MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

『モナ・リザ』の真実

2009-05-02 00:17:40 | アート・文化

『モナリザの微笑』:ザ・タイガース(古っ!)
“君の帰りを待っていた壁に飾ったモナリザも…”
うーん、怪しい…
新型インフルのパンデミックが直前というこの時期に
のんびり美術鑑賞でもないだろうが…
またちょっとした『モナ・リザ』ブームが
巻き起こりそうなのである。
世界的名画と言われる『モナ・リザ』が
1911年にルーブル美術館から盗み出され、
2年以上行方不明となった後に発見された事件を
ご存知だろうか?
未だに謎が多く残されているこの盗難事件を
ロジャー・ドナルドソン監督が、新作で挑戦するという。
作家シーモア・ライトのノンフィクション小説
「モナ・リザが盗まれた日」(中公文庫刊)の映画化である。
(eiga.com:ウェブ魚拓)

またこの他にも『モナ・リザ』盗難事件を扱った著作が
この春出版されている(記事参照)。
絵そのものにも謎が多く隠されている『モナ・リザ』、
果たして盗難事件の真相はどうだったのだろうか…

4月26日付 TIME.COM

Art's Great Whodunit: The Mona Lisa Theft of 1911

美術界の重大ミステリー:モナ・リザ盗難事件(1911年)

Monalisa2

 大量の複製画やフランスへのパック旅行、そして『ダビンチ・コード』が登場する前の20世紀前半でも Mona Lisa(モナ・リザ)は他の絵画とは違っていた。謎めいた微笑をたたえる女性には多くのラブレターが届いたため、“彼女”の肖像画はルーブル美術館で独自のメールボックスを持つ唯一の作品となった。かつて失恋した求婚者が“彼女”の前で銃で自殺したこともあった。
 そういうわけで、“彼女”と駆け落ちしたものがいたとしても驚くことだろうか?1911年8月21日の朝、おそらく世界で最も有名な絵 Mona Lisa はルーブル美術館から盗まれた。誰が、どのようにして、なぜ、“彼女”を連れ出したのかが、この春出版された新しい二つの著作に記述されている。
一冊は R A Scotti 作Vanished Smile: The Mysterious Theft on Mona Lisa (Knopf 社, 239ページ)は事実を忠実になぞり、華美に語られている。この作品は速い展開で進み、所々で散文詩のようにも読める。もう一冊 Dorothy & Thomas Hoobler による The Crimes of Paris: A True Story of Muder, Theft, and Detection (Little, Brown 社, 376 ページ)は、20世紀前半にパリ警察が悪党や無政府主義者の世界とどのように苦闘していたかについて、職人らしい文体とスケールの大きい物語の中に、この窃盗事件を組み入れている。残念ながら、両作品の著者は、誰がこの窃盗事件の裏側にいたのかということについての全く実証されていない見解を復活させることで彼らのテクストを引き伸ばすことに決めているようだ。
 私たちが知っていることは以下の通り:月曜日の朝の早い時間、ルーブル美術館が見学者のために開館する前、警備員の隙をついてすばやく行動した泥棒によって Mona Lisa は盗まれた。この盗難事件は翌日まで発覚すらしなかった。(この絵がなくなっていることに気づいた警備員は写真撮影のために一時的にはずされたものと思っていた)。館員が事実に気づくとすぐにルーブル美術館は閉鎖された。警察がやってきて職員に質問し、犯罪と断定、当時としては最新の犯罪対策の技術だった指紋採取を行った。フランス国境は封鎖され、船舶や列車はチェックされた。9日後同美術館が再公開されたが、それまでにこの盗難事件は世界中の第1面のニュースとなった。素人探偵、風変わりな教授、透視能力者たちから情報が続々と寄せられた。この絵が掛けられていて今は空いている場所を一目見ようと数千人の人たちが行列を作った。その中には Franz Kafka がいた。彼はパリを訪れていて、当然のことながら彼の登場によって、この話は一層カフカらしい雰囲気となった。
 この盗難から約1週間が経ったころ、この犯罪についての情報に懸賞をつけていた新聞、Paris-Journal に、ある謎めいた人物が接触してきたことから、この物語は急展開を迎えた。その男性は小さな彫像を持って新聞社に現れたが、彼はそれを4年前にルーブル美術館から盗んだもののうちの一つであると主張した。その匿名の窃盗犯は Honoré Joseph Géry Pieret という名の両性愛の詐欺師であることが判明した。フランスの出版業界における現代美術をめぐる国民的論争にあって一貫して Picasso(ピカソ)の支持者であり、詩人であり、美術界の論客でもあった Guillaume Apollinaire の“秘書”をかつてつとめていたが、そしておそらく他の役割も果たしていたのであろう。まもなく Pieret は Apollinaire をこの一連の窃盗事件に巻き込んだ。警察が Apollinaire を逮捕した時、自白を迫られた彼は、Pieret が盗んだ作品を Picasso だけに売っていたことを認めた。Mona Lisa 事件の背後にあるかもしれない犯罪の輪に彼らが関係していたと考えた警察官は、尋問のため治安判事の前に Picasso を引っ張り出した。当時29才で放浪者から上級なブルジョアジーへとようやく成り上がりつつあった Picasso はこれを恐れた。彼はフランスでは外国人であり、法的な重大なトラブルがあればただちに国外に追放されるからだ。彼の罪状は真実であったため、このことは大事に至る可能性があった。4年前、盗まれた2つの彫像を彼は Pieret から買っていた。それはローマ時代のイベリア人の頭像であり、そのたくましい姿と大きな眼を、彼がちょうどとりかかろうとしていたすばらしい絵画 Les Demoiselles d'Avignon に取り入れようとしていた。そのことを法廷で否定したが、その両方の作品がルーブル美術館より盗まれたことを当時彼は九分九厘知っていた。ひょっとしたら、彼は最初から Pieret にそれらを盗ってこさせようとしていたのかも知れない。しかし、検察官は Picasso もしくは Apollinaire が、Mona Lisa はもちろん、その頭像についても彼らが盗んだとして事件を立件できず、二人とも釈放された。
 その後この事件の手がかりは途絶えてしまった。Mona Lisa はスイスあるいは南アメリカに運ばれたと伝えられた。“彼女”は Bronx のアパート、St Petersburg の個人画廊、JP Morgan のマンションの秘密の部屋にいたという噂も。しかし実際には、“彼女”はパリから出ていなかった。窃盗犯は Vincenzo Peruggia であると判明した(Hooblers 夫妻はこれを Perugia と綴っている)。彼はフランス在住のイタリアン・ハウスの塗装工であり大工であるが、1913年12月にフィレンチェで逮捕された。フィレンチェの美術商 Alfredo Geri と接触した後、その絵を持って当地に出向いていた。彼はいくらかの現金を手に入れるため、彼の質の処分の手助けを Geri に頼んでいたのだ。Geri はこれに協力し直ちにその絵が本物であることを証明するために Uffizi Gallery の責任者のもとへ持ち込んだ。Peruggia が本物を持ってきたことを確認し、彼らは彼を警察に引き渡した。
 これらすべてのエピソードはフランスにとってたいそう決まりの悪いこととなった。Peruggia がかつてルーブル美術館で働いていたことがあり、出口や逃走路を知っており、さらに Mona Lisa が展示されているガラスで囲まれた枠の作成を手伝ったことがあったことから、その運命の朝、彼はそこから“彼女”を迅速に連れ出す術を知っていたというのは事実だが、彼がフランス警察の捜査網をかいくぐっていたのは間違いない。それから彼は、自分のみすぼらしいアパートへ“彼女”を連れて帰り、Patty Hearst(パトリシア・ハースト)と同じように、暗いクローゼットの中に“彼女”を放り込んだが、まさにそこは“彼女”が2年以上にわたって留まっていた場所である。
 Peruggia がその絵を繰り返し売却しようとしていた証拠はあるが、彼が Mona Lisa を盗んだ唯一の動機は、それを栄光の中でイタリアに返すこと、そしてナポレオンによるヨーロッパ中の美術品の大量の略奪に対する復讐を行うことだったと常に主張していた。ここでひとつ問題がある。Mona Lisa は決してナポレオンの略奪品にはなかったのだ。レオナルドは1503年にフィレンチェでこの絵を描き始めたのだが13年後にフランス国王フランソワ1世の宮廷に定住することになった時、その絵をフランスに持って行ったのである。1519年にそこで彼が死去したあとこの絵は数人の手を経て、最終的には熱心だったフランソワ1世が現代の額にして約1,000万ドルでそれを購入した。
 Peruggia のこのような愛国的な動機はイタリアの報道機関が彼をヒーローに祭り上げたが、そのことでイタリアの陪審が説得されることはなく、1914年8月、彼に有罪を宣告した。彼の判決は未決拘留期間分に減じられた。結局彼はフランスにもどり、Haute-Savoir に塗装店を開業した。一方、Mona Lisa はイタリアへの凱旋旅行を続けることがフランスより許されその後帰国した。
 実際にこの絵を盗んだのが Peruggia であったことを疑うものはいないが、あの夜彼に共犯者がいたのか、あるいは彼がもっと大きな作戦のために動いていたのかについての疑問が今日まで残っている。この点において両方の著書がでたらめ話の山に突き進んでしまっているのである。
1932年、Karl Decker という名の向こう見ずなアメリカ人ジャーナリストは The Saturday Evening Post に記事を発表した。その中で彼は1914年にモロッコで、貴族出身のペテン師 Marqué Eduardo de Valfierno と会い、6人のだまされやすい百万長者に Mona Lisa の精巧な6つの贋作を売りつける計画の一環として、その窃盗に関して彼が陰で糸を引いていたという話を聞いた。6人の百万長者たちには、ちょうどルーブル美術館から盗まれたことが知れ渡っていたその絵を彼が密かに手に入れていたものと信じ込ませようとしたのだ。詐欺行為をうまく行うためには大々的に報道された実物の絵の盗難を成し遂げておく必要があった。この計画で de Valfierno は何百万ドルもの利益を上げ、Peruggia にも分け前が支払われたが、Peruggia はオリジナルの絵を売却することを考えながら手元に置いていたと de Valfierno は主張した。
 これらすべては想像するには面白いがくだらない話である。この犯罪からほぼ一世紀が経つが、その 6つの贋作はいずれも見つかっていない。De Valfierno という人物は実在していたのか、それとも雑誌の記事を売るために Decker によって作られた架空の人物だったのか?誰にもわからない。しかし、ここ数年、市販された本の著者たちは Decker の全く根も葉もない話を取り上げている。Hooblers 夫妻は最後の章で Decker の話に再び触れているが、力ない但し書きが付け加えられている。「それについての外部的立証は存在しない。しかし、この事件について書いている著者たちによってしばしば真実であるとみられてきた」と。しかし、今月彼らの本が雑誌 Vanity Fair に引用されたとき、当然のことながら、引用のほとんどを占めていたのは Decker の話であり、最後に Hoober 夫妻の肩をすくめながらのお断りが載せられていた。どうでもいいが、この数日内、Boston Herald ウェブサイトのブログはde Valfierno がその窃盗事件を陰で糸を引いていたことをHoober 夫妻の著書が“暴露”していると伝えていた。
 Scotti によるこの話の扱い方も似たようなものだ。Vanished Smile はMarqué という人物が彼の贋作を売りさばくために米国にやってくるところから始まるが、この巧妙な仕掛けは、疑うことを知らない読者に、この架空の人物が犯罪の裏にいる実在の男であるかのように思わせてしまうだろう。しかし、この Marquéという人物は最終章までに彼女の本から消えてしまう。そして最終章で Scotti は Decker の説明を提示し、なぜそれがばかげた話であるとみなされるのかについての理由を詳しく記述している。
 Scotti はある一点については正しい。窃盗事件を取り巻く大がかりな報道はレオナルドの偉大な絵画を高名という成層圏へ打ち上げる手助けとなった。「Mona Lisa はルーブル美術館に美術品を残した。“彼女”は偶像として戻ったのだ。」と彼女は書いている。「“彼女”は大衆文化の有名人として戻ったと言った方がより正しい。それは“彼女”についての自由な語り草が世界中に広がることを阻止できない存在となっている。それはこれらの本のいずれもが抵抗することのできない誘惑となっているのである」

画面の右端と左端が連続している背景、
しかもその背景にはレオナルドの空想の世界。
また顔の左右が著しく異なると言われる怪しい表情。
様々な謎が隠されたこの絵は見る者を虜に
してしまうようである。
500年以上も見る人を見つめ返してきた『モナ・リザ』、
真実を是非知りたいものである。

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