goo blog サービス終了のお知らせ 

MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

眠れるネブラスカの美少女

2022-11-23 16:50:08 | 健康・病気

2022年11月のメディカル・ミステリーです。

 

11月19日付 Washington Post 電子版

 

This teenager would sleep for alarming 20-hour stretches

この10代の女性は恐ろしいことに20時間眠るのだった

The baffling malady drastically alters her personality and periodically shuts down her life

不可解な病気は彼女の人格を一変させ、周期的に彼女の生活は停止した

(Cam Cottrill for The Washington Post)

 

By Sandra G. Boodman,

 

 それが初めて起こったのは Erin Bousquet(エリン・ブスケ)さんが高校1年生の時で、当時彼女は家族内でみられる一般的な感染症である連鎖球菌性咽頭炎と診断されていた。14歳の彼女には抗生物質が3日間投与されたが良くならなかったので2つ目の薬が処方された。

 その1~2日後、Kristen Bousquet(クリステン・ブスケ)さんはこの一番年上の子供の気がかりな変化に気づいた。Erinさんが「けだるそうでボーっと」しているように見えたとこの母親は思い起こす。彼女は怒りっぽく、瞳孔は散大していて、話す内容の多くは意味を成していなかった。最も懸念されたのは、一度に最高20時間まで眠れるという Erin さんの新たに発見された能力だった。

 「それは実に薄気味悪いことでした」と Kristen さんは思い起こす。「最初は彼女がからかっているのだと思いました」

 そのような奇妙な症状は 2017年9月に起こったが、その後11回以上続いてみられ、それぞれは平均10日間続いた。しかし症状の合間、Erin さんの行動は正常だった。

 ネブラスカ州 Lincoln(リンカーン)市(ネブラスカ州の州都)に住む彼女と両親はそれから2年半に渡って小児神経内科医、神経外科医、産婦人科医、その他の専門医を受診したが、彼女の人格を一変させ、年に2、3回彼女の生活を一時的に停止させてしまう疾病を特定するための検査はほとんど無益に終わった。 

 ようやく2020年3月につけられた診断は大きな安心となった。しかし、Erin さんの病気についてはほとんどわかっていないことから、Bousquets 家の人たちには不確定性と向き合うことが求められている。

 「私にとって最も辛いのは、チャンスを失ってきた様々なことです」現在、Lincoln にある University of Nebraska(ネブラスカ大学)の 2年生になっている19歳の Erin さんは言う。失われたことには、高校バスケットボール選手権、18歳の誕生日、コロラド州への家族でのクリスマス旅行、そして、大学での2年生の始まりなどが含まれる。それら全ての間中、Erin さんは眠っていたのである。

 

Screening for mono 伝染性単核球症のスクリーニング

 

 見当識障害と睡眠時間の遷延という彼女の症状は、重篤で生命を脅かす疾患の徴候である可能性があったため、Erin さんを連鎖球菌感染症として治療してきた応急処置診療所のスタッフは母親に彼女を緊急室に連れて行くように告げた。しかし思春期・若年成人に多くみられ強い倦怠感を起こす感染性ウイルス疾患であるinfectious mononucleosis(伝染性単核球症)の検査は陰性であり、簡便な神経学的検査も正常だった。そのため Erin さんは自宅に帰された。

 一日後、彼女は生まれた時からかかっている小児科医を受診した。受診の間、あたかも診察室の床に座り込もうとするかのように「彼女は崩れるように椅子に身体を沈めていました」と Kristen さんは思い起こす。「彼女の表情はうつろでした」

 そのころ Erin さんはほぼ24時間眠り、食事、飲水、用便に起きるだけだった。誰かが彼女を起こそうとしたり、眠らないようにしようとすると彼女は腹を立てた。彼女はささやき声で話し、質問には一単語で返答した。彼女の行動は子供じみていて、しばしば反抗的で無遠慮だった。これは、礼儀正しく、落ち着いているいつもの彼女自身とは著しく対照的だった。

 その小児科医も「当惑していました」と Kristen さんは思い起こす。そのころ彼女は娘の症状、検査、および治療についての詳細な記録を残し始めていたが、後にそれが多いに役に立つことになる。

 Erin さんの医師は、彼女が知らないうちにパーティーで薬を飲まされたか、違法な薬物を使ったのではないかと考えたが、それらの可能性は両親によって強く否定された。彼女は様々なスポーツやカリキュラム以外での活動に打ち込む優等生であり、大勢の友人がいると彼女らは説明した。

 薬物検査が陰性だったためその小児科医は彼女に精神疾患がある可能性を示唆し、不安やうつ病の内服治療を勧めた。症状が精神的な問題ではないと考えた Kristen さんはそれを断り小児神経内科への紹介を要求した。その神経内科医は彼女を入院させた。

 3日間の入院期間中に彼女を診察した精神科医は、原因は分からないが、恐らく精神関連ではなく身体的なものであると考えた。

 神経内科医たちは当初、早急な治療を必要とする脳の重篤な炎症であるautoimmune encephalitis(自己免疫性脳炎)を疑った。抗NMDA受容体脳炎ともいわれるこの疾患は精神疾患に類似する奇妙な行動を起こす。その原因の一つに teratoma(奇形腫)と呼ばれる良性の卵巣腫瘍がある。しかし Erin さんの脳、腹部、および骨盤内の検査では、脳波を測定する EEG 検査や、解析のために Mayo Clinic(メイヨクリニック)に送られた血液及び脳脊髄液検査の検査と合わせても、腫瘍、感染、あるいは脳炎の徴候は認められなかった。

 奇妙な行動が始まって8日後、それはまるで「誰かがスイッチを入れた」かのようだったと母親は思い起こす。Erin さんは以前の彼女自身に戻ったが、何が起こっていたかについてはほとんど覚えていなかった。2~3日ほど夜に不眠がみられたが、その後睡眠パターンは正常に戻った。

 入院中に行われた Erin さんの脳の MRI 検査では異常が認められていた:脳組織が脊柱管内に進入する Chiari malformation(キアリ奇形)があった。神経外科医はキアリ奇形が彼女の症状を起こしていたと考えたが、その症状は典型的ではなかった。キアリ奇形では通常、激しい頭痛、頸部痛および平衡障害がみられる。彼は6ヶ月のうちに再検査を行った。

 2018年5月、2回目のMRI検査で変化がみられなかったことから、キアリ奇形は彼女の症状には関係がないと考えられるとその外科医は言った。Erin さんが新たな症状を起こさない限り、さらなる治療は必要ないと、彼は Bousquets 家の人たちに伝えた。Erin さんに深刻な脳奇形がないことに安堵した家族は気持ちを切り替えた。ある医師が推測していたようにそれは‘奇妙なウイルス’による感染だったのだと皆前向きに考えた。

 しかし2018年6月、最初の症状から8ヶ月後にそれは再び起こった。

 

‘Blank stares from doctors’ ‘医師らのぽかんとした顔’

 

 今回は Erin さんには連鎖球菌感染はなかった。「目覚めた時は良かった」がその数時間後に彼女の行動が突如変化し長時間睡眠が始まったことを Kristen さんは思い起こす。再び脳炎を心配した医師らは彼女を入院させたが脳炎の徴候はみられなかった。

 Erin さんは3日後に退院した。「すべてがそのまま繰り返されたという事実にはがっかりしました」と母親は言う。「しかし同時に大変奇妙に思われました。医師らからはぽかんとした顔をされました。このような状況に遭遇した医師は誰1人いませんでした」

 時間が経つにつれ Kristen さんが続けていた記録にあるパターンが浮かび上がってきたように思われた。症状はしばしば Erin さんの生理が始まった翌日に始まっていたのである。発作の間、彼女は稀にしか口にしない食べ物を強く欲しがっていた。特定の砂糖の入った子供向けのシリアル、ある銘柄のチキンナゲット、そしてコーンとアイスクリームのサンドイッチなどである。

 「彼女には最も簡単な指示すら入りませんでした」Kristen さんは思い起こす。「私は彼女にシャワーを浴びるように言うのですが、行ってみると足をトイレの上にのせてバスルームの床に横たわっていたのでした」

 彼女の人格変化は人を驚かせるもので、彼女らしからぬ反抗的な態度はしばしば人を当惑させた。彼女がよく「病院の人に部屋から出て行くように言っていた」のを母親は覚えている。一度は自身の点滴を引き抜こうとしたこともあった。

 発作の終わりには、頭痛、高揚感、異常な多弁、あるいは数日間の夜間不眠が特徴的にみられ、そうした間に、Erin さんと一息ついた母親は、彼女ができていなかったことを取り戻していた。

 

 (Clare Ellerbee)

「私にとって最も辛いのは、チャンスを失ってきた様々なことです」自身の病気について Erin Bousquet さんはそう話す。彼女は現在、19歳、Lincoln 市にあるUniversity of Nebraska(ネブラスカ大学)の2年生である。

 

 発作のたびに、Kristen さんは将来についての不安を抑えるよう努めた。「私の最大の不安は、もしこれが再び起こり、彼女がそれから脱することができず、彼女が Erin でなくなったらどうしようというものでした」

 Erin さんの月経周期との明白な関連からホルモンが関係した原因の可能性が新たに注目された;premenstrual dysphoric disorder(PMDD, 月経前不快気分障害)である。しかし、その主症状として不安やうつがみられるが、行動変化や長時間睡眠は認められない。

 2018年の夏、Erin さんは不妊治療専門医を受診し血液検査を受け、産婦人科医が症状の原因ではないかと考えた2つのホルモンの急速な低下に対抗すべく注射薬を処方した。さらに別の検査で2型糖尿病の前触れである可能性がある軽度のインスリン抵抗性がみられた。しかし、ホルモン注射に加え糖尿病薬が6ヶ月投与されたが2019年3月と7月の発作を防ぐことはできなかった。

 「それはほとんど試行錯誤のようなものでした」Kristen さんはその治療について思い起こす。治療にはビタミン投与や Erin の食事の変更も含まれていた。

 Kristen さんによると、彼女と夫の Greg は自分たちの役割は娘の支援者となることだと考えていたという。とはいえ、彼女らはしばしば何をすべきか何に頼るべきかについて迷いを感じていた。彼女らは定期的に専門医への紹介を求め、医師が関心を示さないようであれば、次へと進んだ。

 「私たちは的確な医師を見つけ出すという決意とともに、安易な答えに甘んじたり手当たり次第薬に飛びくことがないよう心に決めていました」と Kristen さんは言う。あくまで、診断の追求は Erin さんの生活を崩壊させたくないという気持ちとのバランスが保たれていなければならないという信念を彼女らは持っていた。

 

‘Not much else it could be’ ‘これ以外の可能性はほとんどない’

 

 2020年の初め、不妊治療専門医は Erin さんに Omaha(オマハ、ネブラスカ州の最大都市)の神経内科医 Robert Sundell(ロバート・サンデル)氏を受診するよう勧めた。

 3月18日の受診の最初に、Kristen さんから行間を空けずにぎっしりと書かれた6ページにわたる年余に及ぶ経過表が手渡され、冒頭から Erin さんの物語が語られ始めたと Sundell 氏は言う。「私は彼に起こったこと全てを話しました」と彼女は言う。

 Erin さんと母親は、Sundell 氏が注意深く話を聞いてくれた後、席を外したことを思い出す。彼は現在 Methodist Health System(メソジスト・ヘルス・システム)のスタッフとなっている。

 そして彼は約15分後に彼女らを驚かせる知らせを持って戻ってきた。Erin さんは Kleine-Levin Syndrome(KLS、クライネ・レビン症候群)だと考えられると彼が彼女らに告げたのである。これはほとんど知られていない稀な睡眠障害である。70%の患者は思春期の男性にみられるが、Sleeping Beauty Syndrome(眠れる森の美女症候群)とも呼ばれている。

 Kristen さんはこう叫んだのを覚えているという。「信じられない、この子の病気がまさにそれだったなんて!」

 発作は通常数日から数週間続き予測不能に再発する。発作中には、子供じみた、あるいは抑制のきかない行動、刺激性、食欲亢進、大食症、見当識障害などが、記憶障害とともによく見られる。

 発作の合間は KLS の患者は通常正常に機能する。本疾患の原因は不明だが、遺伝的要因、自己免疫反応、あるいは、睡眠や食欲を支配する脳の部位の異常などによって起こっている可能性がある。

 一般的に KLS を予防する有効な治療は見つかっておらず、うつ病や他の精神病と誤診されることがある。本疾患はしばしば最初の発作から約10年以内に自然に軽快するが、その後に再発することもある。

 「Retrospectoscope(後方視的観点)からみてそれはきわめて明確です」後知恵を意味する医学俗語を用いて Sundell 氏は言う。「これ以外の可能性はほとんどありません」と彼は言い、 Erin さんは「その診断基準すべてに合致しています」と付け加える。誘因には感染、アルコール、あるいは月経の始まりなどがあると彼は言う。

 その神経内科医によると、KLSについては知っていたがその患者を診たことはなかったという。Erin さんのケースでは広範囲に及ぶ検査ですでに脳腫瘍、感染症、あるいは他の原因は除外されていた。「最も厄介な症状は増悪しています」と Sundell 氏は言うが、Erin さんが発作の間は健康であることも指摘する。

 Sundell氏は Omaha 市の他の神経内科医たちに連絡を取ったが、誰もこの疾患に詳しくなかったという。彼はまた、Erin さんの診察を申し出た Mayo Clinic の睡眠障害の専門医と話をした;しかし Bousquets 家の人たちはそれを断った。Erin さんは今、年に一回 Sundell 氏にかかっている。

 「私たちの方針は用心深く見守ることでありこの症状が消え去ることに期待することです」とこの神経内科医は言う。

 Kristen さんによると、KLS 財団を通して出会った他の家族と連絡を取るようになり大いに心強く感じているという。彼女は Sundell 氏が大変気軽に応じてくれて、また考えられる治療についての話し合いを受け入れてくれることから彼には特に感謝している。この家族は、Stanford University(スタンフォード大学)の本疾患の研究に参加することを希望している。

 しかし、新たな発作が起こるたびに「私たちではどうにもならないことがわかって、すべての悲しみや怯えの感情が呼び起こされます。彼女が病気の時は私たちの生活は止まってしまうのです」と Kristen さんは言う。

 Erin さんは大学2年生が始まる8月を迎えて、いつ彼女がほぼ2週間病気で機能できなくなるかもしれなくなるかわからないという事実にうまく対応できるよう努めてきた。

 「説明するのはむずかしいようです」と彼女は言う。

 

 

Kleine-Levin Syndrome(クライネ-レビン症候群, 以下KLS )は

反復性(周期性)過眠症とも言われる。

KLS は、睡眠関連呼吸障害等の睡眠を妨げる病気や

極度の睡眠不足がないにもかかわらず日中に著しい眠気が現れる

一連の睡眠障害である中枢性過眠症の疾患群に含まれる。

ナルコレプシーもこの範疇に入れられている。

KSL の詳細については下記サイトをご参照いただきたい。

 

NPO法人 日本過眠症患者協会

過眠症の杜(かみんしょうのもり)

 

KLS は強い眠気の時期を繰り返す非常にまれな睡眠障害である。

百万人に1~2人の頻度でみられ世界でも600例ほどしか

報告されていない希少疾患である。

1925年に Kleine によって最初に報告され、

1936年に Levin によって詳述されている。

10歳代で発症するケースが多く(80%以上)、

女性よりも男性の有病率が約4倍高いとされている。

3日から5週間程度(平均は10日間)の傾眠状態

(強い眠気に襲われた状態:過眠病相)が続き、

その間は昼夜を問わず毎日16~20時間も眠り続ける。

このような過眠病相(過眠エピソード)が

通常1年に1回以上(平均3ヵ月に1回)起きることから

周期性傾眠症とも呼ばれている。

 

症状

過眠病相期には一日あたり 16~20時間の睡眠持続時間と

過度の眠気がみられ、2日間から5週間持続する。

過眠病相期には大きな声で揺り起こすなど強い刺激を与えると

いったん目は覚ますものの、ぼんやりとして口数は少なく、

集中力や注意力も散漫となっている。

新しいことへの関心や興味が薄れて、放置するとすぐに眠り込む。

病相期には現実感がなくなったと訴えることが多く、

過食、あるいは逆に食事を摂らないなどの食行動異常、

性欲亢進、子供じみた無遠慮な行動(脱抑制行動)をとる場合が多い。

抑うつ症状や不安、幻覚、妄想がみられることもある。

一方、過眠病相期中も食事や排せつは自力で行える。

過眠病相がなくなった間欠期には、病相期にみられた認知・

行動障害が完全に消失して正常となるのが特徴としてみられる。

 

治療法と対策

この病気は原因が全く不明で治療法が確立されていない。

いったん過眠の病相期が始まると治療は困難だが、

症状が深刻でない場合は積極的治療を控えることが推奨されている。

過眠病相を予防するための薬物療法(感情調整薬が中心)が

有効な場合がある。

また感染、睡眠不足、飲酒が契機となる場合があるため、

アルコール摂取を控え規則正しい生活を行うことが予防に重要である。

特に若年男性では経過とともに自然寛解することが多く、

寛解に至るまでの症状の持続期間は平均14年とされている。

 

原因不明のまま、周期的に過眠症、性格変化、精神症状を

繰り返す…

医学が発展した現在でもこのような謎だらけの疾患が存在するとは。

いつ、何がきっかけで発作が起こるかわからないまま

生活を送らなければならないとは、

患者、家族にとってさぞや不安な日々であるに違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発作出て、崖から落ちてジャジャジャジャーン!

2022-10-18 22:03:02 | 健康・病気

202210月のメディカル・ミステリーです。

 

1015日付 Washington Post 電子版

 

His seizure sparked terrifying fall that uncovered long-sought answer

The biggest change has been the absence of fear, which had come to dominate the business executive’s life

彼の発作は恐ろしい転落事故を引き起こしたが、それを機に念願の答えが明らかになった

最も大きな変化は、それまでこの企業幹部の生活を脅かしてきた恐れがなくなったことだった

 

(Cam Cottrill for The Washington Post)

 

By Sandra G. Boodman, 

 何年もの間、Carter Caldwell(カーター・コールドウェル)さんは、彼の脳にダメージを与えてきた頻回の制御不能のてんかん発作を治療する手術を考慮した方が良いという医師からの勧めを強く拒否してきた。

 28歳の時にてんかんを発症した Caldwell さんは、脳の一部を切除する手術はあまりにリスクが高すぎると考えていた。とりわけ、何が原因で発作が起こっているのかについて医師らが確信を持っていなかったし、その部位も特定できていなかったからである。

 フィラデルフィアの企業幹部であるこの人物は、それまで一定の想定される危険を最小限にして生活を組み立ててきた:例えば、彼は市内(ダウンタウン)に住み、車を運転しなかった。また子供のベビーカーを押すこともしなかった。電車に乗るときには、プラットホームの後ろの方――万一彼が突然倒れても線路とはかけ離れている場所――に立った。職場の同僚たちは彼の状況を知っていた。

 しかし 2014 年 11月、その計算は唐突に狂ってしまった。Caldwell さんは、妻の Connie(コニー)、彼らの3歳の息子と連れ立って、ペンシルベニア州にある Valley Forge national Historical Park(バレー・フォージ国立歴史公園)の丘の頂上に行き、クリスマスカード用の写真を撮るためにポーズを取っていた。そのとき、何の前触れもなく、彼はぎこちない引きずり歩行を始めたが、それは発作の始まりを示すものだった。それから彼は意識を失い、15フィート(約4.5m)の岩の高まりから川の縁に頭から転落した。

 「幸いにも私は川の中に転がり落ちませんでした」と彼は言う。彼は近くの病院に2週間半入院し、そこの形成外科医によって下顎骨の骨折、頬部の裂創、および眼窩の損傷に対して複数回の手術が行われた。

 「『自分の家族の目の前でこのことが起こったなんて信じられない』と彼が言ったことを覚えています」 彼を昔から診ている神経内科医で University of Pennsylvania(ペンシルベニア大学)のてんかんセンターの元副所長の John R. Pollard(ジョン・R・ポラード)氏はそう思い起こす。Pollard 氏は Caldwell さんに、多くの薬剤に抵抗性であった彼の難治性の発作は突然死や重大な外傷の危険があると警告していた。

 「それは極めて重要なできごとでした」現在46歳になる Caldwell さんはその事故についてそう語る。その事故は彼に、もはや脳手術以外に選択肢はないと確信させることになったのである。「それまで、あれほどひどいけがを負うような発作はありませんでした」

 2015年9月、手術は成功したが、それによって Caldwell さんの発作のきわめて稀な原因が明らかになった。その原因は専門家らによって長く疑われていたが、断定的に確定することができていなかったのである。

 

A dramatic event 劇的な出来事

 

 Caldwell さんの最初の発作は、彼がシカゴに住んでいた2004年12月に起こった。彼によると、マンションに入ろうとしたとき「短時間身体が動かなくなり、宙を見つめたが、その後歩行を続けた」という。救急医療のレジデントをしていた彼の前妻はそのできごとを目撃しており、受診の必要があると彼に告げた。

 一週間後、Caldwell さんが眠っているときに、grand mal(てんかん大発作)すなわち、強直間代けいれんに見舞われた;彼の身体は硬直し、手足は抑えきれずに激しく震えた。彼は入院し、てんかんと診断され最初の抗てんかん薬の内服を始めた。米国人300万人以上が罹患しているこの神経疾患の治療に用いられる抗てんかん薬は10種類以上ある。

 てんかんは電気活動の異常な活性化によって特徴づけられ、引き起こされる発作によって脳細胞間の正常な伝達が分断される。その原因には、頭部外傷、脳卒中、代謝障害、腫瘍などがある;一方、しばしば根本的原因が見つからないこともある。てんかんの診断では、検査を行って、感染あるいは他の原因を除外し、発作の起源となっている部位を特定する。これによって治療指針が導かれる。頻回あるいは長時間の発作は、脳細胞を破壊したり、変性を起こしたりすることによって脳を損傷する可能性がある。

 シカゴの病院の医師らは、発作は Caldwell さんの左側頭葉から始まっており、そこから右側に広がっていると考えた。側頭葉は言語、感情、および視覚の処理に重要な役割を果たしている;側頭葉てんかんが最もよくみられるタイプである。それから2年間、Caldwell さんは数回の強直間代けいれんに加え、他のタイプの発作も経験した;宙を見つめる発作などの焦点発作と、まれな gelastic seizures(笑い発作)である。これは突然の制御できない笑いや支離滅裂な会話を引き起こす。

 2006年、Caldwell さんはセカンド・オピニオンを求めて中西部の別の病院まで出かけ、そこで精密検査を受けた。医師らは彼の左右の側頭葉に発作焦点を検知しただけでなく、右の脳に不確定の病変を見つけた。彼らによるとその病変は、腫瘍、あるいは炎症や感染が示唆され、手術を要する可能性があるということだった。

 「(発作の)由来する場所、あるいは発作を起こしている原因が何かについて明確な説明がありませんでした」と Caldwell さんは思い起こす。彼は2006年に生まれ故郷のフィラデルフィアに戻った。「概して言うならば、話の趣旨は『薬物治療を続けていきましょう』ということでした」

 年が経つにつれ Caldwell さんの発作は頻度を増しており、てんかん患者の約80%で有効とされる薬剤でも発作を抑制できないことは明らかだった。

 「奇妙だったことは、新しい薬を試すと発作が変化することでした」と Caldwell さんは思い起こす。彼は、大学主導のバイオ企業に投資している Penn Medicine(ペンシルベニア大学医療システム)で共同投資プログラムの責任者をしている。

 発作の直前に aura(前兆)を経験すると訴えるてんかん患者と異なり、Caldwell さんの発作は通常何の前触れもなく起こっていた。彼は職場で数回、フィラデルフィアの公園で一回倒れたが、その都度軽度の外傷で済んでいた。

 実に多くの薬剤が効かなかったため、Pollard 氏や他の医師らは Caldwell さんに手術を考えるよう勧めた。目標は、脳機能の喪失をもたらすことなく、発作が生じている脳の部分を切除する、あるいは発作の広がりを止めることにある。約70%の例で、側頭葉の手術は発作を大いに減少、あるいは消失させることができる。

 Caldwell さんにとって先行きはあまりに恐ろしいものだった。手術によって彼の記憶、言語能、あるいは視覚と手の協調関係などが取り返しのつかないほど障害されることを彼は心配した。そのうち彼にとって後者は特に重要だった。大学時代から彼は熱心なスカッシュ選手だった。てんかんはそれまで彼のプレイする能力に影響を及ぼしていなかったが、手術はそれを終わらせてしまう可能性があった。

 また医師らは、発作が彼の左、あるいは右の側頭葉から生じているのかどうか、また早期の画像検査でみられていた病変が臨床的に重要であるか否かさえわからなかった。2014年の放射線科のレポートではそれを『明確な異常はない』と記載していた。

 「自分の人生を生きるために最善を尽くさなければなりませんでした」と Caldwell さんは言う。

 しかしそれはさらに困難となった。2010年、ビジネス学校の講義に出席していたとき最も動揺を招いた発作の一つに Caldwell さんは襲われた:彼は意識を失い、机の上に前かがみになり、うめき声を上げ始めた。翌日、彼は授業中に立ち上がり起こっていたことについて説明した;クラスメートたちは彼に拍手を送った。さらに一年後、ミュンヘンにいた時に、発作によって腰から下に一過性の麻痺が残ったため2週間病院に入院した。そして3年後 Valley Forge での転落事故が起こったのである。

 

Data was ‘all over the place’ 情報は‘至る所にある’

 

 Pollard氏にとって Caldwell さんの手術への抵抗は驚きでもなく異様なことでもなかったという。「それは完全に非合理な意思決定ではなかったと思います」と Pollard 氏は言う。彼は、現在はデラウェア州にある ChristianaCare のてんかんセンターの所長を務めている。「情報は至るところにあるという感じだったのです。Carter (Caldwellさん) には、私が彼に何かをするように強いることはないし、彼が手術を受けなくても私が彼を見放すことはないということが分かっていたのです」

 多くの患者は、「脳の手術が人を変えてしまうことを心配しています」とこの神経内科医は付け加える。それが、症状の発現から手術までの平均期間が約20年と長いことの一つの理由です。「神経外科医は誰もが恐ろしい存在なのです。私たちは自分自身イコール自分の脳であると考えているのです」

 しかし Pollard 氏は現状から起こりうる結果を良く見せようとはしなかった。とりわけ重大な外傷やあるいは Caldwell さんが「朝に目をさまさないことがあるかもしれない」可能性を伝えた。後者は sudden unexpected death in epilepsy(SUDEP, てんかんにおける予期せぬ突然死)と呼ばれるもので、発作の最中や発作後に起こり、毎年約3,000人の米国人がこれにより命を落としている。

 

 2015年の初め、Caldwell さんが顔面外傷から回復したとき、Pollard 氏は彼をペンシルベニアの神経外科医 Timothy Lucas(ティモシー・ルーカス)氏に紹介した。現在、彼は Ohio State University(オハイオ州立大学)の神経外科の教授を務めている。

 Caldwell さんによると、Lucas 氏との面談や Pollard 氏からの支援を心強く感じたという。「Lucas 医師はとても穏やかな人でした」と Caldwell さんは言う。「彼は私たちのために概略を絵にしてくれました」そして Lucas 氏は、手術のあと脳が神経の配線を作り直すことで機能を代償することを Caldwell さんと彼の妻に説明した。

 Caldwell さんは、異常な病変に焦点を絞る目的で、より強力な MRI を用いた調査研究に登録したが、病変に変化はみられておらず安堵した。何年も前に医師らはそれが DNET(dysembryoplastic neuroepithelial tumor, 胚芽異形成性神経上皮腫瘍)の可能性があると推測していた。この稀な良性の脳腫瘍の増大は緩徐であり、一般には20歳前に発症する薬剤抵抗性てんかんの原因となる。

 MRI検査がその DNET 仮説を確定したかに思われたが、Lucas 氏によると「それを摘出するまでは確かめる方法はない」という。

 次のステップは頭蓋内モニタリングだった。これは脳の電気活動を記録し、発作部位を追跡するために頭蓋骨の内部に電極を埋め込むものである。またモニタリングによって、外科医らが脳の機能に重要な領域を術中に保護するためにそれらの位置を確認することも可能となる。

 その時までに Caldwell さんは週に数回発作を起こしていたが、モニタリング装置が繋がれてから発作は不思議にも消失した。医師らは点滅する光を用いたり、すべての彼の内服薬を中止したり、睡眠不足をもたらしたりして発作の誘発を試みた。いずれも効果がなかったので医師らはあまり用いられない誘発物を加えた:アルコールである。Carter さんは強制的に不眠にさせられた夜に Sutter Home Chardonnay(サター・ホーム・シャルドネ、カルフォルニアの白ワイン)の小さなボトルを飲まされた。

 彼が知っている東海岸の人たちに電話をかけるには時刻が遅すぎたため Carter (Caldwell) さんはカリフォルニアの友人に電話をかけた。二人は夜中に5時間、飲んだり話したりして過ごした。この計画は功を奏した。Caldwell さんは3回発作を起こしたがそのすべてが彼の右脳の例の異常な病変から起こっていたのである。

 2、3週間後 Lucas 氏は Caldwell さんの右側頭葉の一部と、記憶の保存に重要な海馬、および恐怖に関連する扁桃体の一部を切除した。

 全入院期間6週間で Caldwell さんは自宅に戻った。2、3週後、自身の顔貌認識能力を調べたい気持ちから、彼は参加者を知っている年次会議に出席した。彼はすべての人たちを難なく認識でき大いに安堵した。数週間後、彼は友人とスカッシュをプレイした;彼の腕前は損なわれていなかった。

 手術以降、Caldwell さんは運転を始めたが、今のところずっと発作のない状態である。手術後一年間発作がない患者は通常、抗てんかん薬の内服を中止できるが、Caldwell さんはそれに対して気が進まないでいる。「成功に浮かれてはいけません」と彼は言う。Pollard氏の勧めにより内服薬の減量を検討しているところであるが慎重すぎるかもしれない、と付け加えた。

 最も大きな変化は彼の生活を支配していた恐れがなくなったことである。

 「私には発作が起こることについて常時心配する必要はなくなりました」と彼は言い、もっと早く手術を考慮していれば良かったと思っていると付け加える。「しかし実際のところ、私の目を覚ますには Valley Forge Park での出来事が必要だったのです」

 

 

本患者のてんかんの原因となっていた脳腫瘍、

Dysembrioplastic neuroepithelial tumor(胚芽異形成性神経上皮腫瘍)

についてまとめてみる(DNTと略されることが多いので以下DNT)。

詳細については日本神経病理学会のHPをご参照いだたきたい。

 

DNT は1988 年にDaumas-Duport、Scheithauerらによって提唱された

稀な腫瘍で、神経上皮腫瘍に占める割合は、20歳以下では1.2%、

20歳より上の年齢では0.2%とされている。

腫瘍の増大はみられないかきわめて緩徐(WHO分類では gradeⅠ)で

約60%は側頭葉の皮質・皮質下に発生する。

前頭葉、尾状核、側脳室など側頭葉以外の発生例も報告されている。

 

症状:

大脳皮質形成異常(cortical dysplasia)を合併することが多く

高率に薬剤抵抗性てんかんを呈する。

本腫瘍はてんかん外科で切除される腫瘍の約20%を占める。

約90%の症例で20歳以前に初回のてんかん発作を認める。

まれに増大する腫瘍があり、腫瘍による周辺脳への圧迫により、

その局在に応じた様々な神経症状を呈する。

側頭葉に発生した場合は自動症や記憶障害など側頭葉てんかんの

症状で発症することが多い.

 

画像診断:

CTでは一般的に境界明瞭な著明な低吸収域を呈し

一部石灰化を伴うこともある(20~36%)。

MRIでは大脳皮質に限局、あるいは皮質から皮質下に

局在する境界明瞭な腫瘤として認められ、

T1強調画像では著明な低信号、T2強調画像では著明な高信号を示し、

単発性または多発性嚢胞の所見を呈することがある。

造影剤ガドリニウムによる造影効果は多様だが増強されない例も多い。

いずれも周囲の浮腫を伴うことは少ない。

 

治療:

外科治療の適応となるのは、薬剤抵抗性てんかんを呈する場合か

腫瘍の増大を認める場合である。

てんかん発作に対しては、まずは抗てんかん薬治療を行うが、

薬剤に抵抗性の場合には開頭手術による腫瘍摘出が行われる。

可能な限り全摘出を目標とするが、発生部位によっては全摘出が

困難なこともある。

また、腫瘍を全摘しても発作が完全に抑制されないことがあり、

周囲を含めたてんかん原性領域(海馬など)の切除または遮断が

必要となる。

DNTの頭蓋内脳波モニタリングの報告では、

必ずしも病変部に発作波が観察されず、他の部位に発作波の起源を

みることがあり切除範囲を慎重に検討する必要がある。

DNTは生物学的に良性の腫瘍と考えられているが、

引き起こされるてんかん発作は難治となることが多いため、

難治性てんかんの患者では本腫瘍の可能性を常に念頭に置き、

早期の診断、治療に結び付けることが肝要である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言うことを聞かなくなった右手

2022-09-07 19:24:56 | 健康・病気

9月のメディカル・ミステリーです(8月はお休みでした)

9月3日付 Washington Post 電子版


‘This is really weird. Who wakes up and their hand doesn’t work?’
「これは実に奇妙だ。目を覚ますと手が動かないなんて?」
Nerve surgery on his hand was underway when doctors discovered something they hadn’t expected
手の神経の手術の最中、医師らは予想していなかったものを発見した


By Sandra G. Boodman,

(Cam Cottrill For The Washington Post)

 

 その作業はいつも通りやっていたことだったので Michael Brenner(マイカル・ブレナー)さんは2021年6月の日曜日の朝までその作業について深く考えたことなどなかった…しかし、その日、彼がコンピューターのところまで行き取り急ぎのメールを打とうとしたとき、それができないことに気づいた。右利きの Brenner さんは指を持ち上げる、すなわち伸ばすことができなかった。指が不可解にもこわばっているように感じたのである。左手は障害されていなかった。

 「私はこう思いました。『これは実に奇妙だ。目を覚ますと手が動かないなんて?』」そう Brenner さんは思い起こす。

 一週間後、症状が変わらなかったので、29歳のこの投資会社の調査分析担当は、容易に治療できる些細な問題だと思っていた自身の症状を診てもらうためにかかりつけの内科医を受診した。その医師はすぐにそれが些細なことでも容易に診断できるものでもないことがわかった;しかしそれの治療がどれほど困難であるかについてはわからなかった。

 それから10ヶ月にわたって Brenner さんは、自身の部分的に麻痺した手を治すために、時間の制約がある中、遠回りの努力をして整形外科の手の外科医、理学療法医、身体的リハビリテーションの専門医、複数の神経内科医、神経外科医、そして形成外科医にかかることになる。

 1月、2人の Baltimore の外科医が、佳境に差し掛かった時にビデオ通話を介して手術室に参加した New York の専門医の助けにより、顕微鏡手術を行い、今のところその手術は成功が得られているようである。

 「私は何が原因か決してわからないだろうという考えに染まっていました」と Brenner さんはいう。最終的に彼の診断は手術のわずか11日前になってようやくついたのである。「そのようなものは見たことがないとほとんどの医師から言われました」

Saturday Night Palsy 土曜の夜の麻痺

 Maryland(メリーランド州)郊外に住む Brenner さんは最初は肉離れを起こしたと考えた。しかし指を休めても運動機能は改善しなかったため、彼は carpal tunnel syndrome(手根管症候群)の可能性を考え、その負担を軽減するためにエルゴノミック・キーボード(人間工学に基づいて設計されてキーボード)とマウスを購入した。Carpal tunnel syndrome は手首で神経が絞扼されて発症するよく見られる疾患である。しかしそういった改善策も、また抗炎症薬も彼の母指および他の手指の動きの回復には何の役にも立たなかった。

 Brenner さんの内科医は憂慮した;前腕、手関節、および指の運動と感覚を支配する橈骨神経の損傷を疑った。橈骨神経は末梢神経系の一つである。末梢神経は脳および脊髄の外側に存在し、脳と身体の間で情報を伝達する役割がある。

 その内科医は“Saturday Night Palsy(土曜の夜の麻痺)の話を出した。これは、しばしば酩酊したときに人が硬い面に置いた腕の上で眠ってしまって橈骨神経が圧迫されたときに起こるものである。酒を飲まない Brenner さんは、そのようなできごとはなかったと確信を持ってその医師に言った。

 その医師は Brenner さんを整形外科の手の外科医に紹介した。その外科医は彼に右手首を持ち上げるように言ったところ右手首は左に流れ、“thumb up(親指を立てる)”合図をするように言うと彼はそれを実行できなかった。その外科医は深部橈骨神経麻痺と診断し、原因を確定するために超音波検査を行った。

 超音波検査では、おそらく末梢神経鞘腫とみられる大きな正体不明の腫瘤が腋窩から手に伸びる橈骨神経を圧迫しているのがわかった。外科医はこのような腫瘍は稀に悪性のことがあると Brenner さんに説明し、MRI検査を行ったが、驚いたことにそのような所見はみられなかった。放射線医は posterior interosseous nerve syndrome(後骨間神経症候群)を疑った。これは橈骨神経の枝が絞扼されるときに生じる。手の外科医は橈骨神経への圧迫を軽減させる外来手術である radial tunnel release(橈骨神経管開放術)を勧めた(註:前骨間神経は正中神経の枝)。

 7月下旬に Brenner さんに手術を施行したその外科医は彼に、神経は高度に圧迫されていたが、理学療法で徐々に改善するはずだと説明した。

 早くから Brenner さんは、活動のほとんどに対し策を講じてきていた。フォークを握って自力で食べることはできたが、指を伸展できなかったためうまく扱うことができなかった。「左手を使って器具を取り出さないと右手から離すことができませんでした」と彼は言う。「私は多くの魚や切る必要のない食材を食べていました」

 彼は自己流でタイピングすることが上手になっていた;右母指で打つことはもはや選択肢になかった。運転は危なっかしい状態だった。「運転することに非常に神経質になっていたので基本的に片手で運転していました」と彼は言う。

 何週間か過ぎるにつれて、彼は麻痺が左手に広がるのではないかとの心配が増していった。「私ができないことのリストは少なかったですが、もし左手が障害されてしまったらそれがすべてのことになってしまっていたでしょう」と彼は言う。

No improvement 改善なし

 4ヶ月の理学療法を行った11月の初旬、Brenner さんの状態は手術前と変わりがなかった。手の外科医は、神経と筋の機能を評価する検査である electromyography(EMG, 筋電図)と神経伝導検査を目的に physiatrist(理学療法医)に彼を紹介した。

 Brennerさんが手を痛めたいきさつについて覚えがないと話したところ、その理学療法医は疑わしく思っていたようだった。彼が Brenner さんに話したところによると、5年前に、岩の上に横になっている間に腕を敷いて眠り込んで同様の障害が生じた女性を診察したことがあったという。

 EMG検査の途中で、それまで安心させるように振舞っていた医師の態度が変化した。教科書を調べる必要があると言って検査室を出て行ったのである。戻るとすぐに彼は、外科医が手術していない橈骨神経の領域に神経の障害がみられたと説明した。Brenner さんによると、その理学療法医は彼に恐らく2回目の手術が必要になるだろうと話したという。

 手の外科医は、翌朝早くに電話をかけてきて、Brenner さんに神経内科医を受診し90日以内にEMGを再検することを勧めた。初回手術が有効でなかったとしたら次のステップは腱移行術になるとその医師は言った。これは動いていない箇所に筋と腱を移行する手術である。この手術は神経が修復できないほど損傷している場合にしばしば行われる。

 自身の病気について色々と調べてきていた Brenner さんは危機感を抱いた。腱移行術は彼がこの前に受けた手術より大きなものであり、ひどく大掛かりな手術に思われた。「こうなったら知りうることをすべて学んでそれを回避しようと固く決意しました」と彼は言う。「私には全く新しい治療計画が必要だと思ったのです」

 彼は神経内科医を受診し詳細な血液検査を受けた。すべて正常であり、全身的神経疾患や癌は除外できるようだった。その神経内科医は Brenner さんに、原因がわからないので神経外科医の Allan Belzburg(アラン・ベルツバーグ)氏に紹介すると説明した。彼は Baltimore(バルチモア)にある Johns Hopkins Hospital(ジョーンズ・ホプキンス病院)の末梢神経外科のチーフである。彼女(神経内科医)はまた、2度目となるが、より特化した EMG を受けるよう勧めた。するとその検査で、過去に検出されなかった病変が Brenner さんの肘のすぐ上、腕橈骨筋上に見つかった。これは前腕の屈曲に関与する筋肉である。

 Brenner さんは1月半ばに Belzburg 氏と面談した。

 「私は非常に時間的制約を感じていました」と彼は思い起こす。「私は治療されることなく、また改善することもなく6ヶ月間ただ座していたのです」。時間が経てば経つほど、筋萎縮と永続的な麻痺の可能性が高まることを Brenner さんは知っていた。

 Brenner さんを検査し彼の検査結果を再評価した Belzburg 氏は、神経の障害は Parsonage-Turner syndrome(PTS, パーソネージ・ターナー症候群)によるものである可能性が最も高いと彼に説明した。これは、neuralgic amyotrophy(神経痛性筋萎縮症)とも呼ばれる、稀でほとんど知られていない疾患である。PTS の大部分の症例の原因は不明だが、免疫系の異常、あるいは血液循環の変化によって起こる可能性がある。

 典型的には最初の症状とされている疼痛を彼が経験していなかったとしても「実際にそれ以外でこれが当てはまるものはないと彼は私に言いました」そう Brenner さんは言う。女性より男性がより多く罹患するこの疾患は真夜中に襲ってくる肩あるいは上腕の突然の鋭い痛みとしてしばしば始まる。

 1800年代後半に初めて記載された PTS は brachial plexus(腕神経叢)が障害される。これは、腕や手の運動や感覚を支配する肩の奥にある神経のネットワークである。PTS は10万人に約3人が罹患すると推定されているが、相当数の症例が診断されないままになっていると考える専門家もいる。

 報告されている誘因として、細菌感染、covid-19 などのウイルス感染、手術、出産、激しい運動、外傷、およびワクチン接種が挙げられている。Brenner さんは症状が出現した2ヶ月前の2021年4月に2回目の covid の予防接種を受けていた。それが関与したかどうかを知る術はないが、「私は再度それを受けるつもりです」と Brenner 氏は言う。実際彼は10月にブースター接種を受けている。

 PTSの患者にの中には、無治療、あるいは理学療法によって軽快するものもいる;改善がないケースには手術療法が残されている。Belzburg 氏は nerve transfer surgery(神経移植術)を勧めた。この手術は、健康で余剰な神経を Brenner さんの手首から取ってきて、障害された神経にそれを繋いで機能を持たせるものである(ある外科医はそれをケーブル接続に例えている)。

 Belzburg氏は Brenner さんに、彼はそのような手術を、手の手術の高度な訓練を受けている形成・再建外科医である Sami Tuffaha(サミ・タファハ)氏と一緒に行っていると説明した。

 Brenner 氏は形成・再建外科の准教授である Tuffahaと面談したが、彼は神経移植術が回復に向けての最善の期待を提供することに同意見だった。「Brenner さんは手術をすることにやや曖昧な点があることを理解していました」と Tuffaha 氏は言う。彼はこれまで20例の PTS 患者を治療していた。

 誰にも分らなかったことは、何か予期せぬものが見つかった際には彼ら外科医の手術計画が直ちに断念されることになるかもしれないということである。

An OR surprise 手術室での驚き

 外科医らが Brenner さんの腕を切開したとき、彼の最初の手術部に切断された神経のように見えるものが見つかった。より詳しく調べると hourglass-like constriction(砂時計様のくびれ)とみられる稀な神経の変形が明らかになった。これはしばしば PTS の患者でみられるもので神経をきつく取り囲んでいる帯状組織によって生じそれによって神経が砂時計に似たような状態となっているものである。

 Tuffaha 氏によると Hopkins の外科医は以前にこの状態を見たことがなかったため、経験したことのある人物に連絡を取った:ニューヨークにある Hospital for Special Surgery(ホスピタル・フォー・スペシャル・サージェリー)の外科医 Scott W. Wolfe(スコット・W・ウォルフ)氏である。彼は hourglass constriction がみられた PTS 患者11 例の手術成功例を報告した2021年の研究論文を共同で発表していた。Microneurolysis(microsurgical neurolysis, 顕微鏡的神経剥離術)と呼ばれる手技は、帯状組織を解除することで神経を減圧し、細心の注意を払って神経損傷を修復するものである。

 「私たちはFaceTime(Apple社のビデオ通話アプリケーション)を使って彼を手術室に招き、我々の顕微鏡を彼に覗いてもらい、次に何をすべきかについて話し合いました」と Tuffaha 氏は言う。「Scott は microneurolysis が有効であることを私たちに確信させてくれました」。Wolfe 氏は、損傷した神経を保護するために Brenner さんの手首から採取した結合組織でそれを包むよう勧めた。
 この4時間の手術が終わった時、Tuffaha 氏は希望を持ったが、この新しいアプローチが有効かどうか確信はなかった。もし3ヶ月後、Brenner さんに何ら改善がみられなければ、次の計画は彼の足からの神経を用いた移植を行うことになっていた。

 6週間後、術後最初の EMG では神経の再生はみられなかった。Brenner さんはその1ヶ月後に行われる2回目のEMGの結果で覚悟を決めることにした。それは彼に予定されていた移植術の一日前のことである。

 しかしその検査で活動電位の初めての揺らぎが検出されたとき Brenner さんは大喜びした。Tuffaha 氏は目前に迫っていた手術をキャンセルした。

 それ以降 Brenner さんはゆっくりだが着実な進歩を示した。「週ごとに良くなっています」と Brenner さんは言う。現在彼は両手を使って文字を打ち、車を運転している。「今およそ65~75%といったところです。100%に戻ることができるかわかりません」

 Tuffaha 氏によると、Brenner さんは完全に回復できると考えているが、それには18ヶ月を要するだろうという。「私はもはや彼については心配していません」と付け加える。

 Brennerさんは、早い時期に神経内科医を受診していれば良かったと思っているという。そうすれば診断が早まっていたかもしれないからだ。「最初の手術の前に受けられるすべての検査が行われていれば、と思っています」と彼は言う。



Neuralgic amyotrophy(NA, 神経痛性筋萎縮症)は
Parsonage-Turner syndrome(PTS, パーソネージ・ターナー症候群)と
ほぼ同義と考えてよいようだ。


この疾患については、
医學事始のサイトに詳細が記されているのでご参照いただきたい。


神経痛性筋萎縮症は1887年にDewschlfeldらによって最初に記載された。 
その後、1948年に Parsonage と Turner によって、
突然発症する肩周囲の疼痛から上肢の筋力低下をきたす症候群として
初めて1つの臨床病型としてまとめられ医学雑誌 Lancet に報告されている。
一般的には腕神経叢ニューロパチーの一疾患として捉えられていたが、
当初の報告では腕神経叢の障害とは言及しておらず、
現在は病巣を腕神経叢に限定せず腕神経叢由来の神経を主体とした
末梢神経疾患と捉えられている。
本疾患は前骨間神経麻痺と後骨間神経麻痺との関係が深く、
特発性前骨間神経麻痺の症例で神経に
(本記事中で認められ様な砂時計様の)物理的なくびれた所見が
術中所見として報告されるようになり、
PTS でも超音波検査などで同様の所見を認めることから
特発性前骨間神経麻痺と同様の病態が関与していることが示唆されている。

臨床像
肩から上肢に非常に強い神経痛を生じ数時間以内に疼痛は最大となる。
その後、上肢にまだらな筋力低下と萎縮をきたし徐々に改善していくという
経過をたどる。
約半数の症例で誘因が疑われる契機がみられ、感染症、運動、手術、出産、
ワクチン、精神的ストレス、外傷などが挙げられている。
遺伝性の例も認められ、欧米を中心に主に常染色体優性遺伝形式を
示す家系の報告がある。

初発症状では90%で疼痛がみられている。
疼痛出現後、多くは2週間以内に筋力低下が出現する。
障害される筋は様々である。
運動機能は多くのケースで改善するが24ヶ月以上続くケースが
約5%にみられる。
感覚障害は約70%に出現する。

鑑別疾患
頸椎症性神経根症、頸椎症性筋萎縮症との鑑別が困難なケースがある。
肩関節疾患との鑑別も重要である。
その他、多巣性運動ニューロパチー、慢性炎症性脱髄性多発根神経炎、
血管炎性ニューロパチー、絞扼性末梢神経障害、
遺伝性圧脆弱性ニューロパチー、運動ニューロン疾患、平山病、
複合性局所疼痛症候群などが除外診断として挙げられる。

検査
血液検査・髄液検査では特徴的なバイオマーカーは認められていない。
障害筋の同定には針筋電図検査が重要である。
MRI検査で神経の信号異常を認める場合がある。
また超音波検査で神経の絞扼部位が同定されることがある。

治療
自己免疫学的機序が推察されることから、
ステロイドや免疫グロブリンなどの免疫治療の報告はあるが、
標準的治療としては未だ確立されていない。
画像上、神経の絞扼が明らかな場合は、手術を考慮する。
絞扼を認めても自然に改善する場合があるため3ヶ月経過しても
自然に改善しない場合に手術が検討される。
絞扼部位の損傷が著しい場合には腓腹神経による神経移植が
行われることがある。

 

未だ謎の多いこの疾患、
かなり稀ではあるが、頭の片隅には置いておくべきであろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頼れるのは自分だけ

2022-07-18 22:24:58 | 健康・病気

2022年7月のメディカルミステリーです。

 

7月9日付 Washington Post 電子版

 

A tenacious student uncovered the root of an onslaught of broken bones

粘り強い学生は繰り返し骨折に襲われた原因を発見した

When doctors failed to look further, a 24-year-old dug into his medical records and hit pay dirt

医師らは詳しく調べようとしなかったが 24歳の彼はカルテを徹底的に調べ重要なことを見つけ出した

 

(Cameron Cottrill for The Washington Post)

 

By Sandra G. Boodman,

 Aaron Blocker(アーロン・ブロッカー)さんは物心ついてから自身の骨の問題で困らされてきた。

 ひどいO脚で生まれたブロッカーさんは、乳児期、寝るときに金属製の下肢装具を装着することで歩行は可能となった。とはいえ、足は“常に痛かった”と彼は言う。10歳の時、骨折の頻発が始まり、転倒して手を衝き指を数本骨折した。2、3年して彼が初めて鼻を骨折したときには、強くではないが柔らかいプラスチック製の蓋のようなもので挟まれた。

 「私の家族は単に私がどん臭い子であると考えていました」と 30歳の Blocker さんは言う。彼はミシシッピー州 Jackson(ジャクソン)市近郊で育ち、現在もそこで生活している。「私は非常に活発でした」

 Blockerさんによると、長年に渡って、医師らは彼の折れた骨を整復し、脊椎が側方に弯曲した scoliosis(脊椎側弯症)などの他の整形外科的異常を治療したという。しかし Blocker さんが(通常は何十歳も年上の患者に行われる)両側の股関節を置換する複数回の手術を20歳代で受けたときでさえ、詳しく調べることを勧める医師はいなかった。

 それらの人工股関節が想定外に早期に不具合を起こしたことで Blocker さんは、自身の骨格の異常には見逃されている原因があるに違いないと確信した。24歳のとき、生物医学研究の大学院生だった Blocker さんは自身の技能を活用し自らそれを磨いた。彼は数週間かけて自身の診療録を徹底的に調べ、科学的ウェブサイトをスクロールし、ついに重要なことを見つけ出した:その時点では可能性が疑われた診断名だったが、その後遺伝子検査によって確かめられたのである。

 「答えが得られたことでホッとしました」現在保険ブローカーとして働く Blocker さんは言う。「ですが、これがどうしてそんなに長い間見逃されていたのかずっと疑問に思っています」

 その答えは、Blockerさん自身の複雑な病歴に加えて、彼の稀な診断名に対する科学的知見が発展途上であったことを反映している可能性があると、後に彼を診た医師の一人が理論づけている。

 

Tooth trouble 歯の異常

 

 Blockerさんの骨だけが彼の症状ではなかった。

 「歯の発育にも多くの問題がありました」と彼は言う。一般に最も大きく強い歯である臼歯がどういうわけか欠けてしまうのだった。彼が高校を卒業するまでに7本の歯が抜けてしまっていた。Blocker さんにはさらに数多くの虫歯があったが、かかりつけの歯科医は“脆弱な歯”に起因するものと考えた。高校では2本の親知らずが抜かれたがその治癒は異常に遅かった;口腔外科医は彼の下顎骨の脆弱性を指摘したがさらなる精査を勧めることはなかった。

 Blocker さんは10代半ばのとき、右肩の不調を繰り返すようになっていた。最初の時は、ボールを投げているときに脱臼した。睡眠中に脱臼を起こしたこともあったが、この脱臼がどのようにして、またなぜ起こったのかは誰にもわからなかった。

 高校の4年生のとき、Blocker さんは、より緊迫した問題と直面することを余儀なくされた。数ヶ月以上続く腹痛で5フィート10インチ(約178cm)の身長のBlocker さんの体重が100ポンド(約45kg)まで体重が急激に落ちたため2週間入院、Crohn’s disease(クローン病)と診断された。この慢性炎症性腸疾患はひどい下痢と体重減少を起こす。

 彼には、クローン病治療に用いられる主要な薬である prednisone(プレドニゾン)が処方された。Brocker さんによると炎症を抑えるこの副腎皮質ステロイドを、比較的低用量で約8週間内服したという。

 一年後の2011年1月、病気が再発したため Blocker さんは再び入院し腹部CTが施行された。その検査で思いも寄らない憂慮すべき所見が偶然見つかった:両側大腿骨頭の avascular necrosis(無血管性壊死)である。骨密度検査では Blocker さんに重度の osteoporosis(骨粗鬆症)があることも判明した。

 Avascular necrosis は骨への血液供給が阻害されて起こり、組織の崩壊、壊死を生じ、構造の維持が脅かされる。原因として、長期の(特に高用量の)ステロイドの使用、過剰なアルコール摂取、骨折、および様々な内科的疾患が挙げられる。炎症性腸疾患の患者では、カルシウムやビタミンDの吸収能が低下している可能性がある。これにより骨密度に影響が及び、骨が脆弱で壊れやすくなる病態である骨粗鬆症が引き起こされる。

 「整形外科医は私に股関節の骨が壊死しているが、それには prednisone の内服が関係している可能性があると言いました」そう Blocker さんは思い起こす。しかしそれは疑わしいように思われた:彼はその薬を約8週間しか内服しておらず、しかも高用量ではなかったからである。

 一年後、他の治療がうまくいかず、Blocker さんの股関節が潰れ始めたため3ヶ月の間を空けて両側の股関節が手術によって人工関節に置換された。

 「2012 年はほとんど屋内で過ごしました」当時20歳の大学生だった Blocker さんは Mississippi College(ミシシッピ・カレッジ)から一年間の医療休暇を取り自宅に戻っていた。「非常に困難な状況でした」

 

Premature failure 早期の不具合

 

 Blocker さんによると 2011年から2016年の間、再び鼻、手首、さらには何本かの足趾を骨折した。2016年2月のある晩、Blocker さんはベッドに座っていたとき、ベッドサイドのテーブルから何かを取ろうとして身体の向きを変えた。直後に股関節に電撃痛を感じたが、その痛みがかなり強かったため動くことができなかった。妻の Emily(エミリー)さんは友人を呼び、Blocker さんをゆっくりとベッドから起こし車まで運んで近隣の緊急室まで彼を連れて行った。

 医師らは股関節亜脱臼と診断した。Blocker さんは松葉杖で自宅に帰され整形外科医を受診するよう言われた。その医師は彼に、置換された人工股関節が4年も経たないうちに障害されていたと告げた。

 「私は何かがおかしいことを直感していました」と彼は思い起こす。「15年以上は持ちこたえるとみられていたのに不具合になったことは私には全く理解できませんでした。そこで私はこう考えたのです。『他の誰も見つけ出してくれないのなら自分がやってみよう』と」

 Blocker さんは Jackson 市中の医師らの診療所や病院から診療録を集め丹念に調べ始めた。

 何年も遡って調べたところ、彼は通常の血液生化学検査の項目の一つである alkaline phosphatase(ALP、アルカリホスファターゼ)の数値が常に異常に低いことに気が付いた。ALP は主として、肝臓、骨、および消化器系に認められる酵素である。ALPが高値の場合には、癌、肝疾患、あるいは伝染性単核球症が示唆される。一方 ALP が低い場合は、亜鉛欠乏、低栄養、あるいは hypophosphatasia(HPP、低ホスファターゼ症)の可能性がある。HPP はおよそ10万人に1人が罹患する疾患で骨や歯の障害を引き起こす。

 「自分はすべての症状が当てはまると思いました」と Blocker さんは言う。「解明を感じた瞬間でした。『これだったんだ』と私は思いました」

 Hypophospatasia は ALPL 遺伝子の変異によって引き起こされる遺伝性疾患である。この遺伝子異常は歯や骨の発達時にそれらを硬くして強化するためにカルシウムやリンを沈着させる必須の過程である mineralization(石灰化、ミネラル化)を障害する。本疾患にはいくつかのタイプがあり、発症年齢が異なっている。最も重症のタイプは出生前に発症し、一方最も軽症のタイプは歯だけが障害される。

 この病気は、カナダの一州であるマニトバ州の Mennonites(メノナイト)教会員の間で特に多くみられる。そこでは、新生児の2,500人に一人が常染色体劣性遺伝の形式で重症の HPP を持って生まれる。発病には通常それぞれの親から一つずつ受け継がれた二つの変異遺伝子のコピーが必要となる。そのようなケースでは両親は、病気の徴候を示さない carrier(保因者)となっている。一方、それほど重症でないHPP の常染色体優性遺伝タイプでは、この病気を持っている可能性がある片方の親から欠損遺伝子を受け継いで発病する。

 Blocker さんは見つけた論文を家庭医のところに持って行ったが、その医師は HPP を耳にしたことはなかった。彼は Blocker さんを University of Mississippi(ミシシッピ大学)の遺伝学者に紹介し、2017年7月に彼は受診した。

 生下時のO脚、幾多の骨折、骨粗鬆症、股関節置換術の病歴など Blocker さんの診療録を見直すと、その専門医は HPP の遺伝子検査を依頼した。

 その結果で Blocker さんの仮説は裏付けられた。彼はまさにその病気であり、常染色体優性遺伝様式で遺伝を受け継いでいた。Blocker さんは母方の祖父母に育てられていたが、その遺伝子がどちらの親から彼に伝わったかはわからないという。

 「私はホッとしました」どん臭さや運の悪さ以外のことが原因だったという情報を得てそう彼は言う。「自分がおかしな人間ではなく正しかったこと、答えが得られたことは良かったです」

 

Connecting with an expert 専門医とつながる

 

 Blockerさんと彼の医師らは、州外での特殊な治療が必要であることがたちまち明確となった。最も近いところの専門医は Jackson から400マイル北、テネシー州 Nashville(ナッシュビル)にある Vanderbilt University Schoool of Medicine(ヴァンダービルト大学医学部)の内分泌専門医、Kathryn Dahir(キャスリン・ダイル)女史だった。骨代謝障害の専門家である Dahir 女史は HPP に罹患した患者と家族に“ゆりかごから墓場まで”の対応をしている。

 Blockerさんは2018年の初めに Dahir 女史を受診し、Vanderbilt に2日滞在し、Center for Bone Biology (骨生物学センター)で検査と評価を受けた。彼は Dahir 女史がこれまで治療してきた約100人の HPP の患者のうち、病気を自己診断して訪れた数少ない患者の一人である。

 「Aaron は実に賢い――まさに医学的好奇心の強い男性です」と彼女は言う。

 彼のケースが診断されずにきた一つの理由として、彼が罹患しているそれほど重症でない若年発症のタイプはごく最近になって記載されたばかりであるという事実が挙げられると Dahir 女史は言う。「本疾患に対する我々の理解はまさにこの十年間で進んできているのです」と彼女は話す。

 さらに、医師らが Blocker さんの異常に低い ALP 値を追跡しなかった臨床的理由が存在していたかもしれない。つい最近まで、この値の低下は、高値と対照的に臨床的に重要であると必ずしも見なされておらず警戒されていなかったのである。しかしそれは変わってきており、「まさに飛躍的な進歩です」と彼女は言う。

 Blocker さんのクローン病の既往も影響を及ぼした可能性がある。HPP とクローン病との間の関連は知られていないが、「診断をより複雑にしている」と Dahir 女史は語る。「筋骨格的に影響を及ぼす2つの疾患があることは実に困難をもたらします。何が何を引き起こしているのかの解明が困難です」

 彼の健康保険会社と協議の後、Blocker さんへの Strensiq(ストレンジック®) の投与が認められた。これは HPP の治療薬として承認されている唯一の薬剤である。Blocker さんによると、週に6回注射するこの薬剤は彼の保険会社に年間160万ドルの費用がかかるいという。この薬剤はアルカリホスファターゼを補充し、骨の健康状態を改善することを目的に作られている。

 「彼は行える他の治療による影響をほとんど受けていませんでした」と Dahir 女史は言う。彼女は年に2、3回 Blocker さんを診察している。「彼は今のところ調子は良いですが、さらなる手術を受け続けています」

 Blockerさんのクローン病は5年間寛解状態にあるが、HPPに関係した病状は治まっていない。

 今年、これまでに彼は両肘と歯に4度の手術を受けており、また両膝の置換術が必要であると言われている。先月、肘の手術創が治癒せず、Blocker さんは MRSA感染症と診断されたが、それは一年間で2度目のことである。薬剤抵抗性の細菌感染を治療するため強力は抗菌薬の静注投与を受けている。

 

Aaron Bloker さん、妻の Emily さん、と彼らの4歳の息子 Judeくん(Emily Blocker さん撮影)

 

 Blocker さんは、もう少しで4歳になる息子が、自身が苦労して得た知識と経験によって恩恵が受けられるように努めている。「彼は観察を受け続けており、今のところ全く健康です」と Blocker さんは言う。

 医師らが、彼の幾多の骨折、歯の症状、そして ALP の低値の原因を精査するよう進言してくれなかったこと、そして、その診断を見つけ出したのは、彼らのどの人物でもなく自分だったことに彼はいまだに信じられない気持ちでいる。

 「食い違いはどこにあるのでしょう」そう Blocker さんは言う。

 

 

Hypophosphatasia(HPP、低ホスファターゼ症)の詳細については

下記HPを参考いただきたい。

低ホスファターゼ症診療ガイドライン - 日本小児内分泌学会

遺伝疾患プラス ←←かなり詳しい

 

HPP は組織非特異型アルカリホスファターゼ

(tissue-nonspecific alkaline phosphatase; TNSALP)の欠損により

引き起こされる遺伝性骨疾患である。

骨X線検査で骨の低石灰化やくる病様変化が見られるにもかかわらず、

血清アルカリホスファターゼ(ALP)値の低下を認めることが

本疾患の特徴である。

TNSALP の活性低下により、

基質であるホスホエタノ−ルアミン(phosphoethanolamine;PEA)、

ピロリン酸(inorganic pyrophosphate)、

ピリドキサール 5'リン酸(pyridoxal 5'-phosphate; PLP)が

分解されずに体内に蓄積する。

常染色体劣性遺伝を呈する家系が多いが、常染色体優性遺伝を

示す家系も存在する。

日本における重症型の発症頻度は 15万人に1人程度と推定されている。

他の病型の頻度は不明で診断されていない症例が存在する可能性がある。

年齢や重症度の違いにより異なる臨床症状を呈し、通常、

6つの臨床病型(周産期重症型、周産期良性型、乳児型、小児型、

成人型、歯限局型)に分類されているが、それ以外の病型分類も

使用されている。

骨単純 X 線検査では、全身骨の低石灰化、長管骨の変形、四肢短縮、

骨幹端の不整などを認める。

また頭囲の相対的拡大、狭胸郭、頭蓋縫合の早期癒合、病的骨折、

骨痛などがみられる。

その他、けいれん、高カルシウム血症、多尿、腎尿路結石、

体重増加不良、乳歯の早期脱落などの症状を呈する。

HPP は、血清 ALP 活性値が年齢別の正常値と比較して

低下していることに加え、臨床症状および骨 X 線所見から

診断可能である。

確定診断のためには TNSALP の設計図となる ALPL 遺伝子の

解析が有用である。

 

病因

HPP は ALPL 遺伝子の機能喪失型変異によって引き起こされる。

ALPL 遺伝子は 1 番染色体短腕(1p36.12)に位置し、

12 のエクソンから構成されている。

HPP の常染色体劣性遺伝家系においては、

ともに一方の対立遺伝子のみに変異を有する保因者である両親双方から

変異遺伝子を受け継ぎ発症する。

一方、比較的軽症の HPP においてしばしば認められる

常染色体優性遺伝家系においては、一方の対立遺伝子の変異のみで

で症状を呈する。

 

病態

HPP の中心的な病態は骨石灰化障害であるが、TNSALP の活性低下が

低石灰化を引き起こす機序についてはまだ完全には理解されていない。

骨は I 型コラーゲン・オステオカルシンなどから構成される骨基質に

カルシウム・リンを中心とするミネラル(骨塩)が沈着することにより

石灰化を生じ、強度が獲得される。

TNSALP は石灰化阻害物質であるピロリン酸を分解することにより

無機リン酸を産生する。

産生された無機リン酸は骨芽細胞から放出された基質小胞中に

取り込まれる。

基質小胞内で濃縮されたリン酸とカルシウムは結晶化して

ハイドロキシアパタイトを形成、このハイドロキシアパタイトが

コラーゲン線維上に沈着することで石灰化が進行する。

HPP においては、TNSALP の活性低下に伴うピロリン酸の蓄積や

局所のリン濃度の低下により、石灰化障害を来すと考えられている。

骨石灰化障害により骨へのカルシウムの蓄積が妨げられるため、

高カルシウム血症や高カルシウム尿症を示す場合がある。

 

治療

これまでHPP に対する治療は、重症例における呼吸不全やけいれん、

高カルシウム血症などの症状に対する対症療法や、歯科的管理に

とどまっていた。

(重症型でけいれんを起こす人にはビタミンB6が投与され、

乳児型でしばしばみられる高カルシウム血症には、

低カルシウムミルクが使用される)

しかし近年、ALP 酵素補充薬(アスホターゼアルファ)が開発され、

HPP の診療は大きく変化した(商品名:ストレンジック®)。

2012 年に重症例に対する本薬剤の治験において良好な成績が発表され、

骨 X 線検査におけるくる病様変化の著明な改善が認められた。

日本では 2015 年に本薬剤の製造販売が承認されている。

2016 年に発表された国際共同治験の最終報告によれば、

アスホターゼアルファを投与された患者の 5 歳時の全生存率は

84%であった。一方、HPP の自然歴調査における無治療での

5 歳時生存率は 27%であり、 アスホターゼアルファは

本症の生命予後を改善することが示された。

なおアスホターゼアルファの投与においてはカルシウムの骨への

沈着が促進されるため、低カルシウム血症があらわれることがあるので

注意が必要である。

定期的に血清カルシウム値をモニターし、必要に応じて、

カルシウムやビタミン D の補充を行うことが奨められる。

けいれんや歯科症状などの骨外症状に対するアスホターゼアルファの

効果や投与量の至適化については現在のところエビデンスがなく、

今後の検討が必要である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頼れるのは自分だけ

2022-07-18 22:24:58 | 健康・病気

2022年7月のメディカルミステリーです。

 

7月9日付 Washington Post 電子版

 

A tenacious student uncovered the root of an onslaught of broken bones

粘り強い学生は繰り返し骨折に襲われてきた原因を発見した

When doctors failed to look further, a 24-year-old dug into his medical records and hit pay dirt

医師らは詳しく調べようとしなかったが 24歳の彼はカルテを徹底的に調べ重要なことを見つけ出した

 

(Cameron Cottrill for The Washington Post)

 

By Sandra G. Boodman,

 Aaron Blocker(アーロン・ブロッカー)さんは物心ついてから自身の骨の問題で何度も困らされてきた。

 ひどいO脚で生まれたブロッカーさんは、乳児期、寝るときに金属製の下肢装具を装着することで歩行は可能となった。とはいえ、足は“常に痛かった”と彼は言う。10歳の時、骨折の頻発が始まり、転倒して手を衝き指を数本骨折した。2、3年して彼が初めて鼻を骨折したときには、強くではないが柔らかいプラスチック製の蓋のようなもので挟まれた。

 「私の家族は単に私がどん臭い子であると考えていました」と 30歳の Blocker さんは言う。彼はミシシッピー州 Jackson(ジャクソン)市近郊で育ち、現在もそこで生活している。「私は非常に活発でした」

 Blockerさんによると、長年に渡って、医師らは彼の折れた骨を整復し、脊椎が側方に弯曲した scoliosis(脊椎側弯症)などの他の整形外科的異常を治療したという。しかし Blocker さんが(通常は何十歳も年上の患者に行われる)両側の股関節を置換する複数回の手術を20歳代で受けたときでさえ、詳しく調べることを勧める医師はいなかった。

 それらの人工股関節が想定外に早期に不具合を起こしたことで Blocker さんは、自身の骨格の異常には見逃されている原因があるに違いないと確信した。24歳のとき、生物医学研究の大学院生だった Blocker さんは自身の技能を活用し自らそれを磨いた。彼は数週間かけて自身の診療録を徹底的に調べ、科学的ウェブサイトをスクロールし、ついに重要なことを見つけ出した:その時点では可能性が疑われた診断名だったが、その後遺伝子検査によって確かめられたのである。

 「答えが得られたことでホッとしました」現在保険ブローカーとして働く Blocker さんは言う。「ですが、これがどうしてそんなに長い間見逃されていたのかずっと疑問に思っています」

 その答えは、Blockerさん自身の複雑な病歴に加えて、彼の稀な診断名に対する科学的知見が発展途上であったことを反映している可能性があると、後に彼を診た医師の一人が理論づけている。

 

Tooth trouble 歯の異常

 

 Blockerさんの骨だけが彼の症状ではなかった。

 「歯の発育にも多くの問題がありました」と彼は言う。一般に最も大きく強い歯である臼歯がどういうわけか欠けてしまうのだった。彼が高校を卒業するまでに7本の歯が抜けてしまっていた。Blocker さんにはさらに数多くの虫歯があったが、かかりつけの歯科医は“脆弱な歯”に起因するものと考えた。高校では2本の親知らずが抜かれたがその治癒は異常に遅かった;口腔外科医は彼の下顎骨の脆弱性を指摘したがさらなる精査を勧めることはなかった。

 Blocker さんは10代半ばのとき、右肩の不調を繰り返すようになっていた。最初の時は、ボールを投げているときに脱臼した。睡眠中に脱臼を起こしたこともあったが、この脱臼がどのようにして、またなぜ起こったのかは誰にもわからなかった。

 高校の4年生のとき、Blocker さんは、より緊迫した問題と直面することを余儀なくされた。数ヶ月以上続く腹痛で5フィート10インチ(約178cm)の身長のBlocker さんの体重が100ポンド(約45kg)まで体重が急激に落ちたため2週間入院、Crohn’s disease(クローン病)と診断された。この慢性炎症性腸疾患はひどい下痢と体重減少を起こす。

 彼には、クローン病治療に用いられる主要な薬である prednisone(プレドニゾン)が処方された。Brocker さんによると炎症を抑えるこの副腎皮質ステロイドを、比較的低用量で約8週間内服したという。

 一年後の2011年1月、病気が再発したため Blocker さんは再び入院し腹部CTが施行された。その検査で思いも寄らない憂慮すべき所見が偶然見つかった:両側大腿骨頭の avascular necrosis(無血管性壊死)である。骨密度検査では Blocker さんに重度の osteoporosis(骨粗鬆症)があることも判明した。

 Avascular necrosis は骨への血液供給が阻害されて起こり、組織の崩壊、壊死を生じ、構造の維持が脅かされる。原因として、長期の(特に高用量の)ステロイドの使用、過剰なアルコール摂取、骨折、および様々な内科的疾患が挙げられる。炎症性腸疾患の患者では、カルシウムやビタミンDの吸収能が低下している可能性がある。これにより骨密度に影響が及び、骨が脆弱で壊れやすくなる病態である骨粗鬆症が引き起こされる。

 「整形外科医は私に股関節の骨が壊死しているが、それには prednisone の内服が関係している可能性があると言いました」そう Blocker さんは思い起こす。しかしそれは疑わしいように思われた:彼はその薬を約8週間しか内服しておらず、しかも高用量ではなかったからである。

 一年後、他の治療がうまくいかず、Blocker さんの股関節が潰れ始めたため3ヶ月の間を空けて両側の股関節が手術によって人工関節に置換された。

 「2012 年はほとんど屋内で過ごしました」当時20歳の大学生だった Blocker さんは Mississippi College(ミシシッピ・カレッジ)から一年間の医療休暇を取り自宅に戻っていた。「非常に困難な状況でした」

 

Premature failure 早期の不具合

 

 Blocker さんによると 2011年から2016年の間、再び鼻、手首、さらには何本かの足趾を骨折した。2016年2月のある晩、Blocker さんはベッドに座っていたとき、ベッドサイドのテーブルから何かを取ろうとして身体の向きを変えた。直後に股関節に電撃痛を感じたが、その痛みがかなり強かったため動くことができなかった。妻の Emily(エミリー)さんは友人を呼び、Blocker さんをゆっくりとベッドから起こし車まで運んで近隣の緊急室まで彼を連れて行った。

 医師らは股関節亜脱臼と診断した。Blocker さんは松葉杖で自宅に帰され整形外科医を受診するよう言われた。その医師は彼に、置換された人工股関節が4年も経たないうちに障害されていたと告げた。

 「私は何かがおかしいことを直感していました」と彼は思い起こす。「15年以上は持ちこたえるとみられていたのに不具合になったことは私には全く理解できませんでした。そこで私はこう考えたのです。『他の誰も見つけ出してくれないのなら自分がやってみよう』と」

 Blocker さんは Jackson 市中の医師らの診療所や病院から診療録を集め丹念に調べ始めた。

 何年も遡って調べたところ、彼は通常の血液生化学検査の項目の一つである alkaline phosphatase(ALP、アルカリホスファターゼ)の数値が常に異常に低いことに気が付いた。ALP は主として、肝臓、骨、および消化器系に認められる酵素である。ALPが高値の場合には、癌、肝疾患、あるいは伝染性単核球症が示唆される。一方 ALP が低い場合は、亜鉛欠乏、低栄養、あるいは hypophosphatasia(HPP、低ホスファターゼ症)の可能性がある。HPP はおよそ10万人に1人が罹患する疾患で骨や歯の障害を引き起こす。

 「自分はすべての症状が当てはまると思いました」と Blocker さんは言う。「解明を感じた瞬間でした。『これだったんだ』と私は思いました」

 Hypophospatasia は ALPL 遺伝子の変異によって引き起こされる遺伝性疾患である。この遺伝子異常は歯や骨の発達時にそれらを硬くして強化するためにカルシウムやリンを沈着させる必須の過程である mineralization(石灰化、ミネラル化)を障害する。本疾患にはいくつかのタイプがあり、発症年齢が異なっている。最も重症のタイプは出生前に発症し、一方最も軽症のタイプは歯だけが障害される。

 この病気は、カナダの一州であるマニトバ州の Mennonites(メノナイト)教会員の間で特に多くみられる。そこでは、新生児の2,500人に一人が常染色体劣性遺伝の形式で重症の HPP を持って生まれる。発病には通常それぞれの親から一つずつ受け継がれた二つの変異遺伝子のコピーが必要となる。そのようなケースでは両親は、病気の徴候を示さない carrier(保因者)となっている。一方、それほど重症でないHPP の常染色体優性遺伝タイプでは、この病気を持っている可能性がある片方の親から欠損遺伝子を受け継いで発病する。

 Blocker さんは見つけた論文を家庭医のところに持って行ったが、その医師は HPP を耳にしたことはなかった。彼は Blocker さんを University of Mississippi(ミシシッピ大学)の遺伝学者に紹介し、2017年7月に彼は受診した。

 生下時のO脚、幾多の骨折、骨粗鬆症、股関節置換術の病歴など Blocker さんの診療録を見直すと、その専門医は HPP の遺伝子検査を依頼した。

 その結果で Blocker さんの仮説は裏付けられた。彼はまさにその病気であり、常染色体優性遺伝様式で遺伝を受け継いでいた。Blocker さんは母方の祖父母に育てられていたが、その遺伝子がどちらの親から彼に伝わったかはわからないという。

 「私はホッとしました」どん臭さや運の悪さ以外のことが原因だったという情報を得てそう彼は言う。「自分がおかしな人間ではなく正しかったこと、答えが得られたことは良かったです」

 

Connecting with an expert 専門医とつながる

 

 Blockerさんと彼の医師らは、州外での特殊な治療が必要であることがたちまち明確となった。最も近いところの専門医は Jackson から400マイル北、テネシー州 Nashville(ナッシュビル)にある Vanderbilt University Schoool of Medicine(ヴァンダービルト大学医学部)の内分泌専門医、Kathryn Dahir(キャスリン・ダイル)女史だった。骨代謝障害の専門家である Dahir 女史は HPP に罹患した患者と家族に“ゆりかごから墓場まで”の対応をしている。

 Blockerさんは2018年の初めに Dahir 女史を受診し、Vanderbilt に2日滞在し、Center for Bone Biology (骨生物学センター)で検査と評価を受けた。彼は Dahir 女史がこれまで治療してきた約100人の HPP の患者のうち、病気を自己診断して訪れた数少ない患者の一人である。

 「Aaron は実に賢い――まさに医学的好奇心の強い男性です」と彼女は言う。

 彼のケースが診断されずにきた一つの理由として、彼が罹患しているそれほど重症でない若年発症のタイプはごく最近になって記載されたばかりであるという事実が挙げられると Dahir 女史は言う。「本疾患に対する我々の理解はまさにこの十年間で進んできているのです」と彼女は話す。

 さらに、医師らが Blocker さんの異常に低い ALP 値を追跡しなかった臨床的理由が存在していたかもしれない。つい最近まで、この値の低下は、高値と対照的に臨床的に重要であると必ずしも見なされておらず警戒されていなかったのである。しかしそれは変わってきており、「まさに飛躍的な進歩です」と彼女は言う。

 Blocker さんのクローン病の既往も影響を及ぼした可能性がある。HPP とクローン病との間の関連は知られていないが、「診断をより複雑にしている」と Dahir 女史は語る。「筋骨格的に影響を及ぼす2つの疾患があることは実に困難をもたらします。何が何を引き起こしているのかの解明が困難です」

 彼の健康保険会社と協議の後、Blocker さんへの Strensiq(ストレンジック®) の投与が認められた。これは HPP の治療薬として承認されている唯一の薬剤である。Blocker さんによると、週に6回注射するこの薬剤は彼の保険会社に年間160万ドルの費用がかかるいという。この薬剤はアルカリホスファターゼを補充し、骨の健康状態を改善することを目的に作られている。

 「彼は行える他の治療による影響をほとんど受けていませんでした」と Dahir 女史は言う。彼女は年に2、3回 Blocker さんを診察している。「彼は今のところ調子は良いですが、さらなる手術を受け続けています」

 Blockerさんのクローン病は5年間寛解状態にあるが、HPPに関係した病状は治まっていない。

 今年、これまでに彼は両肘と歯に4度の手術を受けており、また両膝の置換術が必要であると言われている。先月、肘の手術創が治癒せず、Blocker さんは MRSA感染症と診断されたが、それは一年間で2度目のことである。薬剤抵抗性の細菌感染を治療するため強力は抗菌薬の静注投与を受けている。

 

Aaron Bloker さん、妻の Emily さん、と彼らの4歳の息子 Judeくん(Emily Blocker さん撮影)

 

 Blocker さんは、もう少しで4歳になる息子が、自身が苦労して得た知識と経験によって恩恵が受けられるように努めている。「彼は観察を受け続けており、今のところ全く健康です」と Blocker さんは言う。

 医師らが、彼の幾多の骨折、歯の症状、そして ALP の低値の原因を精査するよう進言してくれなかったこと、そして、その診断を見つけ出したのは、彼らのどの人物でもなく自分だったことに彼はいまだに信じられない気持ちでいる。

 「食い違いはどこにあるのでしょう」そう Blocker さんは言う。

 

 

Hypophosphatasia(HPP、低ホスファターゼ症)の詳細については

下記HPを参考いただきたい。

低ホスファターゼ症診療ガイドライン - 日本小児内分泌学会

遺伝疾患プラス ←←かなり詳しい

 

HPP は組織非特異型アルカリホスファターゼ

(tissue-nonspecific alkaline phosphatase; TNSALP)の欠損により

引き起こされる遺伝性骨疾患である。

骨X線検査で骨の低石灰化やくる病様変化が見られるにもかかわらず、

血清アルカリホスファターゼ(ALP)値の低下を認めることが

本疾患の特徴である。

TNSALP の活性低下により、

基質であるホスホエタノ−ルアミン(phosphoethanolamine;PEA)、

ピロリン酸(inorganic pyrophosphate)、

ピリドキサール 5'リン酸(pyridoxal 5'-phosphate; PLP)が

分解されずに体内に蓄積する。

常染色体劣性遺伝を呈する家系が多いが、常染色体優性遺伝を

示す家系も存在する。

日本における重症型の発症頻度は 15万人に1人程度と推定されている。

他の病型の頻度は不明で診断されていない症例が存在する可能性がある。

年齢や重症度の違いにより異なる臨床症状を呈し、通常、

6つの臨床病型(周産期重症型、周産期良性型、乳児型、小児型、

成人型、歯限局型)に分類されているが、それ以外の病型分類も

使用されている。

骨単純 X 線検査では、全身骨の低石灰化、長管骨の変形、四肢短縮、

骨幹端の不整などを認める。

また頭囲の相対的拡大、狭胸郭、頭蓋縫合の早期癒合、病的骨折、

骨痛などがみられる。

その他、けいれん、高カルシウム血症、多尿、腎尿路結石、

体重増加不良、乳歯の早期脱落などの症状を呈する。

HPP は、血清 ALP 活性値が年齢別の正常値と比較して

低下していることに加え、臨床症状および骨 X 線所見から

診断可能である。

確定診断のためには TNSALP の設計図となる ALPL 遺伝子の

解析が有用である。

 

病因

HPP は ALPL 遺伝子の機能喪失型変異によって引き起こされる。

ALPL 遺伝子は 1 番染色体短腕(1p36.12)に位置し、

12 のエクソンから構成されている。

HPP の常染色体劣性遺伝家系においては、

ともに一方の対立遺伝子のみに変異を有する保因者である両親双方から

変異遺伝子を受け継ぎ発症する。

一方、比較的軽症の HPP においてしばしば認められる

常染色体優性遺伝家系においては、一方の対立遺伝子の変異のみで

で症状を呈する。

 

病態

HPP の中心的な病態は骨石灰化障害であるが、TNSALP の活性低下が

低石灰化を引き起こす機序についてはまだ完全には理解されていない。

骨は I 型コラーゲン・オステオカルシンなどから構成される骨基質に

カルシウム・リンを中心とするミネラル(骨塩)が沈着することにより

石灰化を生じ、強度が獲得される。

TNSALP は石灰化阻害物質であるピロリン酸を分解することにより

無機リン酸を産生する。

産生された無機リン酸は骨芽細胞から放出された基質小胞中に

取り込まれる。

基質小胞内で濃縮されたリン酸とカルシウムは結晶化して

ハイドロキシアパタイトを形成、このハイドロキシアパタイトが

コラーゲン線維上に沈着することで石灰化が進行する。

HPP においては、TNSALP の活性低下に伴うピロリン酸の蓄積や

局所のリン濃度の低下により、石灰化障害を来すと考えられている。

骨石灰化障害により骨へのカルシウムの蓄積が妨げられるため、

高カルシウム血症や高カルシウム尿症を示す場合がある。

 

治療

これまでHPP に対する治療は、重症例における呼吸不全やけいれん、

高カルシウム血症などの症状に対する対症療法や、歯科的管理に

とどまっていた。

(重症型でけいれんを起こす人にはビタミンB6が投与され、

乳児型でしばしばみられる高カルシウム血症には、

低カルシウムミルクが使用される)

しかし近年、ALP 酵素補充薬(アスホターゼアルファ)が開発され、

HPP の診療は大きく変化した(商品名:ストレンジック®)。

2012 年に重症例に対する本薬剤の治験において良好な成績が発表され、

骨 X 線検査におけるくる病様変化の著明な改善が認められた。

日本では 2015 年に本薬剤の製造販売が承認されている。

2016 年に発表された国際共同治験の最終報告によれば、

アスホターゼアルファを投与された患者の 5 歳時の全生存率は

84%であった。一方、HPP の自然歴調査における無治療での

5 歳時生存率は 27%であり、 アスホターゼアルファは

本症の生命予後を改善することが示された。

なおアスホターゼアルファの投与においてはカルシウムの骨への

沈着が促進されるため、低カルシウム血症があらわれることがあるので

注意が必要である。

定期的に血清カルシウム値をモニターし、必要に応じて、

カルシウムやビタミン D の補充を行うことが奨められる。

けいれんや歯科症状などの骨外症状に対するアスホターゼアルファの

効果や投与量の至適化については現在のところエビデンスがなく、

今後の検討が必要である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする