さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 コパン遺跡 その1

2018年04月23日 | 海外旅行
今回の旅では、三つのマヤ遺跡を見学しましたが、最初にホンジュラスのコパン遺跡を訪れました。コパン遺跡は、マヤ遺跡のうちでも最も東に位置します。コパン王朝は、マヤ古典期に、グアテマラとの国境近くを流れるモタグア川支流のコパン川流域に栄えました。コパン遺跡は、1830年代からその存在が知られて調査研究が進められ、残されたマヤ文字のモニュメントも多いことから、その解読によって王朝の歴史のかなりの部分が判明しています。



遺跡の入口には、コパンの王朝を示す紋章文字が描かれていました。



入口のビジターセンターに置かれていたコパン遺跡の模型。



遺跡の中心部。建物が重なって、複雑な構造になっています。



中央部の説明。



「地球の歩き方」によるコパン遺跡マップ。

コパン遺跡では、それぞれの建物に固有の名前が付けられているものが少なく、神殿16や神殿22などと呼ばれるので、このマップを参照する必要があります。

遺跡へは、左下から入場します。



まずは、ビジターセンター脇の石彫博物館を見学しました。コパン遺跡の彫刻やモニュメントのうち重要なものは博物館に収められています。



入口は蛇の口の形になっています。



長いトンネルが続きます。



トンネルを抜けると、まず巨大なロサリラ神殿が目に飛び込んできます。これは原寸大レプリカですが、本物は神殿16の中に埋まっています。10代王の月ジャガーによって、王朝創始者クック・モに捧げられました。



四面に渡ってびっしりと彫刻が施されています。





背面。



様々な顔が飾れていますが、太陽神のもののようです。











コパン歴代16人の王の姿が彫られている祭壇Q。遺跡にはレプリカが置かれています。



中央の左側に座るのが初代王クック・モ。向い合って中央右側に座るのが16代王ヤシュ・パサフ・チャン・ヨアート(夜明けの空王)。初代王が16代王に王権の象徴である笏を手渡しています。

左は2代キニチ・ポポル・ホル。右は15代カック・イピヤフ・チャン・カウィール(煙貝王)。

15代王は、神聖文字の階段を完成させ、13代王18ウサギの殺害後の没落からの復興に努力しました。

16代王は神殿16を完成させ、最初に触れたようにコパン歴代の王を刻んだ祭壇Qを置きました。



クック・モは、テオティワカン・ゴーグルと呼ばれる丸眼鏡を付けています。このことから、クック・モとテオティワカンとの関係がうかがわれますが、ティカル出身者とするのが今日の有力説のようです。



右から左に3代王から6代王。これらの王のことについてはほとんど判っていないようです。



右から左に7代王(睡蓮ジャガー)・8代王・9代王・10代王(月ジャガー)。

10代王(月ジャガー)は、ロサリラ神殿を建てました。



右から左へ、11代ブッ・チャン・12代王煙イミシュ・13代王ワシャクラフーン・ウバール・カウィール(18ウサギ)・14代王カック・ホプラフ・チャン・カウィール。

この時代にコパンは最盛期を迎え、そして一挙に転落しました。

12代王煙イミシュは長い治世を誇り、コパンはマヤ南東部の大国として繁栄しました。
13代王18ウサギは、繁栄を謳歌していたコパンで即位し、高浮彫りとも言われる独自の芸術様式を完成しました。しかし、18ウサギが後見して即位の儀式を行ったキリグア王に斬首されて突然死を迎えました。18ウサギの死によりコパンはいっきに没落し、キリグアが隆盛しました。
14代王の時代には、王権は弱くなり貴族との共同統治制度に変化しました。



神聖文字の階段のある神殿26の地下に埋もれていたモット・モット神殿から発掘された墓石。



そのレプリカ。こちらの方が、どのような像が彫られているか良く判ります。



初代王クック・モ(左)と2代王(右)が向かい合って座っていますが、古い時代のクック・モはテオティワカン・ゴーグルが描かれません。

これらの王のことを頭の片隅に入れて、展示物を見ていきましょう。
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