
イスルムニヤ精舎では、本堂に続いて宝物館を見学しました。
ここでの一番の見どころは、「恋人の像」(5世紀)です。寺院北側の王宮庭園で発見されたこのレリーフは、紀元前2世紀にこの地を治めたドッタガーマニ王の息子サーリヤ王子とその恋人マーラだと言われています。カーストの低いマーラとの恋は周囲から認められなかったのに対し、王子は自分の身分を捨ててカーラとの結婚を望んだといいます。

ただ、この像については諸説あって、シバ神とその妻パールバーティとする説もあるようです。恋人の像とした方が話としては面白いですが。

もう一つ有名なのが、「王族の像」(5~8世紀の作品)。これはサーリヤ王子とマーラの結婚後のもので、中央にドゥッタガーマニー王とその妻、王の左側にサーリヤ王子、王の妻の右側につつましくマーラが彫り込まれています。

宝物館には、他にもレリーフが置かれていました。
このレリーフは、「王族の像」の中央部と同じポーズですね。

周辺の装飾からして、同じシリーズのレリーフと思われます。

「王族の像」の中央部の像がドゥッタガーマニー王だとすると、後の時代に王の像が幾つも作られている理由が判りません。
推測ですが、やはり「恋人の像」はシバ神とその妻パールバーティで、「王族の像」の中央部はシバ神とその妻パールバーティ。左は礼拝する王で、右端はその妻と考えるのはどうでしょうか。その後に載せてあるレリーフがシバ神と考えると、つじつまが合うように思います。

太鼓腹であることから富と財宝の神クベーラでしょうか。


これは王座のようです。

宝物館を出て、岩山の上に登ることになりました。

登り口には、隙間に岩が挟まった登山用語でいうチョックストーンがありました。

岩山の頂上へは、階段登りが続きました。体力的には問題はないのですが、足裏が痛くてまいりました。

最後に階段を登って頂上へ。

岩山の高さはそれほどないんですが、周囲の展望が広がっていました。

遠くにジェータワナ・ラーマヤが見えていました。


水を満々と蓄えた貯水池も見えていました。

ルワンウェリ・サーヤ大塔は、この方向ですが、木立に阻まれており、写真を拡大してようやく先端部が見えているだけでした。

駐車場に停められていたバスの行き先表示です。一番上はシンハラ語、二番目にタミル語、三番目には英語で書かれていました。なお、スリランカでは、赤いバスは国営で、それ以外の青などに塗られたバスは民営のものです。民営のバスの方が新しくきれいでした。インドのタタ社製の赤いバスとなるとかなりボロで、かえって目を引きつけました。
アヌラーダプラには、他にも多くの遺跡が残されていますが、見学はこれまでとしてシーギリヤに向かいました。
ここでの一番の見どころは、「恋人の像」(5世紀)です。寺院北側の王宮庭園で発見されたこのレリーフは、紀元前2世紀にこの地を治めたドッタガーマニ王の息子サーリヤ王子とその恋人マーラだと言われています。カーストの低いマーラとの恋は周囲から認められなかったのに対し、王子は自分の身分を捨ててカーラとの結婚を望んだといいます。

ただ、この像については諸説あって、シバ神とその妻パールバーティとする説もあるようです。恋人の像とした方が話としては面白いですが。

もう一つ有名なのが、「王族の像」(5~8世紀の作品)。これはサーリヤ王子とマーラの結婚後のもので、中央にドゥッタガーマニー王とその妻、王の左側にサーリヤ王子、王の妻の右側につつましくマーラが彫り込まれています。

宝物館には、他にもレリーフが置かれていました。
このレリーフは、「王族の像」の中央部と同じポーズですね。

周辺の装飾からして、同じシリーズのレリーフと思われます。

「王族の像」の中央部の像がドゥッタガーマニー王だとすると、後の時代に王の像が幾つも作られている理由が判りません。
推測ですが、やはり「恋人の像」はシバ神とその妻パールバーティで、「王族の像」の中央部はシバ神とその妻パールバーティ。左は礼拝する王で、右端はその妻と考えるのはどうでしょうか。その後に載せてあるレリーフがシバ神と考えると、つじつまが合うように思います。

太鼓腹であることから富と財宝の神クベーラでしょうか。


これは王座のようです。

宝物館を出て、岩山の上に登ることになりました。

登り口には、隙間に岩が挟まった登山用語でいうチョックストーンがありました。

岩山の頂上へは、階段登りが続きました。体力的には問題はないのですが、足裏が痛くてまいりました。

最後に階段を登って頂上へ。

岩山の高さはそれほどないんですが、周囲の展望が広がっていました。

遠くにジェータワナ・ラーマヤが見えていました。


水を満々と蓄えた貯水池も見えていました。

ルワンウェリ・サーヤ大塔は、この方向ですが、木立に阻まれており、写真を拡大してようやく先端部が見えているだけでした。

駐車場に停められていたバスの行き先表示です。一番上はシンハラ語、二番目にタミル語、三番目には英語で書かれていました。なお、スリランカでは、赤いバスは国営で、それ以外の青などに塗られたバスは民営のものです。民営のバスの方が新しくきれいでした。インドのタタ社製の赤いバスとなるとかなりボロで、かえって目を引きつけました。
アヌラーダプラには、他にも多くの遺跡が残されていますが、見学はこれまでとしてシーギリヤに向かいました。