【今日の 俯瞰した視点を持て】
1960年代、日本は戦争に負けてからわずか15年ほどしかたっていない。
戦争に負けたくせにワシらはアメリカに憧れていた。
アメリカの文化・文明をなるべく早く取り入れたくてなんでもアメリカの真似をしていた。
日本人の偏った吸収力はものすごいものがある。なんでも自国文化の物に変貌させてしまう。
そのころアメリカの雑誌「リーダース・ダイジェスト」と言う、これはダイジェストと言うだけあって
書籍のダイジェスト(つまりサワリ)、ニュースのダイジェストをまとめただけの本であったが
日本の片田舎に住むワシは、それを親に頼んで毎月取ってもらっていた。その広告欄はアメリカ文化そのものであった。
ワシらはその広告を見て日本にいち早く取り込んだのだ。文化の発意たるアメリカの製品を。
ボウリングと言うゲームが日本に輸入されるのは、ずっと後の話、
ペプシコーラを飲んでいる、ペプシコーラとはなんだ?
と、ラムネを飲みながら想像した。
海沿いの丘陵でピクニック、こちらはコカ・コーラ
バドワイザーとはコーラみたいなもんか?ビールとかいてあるなあ。
日本人は全員が食うや食わずでヒーヒー言っていた時、かの国ではこんな豊かな生活を送っていたのである。戦争に負けるわけだ。
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アメリカの車にあこがれていた。
ダッジ・ダート 一家でレジャーに行く。水上スキーの板もある。
ワシらはバスで乙女が丘に海水浴。水着の代わりに普段のパンツ。
フォード・ファルコン61年型
2ドアのファミリーカー、コンパクトカーね。
これもファルコン、次の年式か?
2ドアの窓柱なしのハードトップと言うもので、なんでそう出来るのか、窓の開閉はどうなっているのか疑問であった。
ポンティアックGTO オープンカーである。
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車の背景にはアメリカの、想像もつかないほど豊かな文化が描かれている。
ワシらはこれらアメリカの文化にあこがれ、取り込めるものはすべて吸収したが
アメリカ車だけはただの憧れで終わってしまった。
何でと言うと
サイズが大きい、日本の道は走れない。左ハンドル、これは不便である。エンジンが大きいつまりガソリンを食う。(資源小国の日本はガソリン価格が高い)
もっと良く考えると車体のわりに室内が狭い、小さいことが分かる。トランクが広大だからね。
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近年は右ハンドルにこそ改良しているようだが
やっぱりアメリカの車は日本の国情になじめないことが分かる。
日本の車はアメリカに、ヨーロッパに売るためにその国の国情に合わせた改良・設計をして売っている。
スズキなどはインドの国情に合わせた小型車を作って売っている。
車だけではないぞ、家だってアメリカから輸入だ、ツーバイフォーと言う建築方法だ。
それに引き換え、アメリカの車は日本で売るためにどれほどの努力をしたか。
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それを「輸入障壁」だと威張って言うなんてどうかしてるぜ。
売れないのは日本が悪いなんて。
車以外のほかの製品で、良いものはどんどん日本は買っているぢゃあないか。
馬鹿も休み休み言え!
もっと歴史を考えろ。