![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/22/2d9c1b707a10ec4cbbe4281dafdb5abd.jpg)
フエの最後の見学地として、カイディン帝廟を訪れました。カイディン帝は、阮朝第十二代、最後から二番目の皇帝です。フエ周辺には、この他にもミンマン帝廟やトゥドゥック帝廟などもありますが、今回のツアーでは、カイディン帝廟だけの見学であったのは残念なことでした。
カイディン帝廟は、1920年からカイディン帝の死後六年も工事が続けられて、十一年かけて1931年に完成しました。カイディン帝は新しい物好きであったため、東洋風に加えて西洋風の建築様式が加えられています。さらに無宗教であっため、仏教、キリスト教、ヒンドゥー教の様式がミックスされています。
カイディン帝廟は、丘の中腹に設けられており、石段を上る必要がありました。中央の門は、皇帝専用です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/73/a494c06b2a5be03593a57e28f2bf81f8.jpg)
階段脇には、龍の像が設けられていました。良く見ると、ドラゴンボールを持っていますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/94/b8cb9399bda288b2bec30728b7555ca2.jpg)
一段上がったところの踊り場からの眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/8b/92e358e8fc6d9c1de49ccc7e98fed9b0.jpg)
もう一段上がった広場に出ると、八角形の石堂が現れました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/bf/b398327f7be081009698d79021f3a01f.jpg)
皇帝の偉業を讃えた石碑が、石堂内に収められています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/2d/4d5e90d3e661f760bc0ab2b7e736341b.jpg)
広場の片隅には、ヨーロッパ風の塔が建てられていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/89/ef9b4a8e1387801c11f6da5655a88cb3.jpg)
広場の両脇には、役人や象、馬の像が置かれて、廟を守っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/68/f93e548d62cfdf49a573873d0a0369ea.jpg)
文官の像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/6c/aeb298249a66b08006ed22840750c7c2.jpg)
文官では、衣服に鳳凰の模様が描かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/09/68ca6640e754e3f09a78cd776f1e0b7c.jpg)
こちらは武官。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/9c/b128a3bb745acba5faf437210152501a.jpg)
龍の模様が描かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/df/4c582356233844a0214917d4c6c6bb0c.jpg)
さらに階段を上がります。通常の観光地ですが、階段上りが続くので、足弱な人は辛い思いをすることでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/27/40b71778e5d0ed9e5250f1c1a0e242cc.jpg)
階段を上りきると、ようやく廟の本殿前に到着します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/9e/2abb90805ad61c0434a51ca741270e7a.jpg)
中華風の造りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/71/b005b9bee20d9fb25d9e95a8c57a3fed.jpg)
壁には細かいレリーフが施されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/ba/174d6f62cc1e1e349199454dea93267c.jpg)
最上段の広場から石堂を振り返ったところ。
カイディン帝廟の完成の1931年というと満州事変が始まった年で、そう昔のことではありませんが、建築資材として使われたのが当時の新しい材料であったコンクリートであったため、風化が進んで黒ずんでおり、見かけ上は古びた感じがします。
カイディン帝廟は、1920年からカイディン帝の死後六年も工事が続けられて、十一年かけて1931年に完成しました。カイディン帝は新しい物好きであったため、東洋風に加えて西洋風の建築様式が加えられています。さらに無宗教であっため、仏教、キリスト教、ヒンドゥー教の様式がミックスされています。
カイディン帝廟は、丘の中腹に設けられており、石段を上る必要がありました。中央の門は、皇帝専用です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/73/a494c06b2a5be03593a57e28f2bf81f8.jpg)
階段脇には、龍の像が設けられていました。良く見ると、ドラゴンボールを持っていますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/94/b8cb9399bda288b2bec30728b7555ca2.jpg)
一段上がったところの踊り場からの眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/8b/92e358e8fc6d9c1de49ccc7e98fed9b0.jpg)
もう一段上がった広場に出ると、八角形の石堂が現れました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/bf/b398327f7be081009698d79021f3a01f.jpg)
皇帝の偉業を讃えた石碑が、石堂内に収められています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/2d/4d5e90d3e661f760bc0ab2b7e736341b.jpg)
広場の片隅には、ヨーロッパ風の塔が建てられていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/89/ef9b4a8e1387801c11f6da5655a88cb3.jpg)
広場の両脇には、役人や象、馬の像が置かれて、廟を守っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/68/f93e548d62cfdf49a573873d0a0369ea.jpg)
文官の像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/6c/aeb298249a66b08006ed22840750c7c2.jpg)
文官では、衣服に鳳凰の模様が描かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/09/68ca6640e754e3f09a78cd776f1e0b7c.jpg)
こちらは武官。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/9c/b128a3bb745acba5faf437210152501a.jpg)
龍の模様が描かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/df/4c582356233844a0214917d4c6c6bb0c.jpg)
さらに階段を上がります。通常の観光地ですが、階段上りが続くので、足弱な人は辛い思いをすることでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/27/40b71778e5d0ed9e5250f1c1a0e242cc.jpg)
階段を上りきると、ようやく廟の本殿前に到着します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/9e/2abb90805ad61c0434a51ca741270e7a.jpg)
中華風の造りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/71/b005b9bee20d9fb25d9e95a8c57a3fed.jpg)
壁には細かいレリーフが施されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/ba/174d6f62cc1e1e349199454dea93267c.jpg)
最上段の広場から石堂を振り返ったところ。
カイディン帝廟の完成の1931年というと満州事変が始まった年で、そう昔のことではありませんが、建築資材として使われたのが当時の新しい材料であったコンクリートであったため、風化が進んで黒ずんでおり、見かけ上は古びた感じがします。