿いに走りだしました。
湖畔に、灯火を持った女性の像が置かれていました。これは、「アクタマル」と呼ばれ、もともとはヴァン湖(現在はトルコ領)にあった伝説に基づくものです。
「昔、島のタマルという名の娘が、対岸の浜辺に住む男性と恋に落ちた。しかし、身分が違ったため、娘の親が反対して二人を引き離した。それでも、男は夜な夜な島まで泳いで渡り、娘に会っていた。その時、娘は火を灯して、男性に島の位置を教えていた。だが、ある荒天の日、火は消えてしまい、男は溺れて死んでしまった。」
最後に叫んだ言葉が「アク(ああ)、タマル!」であったことから、この像は「アクタマル」と呼ばれるようになったといいます。
また、セヴァン湖の名前は、現在トルコにあるヴァン湖に由来すると言われており、移住してきたアルメニア人が、「セヴ(黒い)ヴァン湖」と名づけたといいます。東アナトリア地方から追われたアルメニア人が、故郷のヴァン湖をしのび、そこの伝説の「アクタマル」像を置いたということからも、望郷の念が伝わってきます。
セヴァン修道院は、セヴァン湖に突き出た半島の丘に造られています。バスを降りると、小さな羽虫(おそらくユスリカだろうと思います)が大発生しており、口元を抑えないと虫を吸い込みかねない状態になっていました。麓の駐車場脇には土産物屋が並んでいたのですが、それを見学する余裕もなく、丘の上を目指すことになりました。現地ガイドも、このような虫を経験するのは初めてと言っていました。
幸いひと登りすると、風が吹き抜けるためか、虫はいなくなりました。
セヴァン修道院は、9世紀に創建された幾つかの建物からなる複合宗教施設です。現在は、手前の聖使徒教会と奥の聖母教会しか残されていません。
修道院の立つ丘の上からは、セヴァン湖の展望が広がっていました。
セヴァン湖は、面積約1256平方m、最大深度82mのコーカサス最大の湖です。標高1900mの高地にあるので夏でも水温は20度以上にはならないといいますが、それでも湖水浴は行われているようです。
丘に広がる草原はお花畑状態になっていました。アルメニアに入国してからエレバンに向かう途中、ポピーの見学を行いましたが、ここの花は種類も多く見事でした。
聖母教会に入場しました。
入口の脇には、沢山のハチュルカ(十字架石)が置かれていました。
壊れているものが多いので、他所から運んできたのでしょう。
聖母教会の中には、小さな祭壇が設けられていました。
祭壇には、聖母子像の絵が飾られていました。
この教会では、脇に置かれているハチュルカ(十字架石)が有名なものになっています。
ハチュルカ(十字架石)には、細かい模様が彫り込まれていました。、
ハチュルカ(十字架石)の上部。
ハチュルカ(十字架石)の下部。
ハチュルカ(十字架石)の上に飾られている絵は、周囲に12使徒が飾られているのは判るのですが、中央のキリストだろうと思われる人物は恐ろし気な姿で描かれています。
外に出て、教会高台から振り返りました。
草原には、野草の案内板が置かれていました。
時間も限られていたのですが、花の写真撮影を行いました。
6月の訪問なので、これらは初夏の花ということになり、これから花の種類も変わっていくのでしょう。
とりあえず、丘の最高点まで足を延ばしました。
花と教会を眺めながらバスに戻ることになりました。
セヴァン修道院は最後の観光地ということで、トンガリ屋根の教会もこれで見納めになりました。ジョージアとアゼルバイジャンの教会は、小さなものが多かったですが、風景に融け込んで美しい姿を見せてくれました。
バスに戻って、湖畔沿いに走りだしました。
湖畔に、灯火を持った女性の像が置かれていました。これは、「アクタマル」と呼ばれ、もともとはヴァン湖(現在はトルコ領)にあった伝説に基づくものです。
「昔、島のタマルという名の娘が、対岸の浜辺に住む男性と恋に落ちた。しかし、身分が違ったため、娘の親が反対して二人を引き離した。それでも、男は夜な夜な島まで泳いで渡り、娘に会っていた。その時、娘は火を灯して、男性に島の位置を教えていた。だが、ある荒天の日、火は消えてしまい、男は溺れて死んでしまった。」
最後に叫んだ言葉が「アク(ああ)、タマル!」であったことから、この像は「アクタマル」と呼ばれるようになったといいます。
また、セヴァン湖の名前は、現在トルコにあるヴァン湖に由来すると言われており、移住してきたアルメニア人が、「セヴ(黒い)ヴァン湖」と名づけたといいます。東アナトリア地方から追われたアルメニア人が、故郷のヴァン湖をしのび、そこの伝説の「アクタマル」像を置いたということからも、望郷の念が伝わってきます。