
白玉山塔は、旅順の街を見下ろす丘の上に立っています。
旅順は軍港で、ながらく一般旅行者の立ち入り制限が行われてきましたが、最近になって封印も解かれて、この白玉山塔も観光地としての整備がすすめられました。

白玉山塔のある丘の上への道路は幅が狭いため、マイクロバスに乗り換えるか、リフトを使うことになります。
白玉山塔は、日露戦争の終戦後に、連合艦隊司令長官東郷平八郎と陸軍第三司令官の乃木希典が、戦死した日本軍兵士を慰霊するために建てさせた、高さ66.8mの塔です。

日本統治時代は表忠塔と名付けられましたが、第二次大戦後に進駐したソ連軍によって表忠塔の文字は削り取られ、白玉山塔と改名されました。
塔の上には螺旋階段で昇ることができるのですが、ツアーのために時間がありませんでした。

塔の下は、テラスになっており、旅順港を眼下に見下ろすことができました。

旅順港の入り口は狭く、ロシア艦隊を湾内に閉じ込めるために閉塞作戦が行われたことに納得できます。
湾の入り口の左手は黄金山、右は老虎尾半島で、ここに設けられた沿岸砲からの砲撃によって、日本軍の閉塞作戦は失敗に終わります。

湾の入り口の幅は、270mほどで、大型船舶が航行できる水路の幅はわずか91mであったといいます。

湾内には港が設けられています。

湾の中は東西に長く広がっています。

中央の丘が203高地で、そう遠くない距離に見えています。

望遠レンズに変えると、停泊している艦船も良く見えました。

ひと時代前なら、この丘は立ち入り禁止で、このような写真を撮影したら、スパイとして逮捕されていたでしょうね。
白玉塔の下のテラスは記念写真をとりあう観光客でにぎわっていました。
旅順は軍港で、ながらく一般旅行者の立ち入り制限が行われてきましたが、最近になって封印も解かれて、この白玉山塔も観光地としての整備がすすめられました。

白玉山塔のある丘の上への道路は幅が狭いため、マイクロバスに乗り換えるか、リフトを使うことになります。
白玉山塔は、日露戦争の終戦後に、連合艦隊司令長官東郷平八郎と陸軍第三司令官の乃木希典が、戦死した日本軍兵士を慰霊するために建てさせた、高さ66.8mの塔です。

日本統治時代は表忠塔と名付けられましたが、第二次大戦後に進駐したソ連軍によって表忠塔の文字は削り取られ、白玉山塔と改名されました。
塔の上には螺旋階段で昇ることができるのですが、ツアーのために時間がありませんでした。

塔の下は、テラスになっており、旅順港を眼下に見下ろすことができました。

旅順港の入り口は狭く、ロシア艦隊を湾内に閉じ込めるために閉塞作戦が行われたことに納得できます。
湾の入り口の左手は黄金山、右は老虎尾半島で、ここに設けられた沿岸砲からの砲撃によって、日本軍の閉塞作戦は失敗に終わります。

湾の入り口の幅は、270mほどで、大型船舶が航行できる水路の幅はわずか91mであったといいます。

湾内には港が設けられています。

湾の中は東西に長く広がっています。

中央の丘が203高地で、そう遠くない距離に見えています。

望遠レンズに変えると、停泊している艦船も良く見えました。

ひと時代前なら、この丘は立ち入り禁止で、このような写真を撮影したら、スパイとして逮捕されていたでしょうね。
白玉塔の下のテラスは記念写真をとりあう観光客でにぎわっていました。