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煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

“アイスピック” 発作の恐怖

2024-07-19 16:25:49 | 健康・病気

2024年7月のメディカル・ミステリーです。

 

7月13日付 Washington Post 電子版

Medical Mysteries: Shattering ❛ ice pick ❜ headaches upended her life

メディカル・ミステリー:強烈な‘アイスピックで刺されるような’頭痛が彼女の人生を一変させた

Doctors concluded that her repeated stabbing pain signaled migraines until one asked critical questions.

ある医師が重大な質問をするまで、医師らは彼女に繰り返す刺すような痛みは片頭痛を示唆するものだと結論づけていた

 

(Bianca Bagnarelli For The Washington Post)

 

By Sandra G. Boodman,

 

 

 それが起こってから25年以上になるが Patti Glover(パティ・グラバー)さんは最初の症状を詳細かつ鮮明に覚えている。

 当時30歳代半ばだった Glover さんは Las Vegas(ラスベガス)のカジノのクラップス(2個のさいころを使う賭博)のディーラーをしていたが、仕事に出かける身支度をしながらバスルームの鏡の前に立って髪型を整えていたとき、頭頂部の右側をアイスピックで刺されたように感じる痛みに襲われた。その痛みがあまりに強かったので彼女は後方へよろめき、クローゼットのドアにぶつかり、その後がっくりと膝を突き、頭を抱え込んだ。それぞれが数秒間続く矢継ぎ早の発作がおよそ10回ほどみられた後痛みは治まったが、その後痛みは軽度の鈍痛に置き換わり、それが数時間続いた。

 Glover さんはその突然の痛みが何かの病気の前兆ではないかと恐れた。彼女の保護者であり世話をしてくれた人物でもあった最愛の祖父が、彼女が14歳の時に脳動脈瘤の破裂で突然に亡くなっていた。彼の死は Glover さんにとって特にトラウマとなる出来事となっており、混沌とした激しい傷跡を残した小児期は 彼女に post-traumatic stress disorder(心的外傷後ストレス障害)を残していた。

 その後も数ヶ月毎に再発していたそのアイスピックの発作について彼女は1年以上の間、誰にも話さなかった。

 「死ぬときは死ぬんだと思っていました」彼女はそう正当化したことを覚えているが、それは実際には感じていなかった強がりだった。Glover さんによると、医師らによって彼女にも脳動脈瘤が発見されることを恐れていたという。脳動脈瘤は動脈の弱い所にできる膨らみであり、外科的に治療可能であるが、もしそれが破裂すればしばしば致死的となる。

 

Patti Glover さんは自身の頭痛が致死的なものではないかと心配した。(Patti Glover さん提供)

 

 しかし、発作がさらに頻回となったため Glover さんはついに治療を求め、それからほぼ10年に渡って探索を開始、その中には多くの神経内科医により行われた検査も含まれたが憂慮されるものは何も見つけられなかった。大多数の意見は、現在61歳になる Glover さんが migraine(片頭痛)であると思われるというものだった。ただし彼女の症状はその診断に適合しないようであり片頭痛薬の効果も有効ではなかった。

 そのひどく辛い発作を起こしている原因をようやく Glover さんが知ったのは、彼女が受診した7人目の神経内科医となる新たな頭痛専門医がこれまでになかった重要な質問をしたときのことだった。

 「それを片頭痛と呼ばない人物をついに見つけたのです」その医師が疑った病名を告げられたときに思ったことを覚えていると Glover さんは言う。「『何てことでしょう。これだったのか!』と思いました。

 

Episode at the craps table クラップスのテーブルでの発作

 

 最初の発作から約1年後の 2000年、Glover さんは仕事中に発作を経験し、その時には症状が治まるまで賭博台の縁に寄りかかって踏ん張っていなくてはならなかった。

 彼女が信用して秘密を打ち明けた親しい友人は、彼女が医師を受診しないのは“わがままだ”と彼女をたしなめた。「することができていたことをしなかったとしたら、愛してくれている人がどのように思うかを考えるよう求めました」と彼女は言う。

 2001年、特にひどい発作があった後、市販の鎮痛薬が効かない鈍い頭痛が長引いたため、Glover さんは時間外の緊急ケアセンターを受診した。彼女が頭痛は数日間続いており、しばしば遺伝することがある脳動脈瘤で祖父が死去したことを看護師に話すと病院に移送された。

 MRIとCTでは脳には深刻な異常所見はみられなかった。医師らは、知覚や認知を司る頭頂葉に良性の cyst(嚢胞)を見つけた。Glover さんは病院で一晩を過ごしそこで鎮痛薬の注射を受けた。頭痛は消失した。

 医師らはその嚢胞は治療を要しないし、徐々に回数が増していた発作とは無関係であると判断した。それからの数年間に Glover さんは数人の神経内科医と1人の神経心理学医を受診し、てんかん、多発性硬化症、そして認知症が除外された。中には「頭痛は身体表現性障害である」と説明した医師もいた。

 ずっと後になってその医師が他の医師への紹介状に、彼女が somatize(身体化)、つまり身体的ではなく情動的な原因を持つ症状を呈していて、恐らく malingering(仮病を使っている)、すなわち注意を求めたり他の目的のために症状をでっち上げたり誇張している可能性があると書いていたことを彼女は知った。

 「私はがっかりし失望しました」と彼女は言う。「皆、医師を信じて個人情報や個人の経験を委ねるのですが嘘をついていると言って彼らは非難するのですから」

 しかし、医師らが彼女の異常な頭痛の原因を説明することができなかったので、「自分がこの痛みを引き起こしているのではないかと思ったこともありました。しかしその後、その発作に一度襲われると、『私が自分自身にこれを起こしているなんてことは決してない』と思いました」と Glover さんは言う。他の医師たちもこの思いには賛成してくれていたようでした。

 Glover さんは片頭痛であるという共通の見解が持ち上がっていたが、彼女は一度も嘔気や前兆、音や光に対する過敏性、あるいは脈打つ感覚など、片頭痛に特徴的な症状を経験していなかった。片頭痛薬を内服していたが、効果があるようには思われなかったので散発的にしか処方されていなかった。

 2009年、Glover さんが“非常に思いやりのある”と表現する神経内科医に紹介された。彼は原因を解明しようという思いが強かったようで、ヒ素中毒や鉛中毒など多くの疾患について血液検査を行った。しかしすべてが陰性だった。

 当惑した彼は Glover さんを、頭痛の診断と治療について高度の訓練を受けた神経内科医であり、彼が尊敬していた頭痛専門医に紹介した。「彼ならそれを解明できると思います」と神経内科医は Glover さんに説明した。

 彼女もそう思った。

 

A key question 重要な質問

 

 Glover さんが受診した初めての頭痛専門医となるその医師は、彼女の説明を聞いた後、それまで聞きなじんだ質問の一覧を読み上げた。しかしその後彼は2つの新たな質問を追加した:痛みが始まった後に目から涙が出たか?そして頭部外傷の既往があるか?というものだった。Glover さんはその両方に対してイエスと答えた。彼女の右眼からは発作の間流涙があり、しばしば充血がみられた。そして、彼女は7歳の時に車にひかれ外傷性脳損傷の既往があった。

 その医師は書類棚に手を伸ばしファクト・シート(科学的知見に基づく概要書)を取り出してそれを Glover さんに手渡した。彼が彼女に告げたところによると、これこそが原因であると彼が疑うものだという。そしてそれは片頭痛ではなかったのである。

 Glover さんは SUNCT の証拠となる徴候を示していた。SUNCT とは short-lasting unilateral neuralgiform headache attacks with conjunctival injection and tearing(結膜充血および流涙を伴う短時間持続性片側神経痛様頭痛)のことである。頭部の一側に出現、まれなタイプの頭痛で、しばしば極度に痛いと表現される突然の刺すような痛みが特徴的な SUNCT 頭痛は一回の発作当たりの持続が5秒間~ 4分間であり通常日中に発現する。一時間あたり4回から6回の速射的発作がよくみられ、一日600回の発作も報告されている。

 片頭痛や他のタイプの頭痛と異なり、通常みられない症状:すなわち、自然の流涙、あるいは結膜充血として知られている bloodshot eyes(充血した目)によって区別される(Glover さんを含む一部の患者では鼻汁も引き起こされる)。誘因となるものとして、顔面や頭部を触ることや、頸を動かすこと、あるいは咳などがある。しばしば原因は不明とされるが、頭部外傷と SUNCT との間に関連性が言われている。

 SUNCT 頭痛は、顔面から脳へ知覚情報を伝える三叉神経に由来するものと考えられている。治療は発作の予防に焦点が向けられる。てんかんや神経痛の治療薬がしばしば処方される。重症例では局所麻酔薬のリドカインの注射が有用なことがある。

 「これは非常に治療が難しいことがあります」そう話すのは Cincinnati(シンチナティ)の頭痛専門医で、情報支援グループ National Headache Foundation(全米頭痛財団)の理事である神経内科医 Hope O’Brien(ホープ・オブライアン)氏は言う。異常な頭部の痛みの原因として嚢胞や腫瘍を除外することが重要であると彼女は付け加える。

 頭痛は最もありふれた疾患の一つであるが SUNCT 頭痛は大変まれであり多くの神経内科医は症例を経験していない。加えて神経内科の研修における頭痛の比重は依然低いままであると O’Brien 氏は言う。

 O’Brien 氏は過去15年間に2、3人の SUNCT の患者を治療したことがあるという。対照的に片頭痛は4,000万人の米国民が有していると推定されている。一部の患者では複数のタイプの頭痛を持っておりさらに診断を複雑にしている(頭痛のタイプは100以上ある)。

 O’Brien 氏は、医師が可能性を絞るのに役立てるため、患者には、自身の頭痛症状だけでなく、その頻度、持続時間、痛みの部位などを詳しく記載した日記をつけるよう助言している。

 

‘I know it will pass’ ‘楽になると思っている’

 

 Glover さんは SUNCT の診断を聞いて頭がクラクラしたが一方で安堵したことを覚えている。「私はこう言いました。『これが私。私は死ぬことはない』と」

 しかし、この病気を抱えて生きることはむずかしく、効果的な治療は得がたいことがわかっている。数年間彼女が内服した複数の強力な抗けいれん薬は彼女を“zombie(元気のない人間)”に変えてしまったと Glover さんは言う。

 10年前、Glover さんは complex PTSD(複雑性 PTSD)の治療を受けたという。これは単一の出来事によるというより長期間に渡って起こったトラウマに起因する病型である。治療により彼女は自身の頭痛にも、他の生活上のストレスにもうまく対処できるようになっていると彼女は言う。

 試行錯誤を経て Glover さんと彼女の担当医らは片頭痛の治療に用いられる薬剤である naratriptan(ナラトリプタン)が発作の予防にいくらか有効であることを発見した。発作は最近までおおむね毎週起こっていた。

 4月、機能異常を来していた胆嚢の摘出手術を受けた。それ以後、非常に喜ばしいことに Glover さんはわずかに2回の発作しか経験していない。彼女は何年か早く胆嚢を摘出してもらっていればと冗談を言い、彼女の神経内科医に SUNCT と胆嚢疾患の関係の可能性について尋ねるつもりだ。

 Glover さんによると、何年間も彼女を肉体的、精神的に悩ませてきたアイスピックの発作の原因を最終的に発見してくれたあの頭痛専門医に深く感謝しているという。

 「私はもはや神経質でピリピリした人間ではありません。私はそれが何であるかを知っていますし、楽になるだろうと思っています」と彼女は言う。

 

 

 

結膜充血および流涙を伴う短時間持続性片側神経痛様頭痛発作(SUNCT)

についての詳細は以下の各サイトをご参照いただきたい。

MSDマニュアル

桑名眼科脳神経クリニック

日本頭痛学会

 

以下に示す診断基準を満たす発作を

『短時間持続性片側神経痛様頭痛発作』と呼び、

これに結膜充血と流涙の両者が認められる場合には SUNCT、

眼症状のどちらか一方のみを合併する場合には

頭蓋自律神経症状を伴う短時間持続性片側神経痛様頭痛発作

(SUNA, short-lasting unilateral neuralgiform haeadache attacks with

cranial autonomic symptoms,)に分類する。

 

診断基準

  • 以下のB~Dを満たす発作が20回以上ある。
  • 中等度から重度の一側性の頭痛が、眼窩部、眼窩上部、側頭部、または

その他の三叉神経支配領域に単発性あるいは多発性の刺痛、

鋸歯状パターンとして1~600秒間持続する。

C. 頭痛と同側に少なくとも以下の5つの頭部自律神経症状あるいは徴候の

  1項目を伴う

  • 結膜充血または流涙(あるいはその両方)
  • 鼻閉または鼻漏
  • 眼瞼浮腫
  • 前額部および顔面の発汗
  • 縮瞳または眼瞼下垂(あるいはその両方)
  1. 発作の頻度が1日に1回以上である。

  (『短時間持続性片側神経痛様頭痛発作』の活動時期の

   半分未満においては発作頻度はこれより低くてもよい)

  1. 他に最適な ICHD-3(国際頭痛分類第3版)の診断がない。

 

SUNCT は、典型的には眼窩周囲の疼痛発作の頻度が1日に1回以上あり、

通常顕著な疼痛側の眼の流涙及び充血を伴う。

群発頭痛の持続時間が15分~180分であるのに対して、

SUNCT もしくは SUNA では数秒から10分以内と短い。

痛みの起こり方には、単発性、多発性、鋸歯状の3種類がある。

鋸歯状とは痛みが続く中でズキッとする痛みが周期的に出現するような

パターンとなる。

鋸歯状パターンの場合には群発頭痛との鑑別が難しいことがある。

群発頭痛では疼痛の強さが常に一定であるのに対して、

SUNCT・SUNAでは疼痛の強さに強弱がある点が臨床的な鑑別点となる。

また、群発頭痛で効果を示すスマトリプタンがSUNCT・SUNAでは

無効なことが多い。

三叉神経痛との鑑別が難しいケースがあるが、流涙や結膜充血といった

自律神経症状の有無が重要な鑑別点となる。

ただしSUNCTには三叉神経痛や群発頭痛を合併している症例も存在する。

 

治療

SUNCTは難治性頭痛で、長期経過や転帰については不明な点が多い。

急性発作に対してはリドカインの静脈注射が最も有効との報告がある。

予防的薬物療法としてラモトリギン、トピラマート、ガバペンチンなどの

抗てんかん薬で有効例が報告されている。

薬物抵抗例には三叉神経節熱凝固、γナイフ、微小血管減圧術などが

行われることもある。

 

まれな疾患であり、知っていなければ診断できない疾患とみられるが、

アイスピック、短時間、眼症状がキーワードで、

これによって患者が救われることになりそうだ。

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妊娠中・産後の腰痛は当たり前?

2024-06-30 11:04:08 | 健康・病気

2024年6月のメディカル・ミステリーです。

 

6月22日付 Washing Post 電子版

 

 

Medical Mysteries: A new mother is felled by ferocious back pain

メディカル・ミステリー:新米のママは激しい背部痛で倒れた

While breastfeeding her new baby, she developed intense, unexplained pain that kept getting worse.

生まれたばかりの赤ちゃんに授乳していたとき原因不明の非常に強い痛みに襲われたがその痛みは悪化し続けた

 

By Sandra G. Boodman

(Bianca Bagnarelli For The Washington Post)

 

 Aimee Lucido(エイミー・ルシード)さんは最悪の時は去ったと思いたかった。彼女の娘 Lyra(ライラ)ちゃんが2023年7月に生まれて2週間後、カルフォルニア州 Berkeley(バークリー)に住む、当時32歳の Lucido さんに腰の痛みが出現したが、その痛みは当初は軽症だったがその後まともに生活できないほどに急速に増悪した。

 彼女の両親が支援するためにノースカロライナから飛んできた。彼らの10日間の滞在中は、夫が職場復帰してから Lucido さんへの負担が増していた乳児ケアの重要な柱である頻回の腰屈めや抱き上げの動作から解放された。

 「随分気分が楽になりました」そう彼女は思い起こす。彼女は児童書の作家だが、雑誌 The New Yorker や新聞 New York Times のクロスワードパズルの考案も行っている。

 

 しかし彼女の安堵は長続きしなかった。

 彼女の両親が去って数日後、Lucido さんは、ある日の早朝によろめきながらトイレに行ったとき意図せず激しく便器に座ってしまった。即座に腰に不快な震えを感じ、続いて電気が流れるような感覚が背骨に走った。続いて激しい嘔気に襲われた。痛みで意識を失うかもしれないと思った Lucido さんはトイレの床に横たわった。それから彼女は夫を起こし、ER に行く必要があることを彼に伝えた。ER では背中のひきつけを治療する薬が投与された。

 

Aimee Lucido(エイミー・ルシード)さん. (Courtesy of Aimee Lucido)

 

 その後、Lucido さんには一時的に歩行器が必要となり、シャワーを浴びたり、着替えをしたり、あるいは赤ちゃんの世話をすることもできないほどの強い痛みの未知の原因を明らかにするまでに、ERへの2度目の受診、数人の専門医への受診、さらにはラッキーな結果をもたらしたオンラインでの検索を要することになる。

 この病気は彼女の生活をひっくり返し、彼女の回復を可能とするために予定していなかった国内での移住が必要となったが、その経過には数ヶ月を要するとみられた。

 「私は心から皆さんにこの病気について知ってもらいたいです。というのも、認識の欠如こそがこの病気がしばしば重症化してしまう原因となるからです」と彼女は言う。もっと早期に原因がわかっていたら、そのリスクを減らし、被害を最小に抑えるために単純な手順を踏むことが Lucido さんにはできていたのである。

 

Slip and fall 滑って転ぶ

 

 特に問題のなかった妊娠中、そしてそれ以前も、Lucido さんはランニングをし、バーベルを持ち上げ、自転車に乗っていた。彼女に軽度の背部痛が起こった時、心配はしなかった。

 赤ちゃんを持つ彼女の友人たちが様々な疾患と取り組んでいたので、Lucido さんは背部の症状について少しは知っていた。2021年7月、彼女は自宅で滑って転倒し、木の階段の角に背部を打ち付けていた。X線写真で脊椎椎体の圧迫骨折が認められた。

 Lucido さんは回復するまで背部の装具を着用した。3ヶ月経って、「それまで一度も経験したことのないような怪我でした」と彼女は振り返った

 共に50歳代後半までに骨粗鬆症と診断されていた彼女の両親に促されて Lucido さんは渋る医師らを説得し骨密度を評価する DEXA scan(二重X線吸収法による画像検査)を受けた。この非侵襲的検査は高エネルギーのX線を用いるもので、彼女のスコアは -3.3 と、とりわけ若年成人にしては異常に低く、骨がもろく脆弱となり骨折しやすくなる病態である骨粗鬆症を示唆するものだった。

 2022年に Lucid さんが受診した内分泌専門医は、彼女が妊娠をめざしていたことを知り、彼女に十分な量のカルシウムとビタミンDを摂取し、子作りが終わったら再び受診するよう助言した(骨粗鬆症の薬は妊娠中は勧められていない)。彼女の骨密度が低いため、彼女には授乳期間を約6ヶ月に制限することを考慮した方が良いと彼は軽い態度で助言した。

 それから一年半が過ぎ(その間に出産し)彼女が最初にERを受診した後、Lucido さんは授乳が背部痛の増悪に関係するかどうか調べようとした。2人目の内分泌専門医、プライマリケアの physician assistant(PA, 準医師資格者)、理学療法医、および、数人の lactation consultants(授乳コンサルタント)からの返答は明確に“否”だった。

 彼らはそのような関連性は聞いたことがないと彼女に説明し、今のところ発見されていない何かが彼女の痛みを起こしていると考えた。

 

 

エイミー・ルシードさんと彼女の娘 ライラちゃん (Courtesy of Aimee Lucido)

 

.

 彼女が妊娠前に受診した内分泌専門医の予約を取ることができなかったので Lucido さんは2人目の内分泌専門医を受診した。Lucido さんは捻って筋肉を痛めたと思われるとその女性医師は説明した。

 「『骨粗鬆症だからという理由だけであなたから授乳のチャンスを奪いたくはありません』と彼女は言いました」そう Lucido さんは思い出す。

 彼女が ER を受診して数週間後の11月中旬には歩行が困難となっていた。Lucido さんは大量の抗炎症薬と筋弛緩薬を内服し、一日の多くをソファの上で過ごしていた。彼女を支援するために彼女の妹が東海岸からやってきた。

 プライマリケアとして彼女が受診した PA によって施行されたX線検査とMRIでは予測していなかったものが明らかになった:椎間板ヘルニアに加えて、彼女の下位脊椎に2ヶ所の新たな軽度な骨折がみられたのである。前者は通常、加齢による変性、あるいは外傷によって引き起こされる。それらの原因は明らかではなかったが、トイレでのエピソードの結果である可能性があった。

 Lucido さんが心配に思ったのはそれ以上の精査には誰も関心がないように思われたことだった。彼女は次に起こるかもしれないことを危惧する気持ちが強くなっていたことを覚えている。

 

Spilled milk こぼれた牛乳

 

 2023年12月上旬のある朝、Lucido さんが歯を磨いていると、腰に異様な痛みを感じた。それはまるで「自分の脊椎が2点でバランスを取っている2本の鉛筆でできているようでした」という。

 彼女は用心深く階下に降りていき、冷蔵庫から牛乳を取り出したが、調理台を見誤ったと思った彼女は牛乳パックが床に落ちるのを回避しようとして身体を捻って手を伸ばした。するとたちまち、自分の腰に火がついたような感じがした。Lucido さんは痛みで叫びながら床に倒れ込んだ。

 夫と妹がその部屋に駆け込むと彼女が胎児の様に丸くなっているのを発見し、911に連絡した。救急医療隊員が彼女に強力な抗炎症薬を飲ませ、彼女が sciatica(坐骨神経痛)かもしれないと言った。これは下肢に始まる神経痛でありしばしば椎間板の障害によって引き起こされる。

 ERでは医師は当惑している様子だった。Lucido さんが彼に、以前 Valium(精神安定剤)とリドカインで痛みが抑えられたと話すと彼はそれらを指示した。しかし、彼は Lucido さんからのX線検査の要求を拒否し、彼女には背中の固定装具や歩行器を提供することはできないと、その理由を説明することなく彼女に告げた。

 Lucido さんによると彼はイライラが増しているようだったという。背中のひきつけが「厄介である」可能性があることを彼は知っており、事実そう言ったことを彼女は覚えている。しかし彼の勤務時間は数時間で終わったが、彼女が帰るまで彼は帰ることができなかった。彼は杖を勧め、もし彼女が歩けないようであれば 『assisted living(介護生活)』となる可能性があると言った。

 彼女によると、結局、2回目の注射の後、歩行器が見つかったので、彼女はよろよろと足を引きずりながら病院を出たという。

 Lucido さんは生後4ヶ月の娘の断乳をしなければならないと考えた。「授乳があまりに難しくなっていました」と彼女は言い、自身の痛めた背中をかばいながら一時もじっとしていない赤ちゃんの世話をするには痛みを伴うねじ曲げが必要だったからである。

 彼女と彼女の家族はインターネットで情報を探し始め、骨疾患の治療を専門とする湾岸地域の数少ない内分泌専門医の乏しい受診予約を急いで取ることにした。

 Lucido さんは授乳回数を減らし、その後中止したところ彼女の痛みは軽減した。しかし12月下旬のある夜、寝ている時に身体を伸ばすと尾骨近くでなにかが弾けるような感じがした。X線検査で2箇所の新たな脊椎骨折が見つかった。

 

‘The clouds parted’ 雲間が晴れた

 

 一方、彼らの探索は報われた。Lucido さんの母親は不思議なほど聞き慣れた病気を記載している報道発表を見つけたのである。コロンビア大学 Irving Medical Center(アーヴィング医療センター)が 2018年に内分泌専門医の Adi Cohen(アディ・コーエン)をトップとして、pregnancy- and lactation-associated osteoporosis(PLO、妊娠・授乳関連骨粗鬆症)と呼ばれる稀な疾患を持つ女性を集め、研究し、治療するプログラムを立ち上げていたのである。

 若年発症骨粗鬆症―50歳未満で発症する骨粗鬆症―の重症型である PLO は妊娠後期あるいは授乳中に、母親のカルシウムの喪失が骨密度の一過性の減少を引き起こし発病する。約1000万人の米国民が罹患する高頻度の閉経後の骨粗鬆症と違って PLO は稀であるが、どの程度稀であるかはわかっていない。

 本疾患については70年以上前に記載されているが、その病態についてはほとんど知られていない。誤診されることが多く、多くの医師が症例を経験していない。

 カルシウムの喪失は授乳の中止後に回復し、人生の後半の骨粗鬆症の発症リスクに影響を及ぼさないようである。しかし PLO の女性ではカルシウムの減少は脆弱性骨折、すなわち転倒あるいはその他の外傷に起因しない骨折、をもたらし、深刻な背部痛を起こし得る。これらの女性の一部では閉経後骨粗鬆症を発症するリスクが高い可能性がある。

 治療の第一段階は授乳を中止することである。2023年の Cohen らによる PLO の女性177 例の2023年の調査では平均年齢は約32歳で、骨折のほとんどは最初の妊娠中と授乳中に発生していた。ほぼ半数例で5ヶ所以上の骨折が報告されており、通常は脊椎にみられていた。

 回復は様々である。骨密度の自然回復は出産後1年以内に起こり得るが一部の女性では骨粗鬆症の薬物治療が有効である可能性がある。

 「それはまるで雲間が晴れたかのようでした」その診断名について読んだとき Lucido さんはそう思ったことを覚えている。

 Lucido さんは Cohen 氏とEメールを交換した。彼女の理学療法医の助けにより、彼女はサンフランシスコにある University of California(カリフォルニア大学)で骨疾患を専門にしている内分泌専門医・Muriel Babey(ミュリエル・ベイビー)氏の迅速な受診予約を確保することができた。

 Babey氏は Lucido さんを PLO と診断し、彼女のケースには骨粗鬆症の家族歴を含む遺伝的素因が関っているのではないかと考えているという。彼女が授乳を中止して程なくして行われた2度目の DEXA 検査では Lucido さんの骨密度は -4.2 まで低下していた。そして彼女が授乳していた4ヶ月間に8ヶ所の骨折が認められた。

 妊娠可能年齢の女性で DEXA 検査を受ける女性はほとんどいないため(一般に本検査は65歳で始めることが推奨されている)、大多数の人たちは骨折をするまで骨密度が低いことを発見されることはない。

 「もし最初からきわめて骨密度が低い場合、合併症を起こす危険性があります」と Babey 氏は言う。彼女は Lucido さんに骨を強化することを期待して注射可能な骨粗鬆症の薬を投与することを推奨した。

 「私はずっと、ずっと良くなっています」5月に Lucido さんはそう話す。ニューヨークへの2週間の旅行から帰ってきたところだったが、その旅行ではたくさん歩いたそうで、それは1月には想像もできなかったことである。

 「私は希望にあふれていますが、かつてしばらくの間、それは『そもそも再び歩くことができるようになるだろうか』というものだったのです」と彼女は言う。

 彼女の診断は大きな生活の変化をもたらした。たちまちさらなる支援が必要だったので、Lucido さんと彼女の夫は3月に Berkeley の自宅を売却し、一時的にノースカロライナの Lucido さんの両親のもとに引っ越した。彼らは8月にニューヨーク市郊外へ引っ越す予定である。

 「遠く離れることはできないと考えたのです」と Lucido さんは言う。最近彼女は Cohen 氏の患者となり Columbia 大学の調査研究に登録されたからである。

 現在彼女は概ね痛みはなく、授乳を中止して以降は骨折もないが、Lucido さんの長期予後は不明確である。PLO の危険性があるとわかっていたら決して授乳していなかっただろうと彼女は言う。彼女は転倒することを心配しており、それを回避するよう用心している。彼女はランニングをやめ、前かがみには注意し、重いものを持ち上げないようにしている。

 Lucido さんが最も懸念し、腹立たしく思ったことは、とりわけ無力感を抱いていたときの自身の痛みのひどさについての周囲の懐疑的態度とその原因に対するあからさまな無関心だった。

 「私は入浴することもパンツを履くこともベッドから起き上がることもできませんでした。『健康な33歳がどうして原因不明の骨折を起こすのかについて誰も知りたいと思わないの?』と思っていたことを覚えています」と Lucido さんは言う。

 

 

 

pregnancy- and lactation-associated osteoporosis(PLO:妊娠・授乳関連骨粗鬆症)

についての詳細は以下のサイトを参照いただきたい。

 

PLO患者向けコミュニティサイト

済生会兵庫県病院のサイト

骨検:骨にも検診プロジェクト

 

PLO は産後骨粗鬆症や妊娠骨粗鬆症とも言われる。

妊娠・授乳期にみられる骨粗鬆症であるが、原因はよくわかっていない。

先天的要因に加えて、低体重、カルシウム摂取不足、運動不足、飲酒、

喫煙などの後天的な要因があると考えられている。

それ以外にはステロイド使用、クローン病やセリアック病などの腸の病気、

妊娠中の抗凝固薬使用、甲状腺機能亢進症、クッシング症候群、腎臓病など

骨粗鬆症が起こりやすい病気でも発症する可能性があるとされている。

骨折を起こす例は初産婦が多く、およそ7割を占めているが

初産婦に多い理由はわかっていない。

 

妊娠後期になると赤ちゃんの骨を作るために母体より胎盤を通じて

カルシウムが供給される。このため母体のカルシウムは減るが、

妊娠中は胎盤から大量のビタミンD が放出されるため、

食事で摂取したカルシウムの腸管からの吸収が増えて不足分を補っている。

しかし出産後は胎盤がなくなるためビタミンDの供給が減少する。

これによりカルシウムの腸からの吸収が激減する。

また胎盤等から分泌されていたエストロゲンの分泌量も急激に減り、

骨吸収が促進され骨密度の低下につながる。

さらに授乳を行うとカルシウム(日本人で1日当たり200-250㎎)が

母親から乳児へ移動する。その減少分は母親の骨から補うことになり

母親の骨粗鬆症が進行し骨折を起こしやすくなる。

 

症状:

妊娠後期から授乳期(産後半年以内)に腰や背中の痛みで発症することが多く、

特に動作時や咳やくしゃみで、背中から腰にかけて痛みが走る。

骨折部位は肋骨、手関節、脊椎、大腿骨頸部など通常の高齢者の骨粗鬆症と

大きな違いはないが脊椎骨折が比較的多い。

脊椎骨折をおこすと痛みのために赤ちゃんの世話ができないため

入院が必要となることもある。

 

診断:

骨粗鬆症の検査には血液検査と骨密度検査がある。

血液検査ではTRACP-5bなどの骨吸収マーカーや

P1NPなどの骨形成マーカーの検査をおこない、

骨吸収と骨形成のバランスを見る。

骨粗鬆症ではTRACP-5bが正常値を超えて増加している。

骨密度検査は超音波で測る方法とレントゲンを使う方法がある。

妊娠中は超音波検査を、出産後はレントゲン検査を用いることが多い。

骨密度は若い人たちとの比較であるYAM(young adult mean)で

判定することが多く、閉経後骨密度測定では70%以下で骨粗鬆症と

診断される。

若年者でも70%以下を異常値とすることが多い。

腰痛や背部痛が続く場合X線撮影やMRIで調べるが、PLO による骨折の場合には

高齢者でみられるような明らかな圧迫骨折と異なり

X線撮影では見つけにくいことが多くMRIでの検査が必須となる。

妊娠中や出産後に腰痛が気になって病院を受診しても、

X線撮影のみでは「よくある腰の痛み」と誤診されてしまうことも多い。

 

治療:

脊椎の骨折に対しては鎮痛薬やコルセットで治療を行う。

骨折を生じた場合は、ビタミンDの服用を開始し、出産後であれば

骨密度の低下に応じて骨吸収抑制薬や骨形成促進薬が用いられる。

骨折すると母親のカルシウム値を維持するため母乳授乳を中止することが多いが、

一律に断乳すべきか否かについては議論がある。

 

PLOの予防で一番大事な点は自身の骨密度を調べておくことである。

特にやせて食事量が少ない人、好き嫌いが多く偏食のある人、

骨折歴のある人などでは注意が必要で、妊娠前(妊活中)の骨密度の測定が望ましい。

また妊娠中から食事でしっかりとカルシウムを取り、運動を行って

骨の強化を図ることも重要である。

 

とにもかくにも『閉経前でも骨粗鬆症になりうる』ということを

日頃から頭に入れておくことが大切だ。

 

 

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漠然とした体調不良に潜んでいた大病

2024-05-30 16:49:05 | 健康・病気

20245月のメディカル・ミステリーです。

 

525日付 Washington Post 電子版

 

Medical Mysteries: She went undiagnosed until almost too late

メディカル・ミステリー:彼女はほとんど手遅れになるまで診断されなかった

When a 39-year-old woman complained of feeling off, her doctors mostly blamed stress. A key reason: She didn’t fit the profile for a devastating disease.

39歳の女性が身体の不調を訴えたとき、かかった医師はほとんどかストレスのせいにした。その主な理由:彼女が深刻な病気のプロファイルに適っていなかったからだ。

 

By Sandra G. Boodman,

(Bianca Bagnarelli For The Washington Post)

 

この数週間、Ann Malik(アン・マリック)さんは本調子ではなかったがどこが悪いのかを指摘することはできなかった。治療を要さない軽症の喘息の病歴がある以外、この39歳の女性は健康だった。そのため、彼女の家庭医が不快感と倦怠感の原因が軽度の貧血であると考えたとき Malik さんはその説明に安心し、良くなるだろうと考えた。

 しかし、鉄補給サプリメントを開始して2ヶ月後、彼女の体調は増悪した。

 「私は不安になり気が滅入りました」ロードアイランド州 Barrington(バーリントン)に住む Malik さんはそう思い起こす。当時彼女は、ベテランのトライアスロン選手である夫の Vinu(ヴィヌ)さんと共に始めた2つの小さなスポーツ関連のビジネスに携わっていて、3歳、5歳、7歳の3人の幼い子供たちを育てていた。プライマリケア医の助言により Malik さんは抗うつ薬の内服を始めた。

 しかしそれも効果がなかった。Malik さんの食欲は減退し、体重が減り、不眠となり、あらゆることに落ちこぼれた感じがした。彼女自身が不思議に思ったのは、医師らによって深刻な病気は何も発見されてなく、症状はストレスによる影響が大きいと考えられたにもかかわらず、自分が自身の健康にそこまで固執するのはなぜなのかということだった。

 彼女に最初に症状が現れて9ヶ月後、Malik さんは、自身にいかに予知能力があったかを知ることになる。その時彼女は集中治療室に入り生き延びるために闘う羽目になっていたのである。

 「とはいえ、その病名が私の頭に浮かんだことはありませんでした。一度たりとも」自身の受けた診断について Malik さんはそう話す。医師らがその疾患について話したことはなかったし、それを考慮していたようにも思えませんでした」

 その主な理由はこうだ:Malik さんは、その疾患のプロファイルに適っていない患者群の代表のようだったからである。彼女の症状が、そして後に彼女が知ったのであるが、彼女の画像検査の解釈では、よりありふれた病気に原因があるとされていたのである。

 Malik さんは別の点でも異例である:彼女はこれまでの通例を覆したのである。彼女が診断された2014年9月、彼女の疾患がかなり進行していたので、一ヶ月以上の余命は期待出来ないと、医師らは夫に伝えていた。

 ところが10年後となる現在、彼女は50歳の誕生日祝いを楽しみにしている状況にある。

 

Ann Malik さん (Ann Malik さん提供)

 

Ill-defined unease 漠然とした不安

 

 最初の徴候は漠然としたものだった。

 「どこかが悪いという感じがありました」と Malik さんは思い起こすが、それが貧血の診断につながった。飲み薬で鉄欠乏は改善したようであったが Malik さんの不調は深まった。彼女は、ベッドで横になった時、痛みはなかったが、なんとなく“膨満している”ように感じた右上腹部を見つめていたことを覚えている。

 Malik さんは、自身の健康に集中した不安や心配の漠然とした感覚が増大し徐々に消耗させられていく感じが増していた。「私はそれまで不安を伴う問題を抱えたことはありませんでした」と彼女は言う。

 彼女のプライマリ医はうつ病のスクリーニング検査(depression screen)を行った。これはこの問題を発見するように考案された質問票である。Malik さんによると彼女は「テスト結果が悪かったので、『ワォ、これはすべて心の問題なんだ』と思いました」という。3月ころ、医師からの提案で彼女は抗うつ薬の内服を開始した。さらに彼女は、薬物治療と身体活動を組み合わせることで気分が高まることを期待して運動目的でウォーキングやヨガの実践も始めた。

 しかし思うようにはいかなかった。Malik さんは5月には食欲がなくなり体重が減り始めていた。「食べ物が私にはおいしく感じられませんでした」そう彼女は思い起こす。さらに彼女は寝汗と不眠にも悩まされていた。

 彼女の夫が友人の医師に話したところ、彼は内分泌専門医を受診することを勧めた。甲状腺の異常など代謝関連の問題が彼女の症状を説明できる可能性があった。複数の血液検査の結果が吟味されたが正常だったためその内分泌専門医は Malik さんにストレスを減らすことを提案した。

 「その女医は、私が若い母親であり、仕事もしていたので、私には休暇が必要であることは確かに理にかなっていると説明しました」そう Malik さんは覚えている。「私は負担の多すぎる自身の生活のために体調が悪くなっているという事実を既に認めていました。でも私は、同僚たちも皆、私を同じことをしているのを知っていました。だから困惑していたのです」

 より実践可能な助言を求めて Malik さんは代替医療施術者を受診した。彼女は adrenal fatigue(副腎疲労)と診断した。これは医学一般に認められた診断名ではなく、正しくは fatigue(倦怠感)、anxiety(不安)、およびinsomnia(不眠)などの症状の集合的状態像である。

 彼女は Malik さんに特殊な血清を用いるとともに、食事を見直し、ストレスを軽減することを勧めた。「自分の症状は自身の責任だと感じました。ただうまく立ち回れていなかったのです」と Malik さんは言う。

 数週間後、彼女はひどい風邪をひき、それは数日間長引いた。

 

Battling pneumonia 肺炎と闘う

 

 7月上旬、Malik さんは Providence(プロビデンス, ロードアイランド州の州都)郊外の自宅にいて何とか頑張ろうとしていたとき血液を喀出した。動揺した彼女が家庭医に電話をかけると、その医師は胸部レントゲン検査のために彼女を紹介した。

 レントゲン検査では彼女の右肺の下葉にウイルス、細菌、真菌等によって引き起こされる感染症である肺炎が起こっているようだった。彼女に最近みられていた肉離れ様の胸部や背部の痛み、そして計10ポンド(約4.5kg)に及ぶ意図されない体重減少は肺炎で説明できる可能性があった。Malik さんによると抗生物質の内服を開始したところ「少し気分が良くなり始めたが、体調は良くならなかった」という。

 一ヶ月後、彼女は再び喀血した。今回は病院の緊急室に向かった。再度レントゲン検査を受けると、Malik さんは反復性肺炎と診断された。

 「『これは正常ではない』と夫は言いました」と Malik さんは思い起こす。夫婦は追加の検査を強く求めた。ERの医師は彼らに、もし心配なら肺の専門医にかかることもできると説明した。

 8月、Malik さんは呼吸器専門医を受診、そこで CT 検査が行われ彼女の右肺に病変の可能性が疑われる領域が認められた。続いて bronchoscopy(気管支鏡)が行われた。これは、内視鏡を用いて気道や肺を観察し生検標本を採取することのできる手技である。

 その生検の結果は確定的なもので衝撃的だった。Malik さんは肺がんで最も頻度の高いタイプの non-small cell adenocarcinoma(非小細胞腺がん)だったのである。

 Malik さんは愕然とした。「私は39歳でしたし一度もタバコを吸ったことはありませんでした」と彼女は言う。「それまでがんという言葉に言及した人は誰もいませんでした」25年前に彼女の祖父の1人を肺がんで失っていたが、彼は喫煙者だった。

 9月上旬にその知らせを電話で伝えた呼吸器専門医が彼女を安心させようとしたのを覚えている。「彼がこう言ったのを覚えています。『それが早期であればいいのですが』と。そこで私はこう考えました。『いいえ、私はずいぶん前から調子が悪かったのです』」彼女は腹部に原因不明の膨満感があったことを思い出した。

 早期に発見されてはいなかったという Malik さんは正しかったのだが、それからの24時間で彼女がどれほど重篤な状態に陥ってしまうことになるかについては誰1人として予測できていなかった。

 

Ann Malik さんとその家族 (Ann Malik さん提供)

 

Not a panic attack パニック発作ではない

 

 呼吸器専門医の電話の翌日、Malik さんと彼女の夫がその知らせに動揺しながら医師との面談に向けて心の準備をしていたが、まずは彼らの3歳の息子の未就学児のオリエンテーションを受けることになっていた。

 ほとんど眠れない夜を過ごしたあと、Malik さんは二重に見え、自身のブラジャーを止めることができないことに気付いた。「うわっ、あまりのストレスで見ることもできない」と彼女は言った。夫は何かさらに深刻なことが起こったのかもしれないと心配し、救急医療隊員を呼んだ。

 新たに診断されたがんによって「私がパニック発作を起こしていると彼らは考えていました」と Malik さんは思い起こす。

 病院で、医師らは Malik さんが脳卒中症状を起こしていると断定した。ステージ4の肺がんは彼女の左肺、肝、脊椎、および骨盤に転移していて、脳にも広がり脳卒中症状を起こしていたのである。「それはあらゆるところにみられましhた」と Malik さんは言う。

 医師らは夫の Vinu Malik さんに、彼女の余命は約1ヶ月とみられると告げた。

 

Genetic testing 遺伝子検査

 

 医師らは Malik さんには直ちに化学療法を始める必要があると考えた。彼女の年齢および彼女が非喫煙者であるという事実~肺がん患者は通常喫煙者か、診断時の平均年齢が70歳の元喫煙者である~から、彼らは Malik さんのがんには治療法を左右する遺伝子変異を持つ可能性があると考えた。

 彼らは ROS1(ロス1)遺伝子を含む様々な変異を調べる特異的な遺伝子検査を依頼した。ROS1 は患者の約1%から2%に関連しているとみられており、彼らは典型的にはほんのちょっとタバコを吸う、もしくは喫煙したことのない若い人たちである。なおこの変異は遺伝性ではない。

 ROS1 陽性がんには標的治療が用いられるが、標準的化学療法とは異なり、正常細胞は温存し特別な変異のある細胞を殺すように作られた経口薬のタイプによる治療となる。

 Vinu Malik さんは肺がんの治療を専門としている胸部腫瘍専門医チームがある Boston(ボストン)の Massachusetts General Hospital(マサチューセッツ総合病院)の医師と連絡を取った。Malik さんの最初の化学療法が良い結果を示した後、夫婦は、当時胸部腫瘍学のフェローだった Zofia Piotrowska(ゾフィア・ピオトロヴスカ)氏に会うために Boston まで1時間かけて車で北に向かった。10年後の今も彼女は Malik さんの担当医である。

 「Ann さんのケースはそれほどめずらしいものではありません」現在 Harvard Medical School(ハーバード大学医学部)の准教授である Piotrowska 氏は言う。非喫煙者の肺がんの認知度は増しているが、「不幸にもステージ4の患者はよくみられます」と彼女は言う。早いステージの肺がんはほとんど症状を起こさない。そして、女性の非喫煙者、特に若い女性では症状が他の疾患のせいとされてしまう傾向にある。

 Malik さんのように全く喫煙していない女性の肺がん症例が増加している理由はいまだ不明である。

 「確かに、彼女が喫煙歴のある年配男性であったとしたら彼女はもっと早期に診断されていたかもしれません」と Piotrowska 氏は言う。医師は「肺を持つ人は誰でも肺がんになり得る」ということを覚えておこことが重要である。

 Malik さんが肺がんであることを知って6週後、彼女の遺伝子スクリーニング検査で ROS1 変異が明らかとなった。これは低確率の良い知らせだった。「宝くじに当たったようで非常に心躍ることでした」と彼女は思い起こす。

 Malik さんは標的治療を開始したが、治癒不能ながんを再発させないために、無期限に恐らく生涯にわたって治療が必要になることを知って彼女は打ちひしがれた。

 「疾患の制御が目的です」と Piotrowska 氏は言う。「獲得耐性、すなわち打ち勝つために順応してがんが薬剤を回避する能力」が永遠の課題として残り、医師らには古い薬剤が効かなくなったあとの新たな治療法や治療薬の発見が求められます。

 彼女が診断されて何ヶ月も経って Malik さんは、肺炎を示しているとされた胸部レントゲン検査が実際には肺炎に似た所見を呈する肺がんが写っていたことを知った。彼女の経験は Harvard Medical School の教育症例として用いられておりマサチューセッツ総合の胸部画像検査部門のチーフによって書かれた放射線医学の教科書にも載せられている。

 2016年、新たな転移が Malik さんの脳に見つかり、放射線治療を受け治療は成功したと見なされた。2020年には彼女は放射線治療によって生じた壊死組織を摘出する脳手術を受けた。

 「彼女の脳が最大の問題ですが彼女は実に順調に回復しています」最近 Piotrowska 氏はそう話す。

 Piotrowska 氏によると ROS1 患者の生存期間の中央値は約5年だという(一方、非小細胞肺がんステージ4の5年相対生存率は約8%である)。Piotrowska 氏の他の患者にもMalik さんと同じくらい長く生存している人がいるが、「特に優良なグループの中でも彼女は飛び抜けた存在です」。

 病気を抱えた生活と、自分自身の生活とのバランスを「Ann さんは驚くほどうまくこなしています」とこの腫瘍専門医は言う。「彼女の物語はある意味では恐ろしいものですが、一方で希望にあふれるものでもあります」

 Malik さんも同じ意見であり、そのことが他の人たちに確立されたプロファイルに適合しない患者についてもっと広く考えることを促してくれることを期待している。

 「私は注意深く観察されていますが、自分のライフスタイルはもはやがん患者のそれではありません」と Malik さんは言い、恐ろしい診断を受けながら生きることを助けてくれる瞑想を信じている。彼女は最近 Boston 地区のライブの口承イベントで自身の病気について話し、彼女が始めた瞑想実践の一環としてがん患者のためのコースを開設している。

 Malik さんは「夫は常に最大の支持者となってくれました」と言い、彼女の子供たちが10代になったのを見届けられたことを幸運に思っている。

 「彼らが立ち直る力を学んでくれて、困難なことに立ち向かうことができると思っています」と彼女は言う。「生き延びていることに私がどれほど感謝しているかを彼らは知っています」

 

 

 

ここでは遺伝子異常を伴う肺がんについて記載する。

 

詳細は下記サイトをご参照いただきたい。

国立がん研究センター中央病院のHP(肺がん)

ROS1融合遺伝子についてはこちら

 

肺がんは非小細胞肺がんと小細胞肺がんの大きく2つに分けられる。

非小細胞肺がんが全体の約90%を占める。

非小細胞肺がんは、さらに腺がん、扁平上皮がん、大細胞がんに分類される。

小細胞肺がんは非小細胞肺がんと比べて増殖速度が早く転移や再発を起こしやすく

治療内容が異なる。

 

切除可能ながんに対しては外科的に摘出術が行われるが、術後追加治療が

必要な患者や遠隔転移のあるIV期および術後再発肺がんに対しては

薬物治療や放射線治療が行われる。

薬物治療の中心は、分子標的薬、免疫チェックポイント阻害薬、

細胞障害性抗がん剤などとなる。

がん細胞の特定の遺伝子に変異が生じて発癌している場合、

このような遺伝子の変異をドライバー遺伝子変異と呼ぶ。

ドライバー遺伝子変異のある患者には変異により生じるタンパク質を標的とした

分子標的薬が使用される。

それ以外では免疫チェックポイント阻害薬、細胞障害性抗がん剤または

その両者が併用される。

 

現時点で使用可能な分子標的治療薬がない遺伝子変異も含めると、

がんと関連する遺伝子は数百種類あると言われている。

そのうち最も多い遺伝子変異は EGFR(上皮成長因子)遺伝子変異で、EGFRは

外部から刺激を受けると、がん細胞が増え続けるのに必要な信号を細胞内に伝える

役割を担っている。

日本人を含むアジア人ではこの遺伝子に変異を持つ頻度が高く

肺腺がんの約40%で認められる。非喫煙者女性の腺がんで多くみられる。

その他、ALK、ROS1、BRAF、MET、RET、KRAS、NTRK、HER2、NRG1、

CLIP1-LTKなどの遺伝子の異常が確認されている。

 

記事中に出てきたROS1(ロスワン)は細胞の増殖に関わるタンパク質の一つである。

ROS1遺伝子の異常はこの遺伝子が他の遺伝子と結合した状態(融合)として

確認される。

他の遺伝子と融合したROS1融合遺伝子からROS1融合タンパク質が作られると、

必要のないときにも細胞が増殖しがんが発生しやすくなると考えられている。

ROS1融合遺伝子は脳腫瘍(膠芽腫)、肺がん、胃がん、胆管がん、卵巣がんなどで

確認されている。

非小細胞肺がんにおいてROS1融合遺伝子が確認される頻度は低い(1~2%)が

その中で若年者、女性、非喫煙者の肺がんで確認されやすいことがわかってきた。

ROS1融合遺伝子が確認された非小細胞肺がんに対しては

ALK阻害薬として保険承認されていた経口薬クリゾチニブ(ザーコリ®)が

有効であることが示され、2017年にROS1融合遺伝子陽性肺がんにも

使えるようになった。

またNTRK阻害薬として保険承認されていたエヌトレクチニブ(ロズリートレク®)も

2020年からはROS1陽性肺がんにも保険承認された(本剤も内服薬)。

ただこれらの薬剤も効果は永続的ではなく反応が乏しくなった後の治療は、

現状ではプラチナ製剤併用療法が基本となるが、

現在いくつかの他の新たな分子標的薬の治験も実施されている。

 

喫煙・受動喫煙だけが肺がんを引き起こすのではないこと、そして

そういったリスク因子を持たない女性肺がん患者が増加している事実を

しっかり認識しておく必要がある。

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20 年近くくすぶり続けた熱源

2024-04-17 15:30:36 | 健康・病気

2024年4月のメディカル・ミステリーです。

 

4月13日付 Washington Post 電子版

 

 

Medical Mysteries: Years of hives and fevers traced to a startling cause

メディカル・ミステリー:長年の蕁麻疹と発熱は驚くべき原因につながった

A California woman suffered from an episodic flu-like illness that defied explanation. Its origin stunned her doctors.

カリフォルニアの女性は説明できない繰り返し出現する感冒様症状に悩まされていた。その原因は彼女の医師らに衝撃を与えるものだった。

 

By Sandra G. Boodman

(Bianca Bagnarelli For The Washington Post)

 

 Beth Sternlieb(ベス・スターンリーブ)さんの不可解な疾患について、彼女を診ている Los Angeles (ロサンゼルス)の医師らが確信を持って言えることはほとんどなかったが、これだけは明らかだった:長期に渡って抑えられていたが、劇的に悪化してしまっているということだ。

 20年近くの間、Sternlieb さんは、頭痛・腹痛で始まり倦怠感、筋肉痛、および下痢を伴う感冒様の症状の繰り返しに悩まされていた。そして始まって一日以内に斑点状の赤い発疹が腹部に出現した。

 

Beth Sternlieb さんのいつまでも続く症状は医師らを困惑させた。(Courtesy of Beth Sternlieb)

 

 University of California at Los Angeles(カリフォルニア大学ロサンゼルス校、UCLA)の小児疼痛プログラムでヨガと瞑想の指導者として働いている Sternlieb さんは数多くの検査を受けたが、年間に2、3度起こり、約5日間症状が続く正体不明の疾患の原因を明らかにすることができなかった。17年後の2004年、その病気はより頻繁にみられるようになり、Sternlieb さんは発作と発作の合間にも症状が完全には回復しなくなっていた。そしてその1年後、彼女に高熱、悪寒、極度の疲労が出現しそれが 5ヶ月続いたため寝たきりとなった。

 きわめて稀で衝撃的だった原因は、Sternlieb さんが手術を受けたあとようやく特定され、ついに彼女に治癒が得られた。

 「私のおなかが発赤したのは良いことでした。なぜならそのことが医師らの注意を引くことになったからです」最近、Sternlieb さんはそう話す。「実際に悪いところがあったのですが、誰もこれを想像できなかったのです」

 

Bad case of flu 重症のインフルエンザ

 

 最初の症状は Sternlieb さんの2人目の子供が生まれた2週間後の 1987年12月に起こった。「これまでになく具合が悪くなったのです」と Sternlieb さんは言う。当時彼女は37歳だった。「インフルエンザの季節でしたし、その年は特にひどいインフルエンザの流行がありました」そのため医師らは彼女の病状はインフルエンザのせいであると考えた。

 6ヶ月後に症状の再発があり、その後何年間もそのパターンが繰り返された。

 当初、Sternlieb さんは、腹部に出現した小さな赤い発疹にはあまり注意を払わなかった。その発疹は日焼けに似ていたが痛みも痒みもなかった。医師らは最終的にそれを hives(蕁麻疹)であると結論づけた。これは食物や薬剤に対するアレルギー反応として生じるありふれた皮膚疾患である;ただしその原因が発見されないことも多々みられる。

 彼女のプライマリケア医は、自己免疫疾患治療を専門とする医師であるリウマチ専門医に彼女を紹介し、そこに彼女は数年間通院した。彼が血液検査を施行したところ、身体が誤って自身を攻撃する何らかの自己免疫疾患の存在が示唆されると説明した。

 その後年月を重ねるにつれて、Sternlieb さんは、この発作的症状が、旅行、パーティ参加、あるいは睡眠不足など、“いい意味でも悪い意味でも”ストレスにある期間に起こるように思われた。「それには精神的要因があるに違いないと考えました」と彼女は言う。

 彼女は深刻な病気がみつからないことに安堵し、自身の生活においてこの発作とうまく付き合っていくよう努めた。彼女は医師らが原因を見つけ出し、それが何であれ彼らが治療し症状を断ち切ってくれることを望んだ。

 

Travel history 旅行歴

 

 しかし、2005年までに Sternlieb さんの平穏な生活は健康状態の急激な悪化によって打ち砕かれることになる。

 その夏、彼女は重い病状となり回復しなかった。発熱は周期的に104度(摂氏40度)に達し、高度の脱力・倦怠感とともに多量の寝汗に襲われた。彼女は15ポンド(6.8㎏)体重が減り、仕事はできず、大部分の時間をベッドやソファの上で過ごした。それまで腹部に限局していた発疹は首や胴回りに広がった。血液検査では炎症の数字が上昇し、白血球数が増加していた。

 Sternlieb さんは複数の専門医への受診を始めた。感染症専門医は旅行歴を綿密にチェックした。それには何年も前のインド旅行が含まれていたが、結局、マラリアや他の寄生虫感染症は除外された。医師らは、HIV や肝炎だけでなく、原因不明の発熱に関連するいくつかの自己免疫疾患など様々な疾病を考慮しては否定した。その中には繰り返す発熱や炎症を引き起こす遺伝性疾患である familial Mediterranean fever(家族性地中海熱)もあった。

 考えらえる原因としては感染症やアレルギーの可能性が残っていた。再発性の蕁麻疹ではあるものの後者の可能性は低かったと話すのは、当時UCLA のアレルギー免疫学の研究員で Sternlieb さんが受診した医師の一人である Raffi Tachdjian(ラフィ・タヒジャン) 氏である。

 「蕁麻疹は通常24時間続きますが、このように長く続くことはありません」と彼は思い起こす。「私たちが追求すべきは何か稀なもの…Sternlieb さんに免疫系の反応を引き起こしている熱源を有する何らかの病変がどこかにあるように思われました」

 「感染した組織に抗体が届かない副鼻腔でこういったことがあり、薬物治療で事実上根絶できなくなり感染がくすぶっている状態になるのです」と彼は付け加えて言う。

 感染症専門医によって行われた CT スキャンでは多発性の子宮筋腫が認められたが、これは問題を生じない限り治療を要すことのないありふれた良性の腫瘍である。その検査では、子宮筋腫の一つが非常に大きくなっており、degenerating(変性=死にかけている)あるいは necrotic(壊死=死んでいる)となっている可能性があったが、それは腫瘍が血液供給を失ったときにみられるものである。

 Degenerating fibroid(変性子宮筋腫)は非常に速く増大しうる。しかし、医師らは子宮に存在する平滑筋内で増大する leiomyosarcoma(平滑筋肉腫)などの稀な悪性腫瘍の可能性を心配していた。新たに加わった婦人科医の Jessica Schneider(ジェシカ・シュナイダー)氏を含め彼女の担当医らは誰一人として、彼女の長年にわたる症状と子宮筋腫の間に関連があるのかどうかわからなかった。

 蕁麻疹が子宮筋腫または悪性腫瘍と関連がないとすれば蕁麻疹を説明できるものは何なのだろうか?

 「子宮筋腫がこれを引き起こしていることは明らかではないとみられていました」Cedars-Sinai Medical Group(シーダーズ・サイナイ医療事業団) のメンバーである Schneider 氏は言う。「しかしそれは典型的な子宮筋腫ではないように見えましたのでそれを摘出することを勧めました」。Sternlieb さんは、子宮摘出後も依然として具合が悪いままかもしれないと心配したそうだが、これに同意した。

 2005年 12 月の手術で Schneider 氏は8個の子宮筋腫を摘出した。最大のものは11センチと途方もなく大きく、大きなグレープフルーツのサイズだった。

 ほぼ20年後となる今も Schneider 氏はそのユニークな性状をありありと覚えている。彼女によると通常子宮筋腫は筋肉の球状の塊であるのだという。しかしこの腫瘍には膿が充満しており、メスが触れたとき爆発するように噴出した。

 「まともじゃなかったです」と話す Schneider 氏は後にも先にもそのような物は見たことがなかったという。彼女は抗生物質を投与し、解析のために病理検査室に送り培養を行った。

 Tachdjian 氏は、Schneider 氏が手術を終えた直後に発見したもの伝えるために電話をかけてきたことを 覚えている。「『一体全体何が生えてくるか知る必要がある』と思いました」と Tachdjian 氏は言う。「病気がなんであれ、今回の手術でそれをうまくコントロールできることを私たちは祈っていました。でもそれは時間が経たないと分からないことでした」

 

‘A nice nest’ ‘格好の温床’

 

 それから 2、3週して、最初の疑問の答えが返ってきた。培養では不明な株の salmonella(サルモネラ)が見つかった。これは通常汚染された食物によって引き起こされるありふれた細菌感染症である。The Centers for Disease Control and Prevention(米国疾病予防管理センター)によると、サルモネラは年間 130 万人件以上の疾病を引き起こし、26,000 件以上の入院と 420人の死亡をもたらしていると推計されている。Sternlieb さんも彼女の医師らもいつどのようにして彼女が salmonella に感染したのかわからなかった。Tachdjian 氏によると、salmonella は腸内に定着すると蕁麻疹を引き起こすことが知られているという。

 Sternlieb さんのケースでは細菌は1箇所の子宮筋腫のみに潜伏していた;つまり残り7箇所には salmonella は存在していなかった。

 「恐らく菌は腸管に潜在していたが、『自分にとってここが格好の温床だ』と考えたのでしょう」と Tachdjian 氏は言う。彼は現在 Santa Monica(サンタ・モニカ)で開業しており、UCLA David Geffen School of Medicine(UCLA デビッド・ゲフィン医科大学)で内科と小児科の臨床准教授を務めている。

 しかし Sternlieb さんの感染の持続期間、子宮筋腫内という部位、および繰り返す蕁麻疹という特徴によって、本症例はちょっとした fascinoma(ファシノーマ;非常に興味のある腫瘍・奇病)となった。これは稀で非常に興味深い症例のことを指す医療俗語であり、その重要性はその原因の発見によってさらに増す。

 「私は年配の医師たちにこのようなケースを見たことがあるか問い続けましたが、誰も見たことはないと言いました」と Schneider 氏は言う。Tachdjian 氏が行った医学雑誌の検索でも類似のケースは見つからなかった。

 Salmonella は報告義務のある疾患であったためカルフォルニアの衛生当局は通知を受けた。

 手術後数ヶ月後、Sternlieb さんは公衆衛生の看護師の家庭訪問を受け驚くべき知らせを受けた:彼女の感染の由来は食べ物ではなく爬虫類だったというのである。

 カメは salmonella を保有していることが知られており、小さな子供への感染の危険があることから連邦法で小さな亀の売買が長く禁止されてきた一つの理由となっている。ヘビ、カエル(両生類)、トカゲなどの他の爬虫類も保菌動物であり、このため公衆衛生当局はそれらに触った後の手洗いの重要性を強調している。

 しかし Sternlieb さんによると彼女の家族は一度も爬虫類のペットを飼ったことはなかったという。彼女の症状が産後間もなく始まっていることから Sternlieb さんの感染症専門医は病院内で、恐らく病院スタッフからこの感染症に罹患したのではないかと考えた。妊娠中や分娩前には母親の免疫系は、それによって胎児への拒絶反応が起こることを防ぐために抑えられていることがある。

 およそ20年前にさかのぼって爬虫類への暴露の可能性を思い出そうと頭を悩ませた Sternlieb さんが言うには、もう一つの可能性は、当時4歳の息子が通っていた保育園でペットの爬虫類から感染が起こったというものである。しかし、彼が自宅に爬虫類を持って帰ったことはなく、その保育園がそのようなペットを飼っていたことも覚えていないと、彼女は付け加えて言う。

 Schneiderさんによると手術後ほぼすぐに回復がみられ、再度の発作は起こらなかったという。医師らは手術で治癒が得られたとみなした。

 Tachdjian 氏は、彼女は病院で危険にさらされたと考えているが、適切な時に手術を受けたのは幸運だったと言う。もし子宮筋腫が破れていたら、Sternlieb さんは細菌が血流に入り込むことで生ずる致死的感染症である敗血症を起こしていた可能性があった。

 2010年、Tachdjian氏、Schneider 氏、および他の2人の医師は Journal Obstetrics and Gynecology という雑誌に彼女の症例報告を発表した。Tachdjian 氏によると彼らの目指すところは、今にも爆発しそうな骨盤感染症に起こり得る徴候として腹部の蕁麻疹を考慮することを他の医師たちに喚起することだった。

 「このような報告は必要とされるものです。それによって次にこのような病状に遭遇した医師がすぐに画像で捉えることができるのです」と彼は言う。

 

 

 

きわめてめずらしい疾患なのでここではあまり追加することはないが

参考までにサルモネラ感染症について記載する。

詳細については国立感染症研究所のサイトをご参照いただきたい。

 

サルモネラ感染症の原因菌はサルモネラ(Salmonella enterica)である。

サルモネラは2,000種類以上の血清型に細分されており、

チフス性疾患をおこすチフス菌(S .Typhi)

およびパラチフス菌(S .Paratyphi A)も含まれる。

サルモネラ症は世界で下痢症を起こす4大原因疾患のうちの1つとなっている。

(あと3つは、カンピロバクター、腸管病原性大腸菌、腸炎ビブリオ)

 

 

疫学

わが国におけるサルモネラは、ここ数年間、常に、腸炎ビブリオと

1、2位を争う代表的食中毒原因菌となっている。

サルモネラの食中毒はカンピロバクターと同様に大型の事例が多く、

学校、福祉施設、病院で多発している。

この疾患の重症度は宿主要因とともにサルモネラの血清型に左右される。

血清型との関係では、1980 年後半から鶏卵関連食品が原因で

E Enteritidis が急増してきた。

また、抗生物質に対する多剤耐性を持つ細菌の出現は

世界的に公衆衛生上の大きな懸念事項となっている。

わが国では多くはないが、最近耐性菌の発生が見られるようになっている。

サルモネラは健康な成人ではその症状が胃腸炎にとどまるが、

小児や高齢者では重篤となることがある。

             

サルモネラはグラム陰性の通性嫌気性桿菌で腸内細菌科に属する。

現在までに、サルモネラ・ボンゴリ(Salmonella bongori)と

サルモネラ・エンテリカ(Salmonella enterica)の2種があり、

さらに亜種、血清型により2,500を超える種類が分類されている。

サルモネラは乾燥した環境でも数週間、水中でも数ヶ月間は

生存可能で生存力の強い細菌である。

一般に胃腸炎をおこすサルモネラは亜種I の菌種のみで、

その他のサルモネラは非病原性菌とされている。

サルモネラは自然界のあらゆるところに生息し、

犬・猫・鳥などのペット、鳥類、爬虫類、両生類が保菌している。

特に家畜(ブタ、ニワトリ、ウシ)の腸管内では、常在菌として

保菌していることが知られている。

 

 

臨床症状

動物に由来する細菌の含まれた食べ物(主に卵、肉、家禽、生乳)を

食べることで感染する。

その他肥料で汚れた緑黄野菜なども感染源となる。

また人の便から口に入ることでの感染も起こり得る。

さらにペットなどの感染した動物と接触することでも感染する。

サルモネラの臨床症状は多岐にわたるが、最も普通にみられるのは

急性胃腸炎である。

通常8〜48 時間の潜伏期を経て発病するが、最近のEnteritidis 感染では

3〜4 日後の発病もめずらしくない。

症状はまず悪心および嘔吐で始まり、数時間後に腹痛および下痢を起こす。

やや高い熱が出るのが特徴とされている。

下痢は1日数回から十数回で、3〜4 日持続するが、1 週間以上に

及ぶこともある。

小児では意識障害、痙攣および菌血症、高齢者では急性脱水症、

および菌血症を起こすなど重症化しやすく、回復も遅れる傾向がある。

 

 

診断

症状と患者背景により臨床診断をし、平行して確定診断を行う。

38 ℃以上の発熱、1 日10 回以上の水様性下痢、血便、腹痛などを

呈する重症例では、まず本症が疑われることが多い。

検査所見では炎症の程度に応じて白血球数、CRP 等の炎症反応の増加が

見られる。確定診断は糞便、血液、穿刺液、リンパ液等より菌の検出を行う。

サルモネラの特異的な迅速診断法はない。

 

 

治療

サルモネラのみならず細菌性胃腸炎では、発熱と下痢による脱水の補正と

腹痛など胃腸炎症状の緩和を中心に対症療法を行うのが原則である。

強力な下痢止めは除菌を遅らせたり麻痺性イレウスを引き起こしたりする

危険があるので、使用しない。

解熱剤は後述のニューキノロン薬と併用禁忌(ケトプロフェン)がある上、

脱水を悪化させる可能性があるので、できるだけ使用を避ける。

抗菌薬は軽症・中等症のケースでは使用が推奨されていない。

しかし重症例や小児、高齢者、免疫不全患者などでは必要となることがある。

サルモネラに対して臨床的に有効性が認められている抗菌薬は、

アンピシリン(ABPC )、ホスホマイシン(FOM )、および

ニューキノロン薬に限られる。

わが国の非チフス性サルモネラの薬剤耐性率はABPC に20〜30%、

FOM に対し10%未満であり、ニューキノロン薬耐性はほとんどみられない。

サルモネラ症では、症状が改善されても排菌が続くことがある。

抗菌薬の投与によって腸内細菌叢が撹乱され、除菌が遅れる上、

耐性菌の誘発、サルモネラに対する易感染性を高めるなどの理由で、

単純な胃腸炎には投与すべきではないとの意見が欧米では一般的となっている。

わが国では、ニューキノロン薬の7日間投与は腸内細菌叢に対する影響もなく、

除菌率も高いという成績に基づき、使用されている。

 

 

予防

サルモネラの予防は原因食品、特に食肉および鶏卵の低温保存管理、

またそれらの調理時および調理後の汚染防止が基本である。

低年齢層ではペット動物やゴキブリなどからの接触感染にも注意する。

トイレ後や動物に触った後の手洗いが重要である。

 

感染症法では「感染性胃腸炎」は定点報告対象(5類感染症)であり、

指定届出機関(全国約3,000カ所の小児科定点医療機関)は週毎に

保健所に届け出なければならない。

食品衛生法では食中毒が疑われるときには 24 時間以内に最寄りの保健所に

届け出ることになっている。

 

 

これから夏場に向いサルモネラによる食中毒も増加する傾向にある。

ウイルスだけでなく、細菌にも十分お気をつけいただきたい。

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単なる捻挫と思いきや…

2024-03-24 15:58:06 | 健康・病気

2024年3月のメディカル・ミステリーです。

 

3月16日付 Washington Post 電子版

 

Medical Mysteries: A rolled ankle set this runner down a painful path

メディカル・ミステリー:このランナーは足首の捻挫から苦しい道のりが始まった

Years of problems followed her seemingly minor injury. The diagnosis came after one doctor listened to her ‘miserable story.’

一見軽症に思われた彼女のけがのあと数年に渡って症状がみられた。一人の医師が彼女の‘悲惨な話’を傾聴したことでその診断が得られた。

 

By Sandra G. Boodman,

(Bianca Bagnarelli For The Washington Post)

 

 Catherine Matacic(キャサリン・マタチッチ)さんは、新しい仕事に心を集中させながら Washington(ワシントン)の中心街にある Franklin Park(フランクリン・パーク)の中を足早に歩いていたとき、歩道の割れ目に右足を取られ、ウェッジヒール(楔状のヒール)が脱げて足首を捻挫した。痛みと腫れは軽度だったので、ランナーである Matacic さんは2週間のんきに構えていた。しかしそれから同じことが再び起こったのである。

 6週間休んだあと、当時33歳だった Matatic さんはランニングを再開した。しかし2015年6月、3マイル走のために家を出て5分も経たないうちに彼女は何がしか違和感を覚えた:足首が温かい液体に浸かっているように感じたのである。彼女が足元を見ると、左の足首が突然倍の大きさまで腫れていたのに気付いてゾッとした。

 それからの8年の間、科学編集者をしている Matacic さんは徐々に重症化していく足首の痛みをまずは理学療法で治療、その後数人の医師を受診してその原因を特定しようとしたが失敗に終わった。時に彼女の足首はひどく腫れ醜い状態となりソーセージの様に見えることがあった;またある時にはひどく力が入らなくなって立つこともむずかしくなり階段を上れなくなることもあった。

 2023年1月、手術を行うにあたって必要とのことで、Matacic さんが異なる専門領域の医師を受診した際にその根本的原因が見つかった。後に正しいことが証明されたその専門医の仮説が有効な治療につながったのである。

 

「私は試しに今回多くのことに取り組みました」強い痛みの緩和を求める長期に及ぶ追求について Catherine Metacic さんはそう話す。「でも最も重要なことは怪我を軽くみないことだと思います」(Courtesy of Catherine Matacic )

 

 Matacic さんはそれ以来、なぜ正しい診断が得られるまでそれほど長くかかったのか考えてきた。彼女によると、理学療法を当てにして何年も無駄に費やしたが、それは、もし処方された訓練に熱心に取り組むならば症状が良くなるだろうという誤った思い込みをしていたからだと考えているという。

 「私は、自分はタフであり、耐え抜くことができるといった無頓着さが弊害をもたらしたと考えています」と彼女は言う。

 苦しみが募っていった原因追求の終わりに至るまで、彼女が受診したほとんどの医師は足首の痛みの比較的ありふれた原因に焦点を絞っていて、異なる方向を指し示していた手がかりを見落としていた可能性があると Matacic さんは付け足して言う。

 

PT or MD? 理学療法、それとも医師?

 

 現在42歳の Matacic さんは理学療法の治癒力を長く信じていた。何年もの間、それによって彼女はしばしば起こした足関節の捻挫やハムストリングの肉離れから迅速に回復することができていたからである。

 そのため 2015年4月に彼女が足首を捻挫した時、理学療法を開始した。しかし 8ヶ月後、足首は依然脆弱で、ふくらはぎにこわばりが出現した。Matacic さんは走ろうとしたが足首は腫脹を繰り返し、延々と続く痛みを伴った。彼女によると、その当時、医師を受診することは彼女の念頭になかったという;彼女の以前のプライマリケア医は concierge practice(年間契約の家庭医診療)に参加してしまっており、その後任の医師を見つけていなかった。

 2016年2月、彼女は理学療法士を変更した。しかし 3ヶ月後、依然として改善はみられなかった。

 7月、Matacic さんは職場の同僚の勧めで、ある家庭医を受診した。X線検査や MRI で明確な所見が認められなかったため、その医師は何が原因かわからないと言った。その医師は彼女が詳細不明の神経疾患、あるいは整形外科的疾患である可能性があると説明し、2つの選択肢を提示した。:一つは gabapentin(ガバペンチン)という神経痛の治療に用いられる広く処方(あるいは過剰処方)されている薬剤を試すこと、そしてもう一つは整形外科医への紹介だった。Matacic さんは後者を選択した。

 9月、彼女は Washington の整形外科医を受診したが、その受診時間の短さは際立っていたと表現する。彼女によるとその外科医は約5分間だけ現れて、新たに行った X線検査と MRI について何も言わず、さらに一連の理学療法を勧めただけだった。

 3人目の理学療法士は、2014年にMatacic さんが肉離れを起こしたハムストリングが彼女の歩行に影響し、ふくらはぎに萎縮を起こし足首を脆弱化させた可能性があると考えた。Matacic さんはそれからの6ヶ月をかけて、筋力とバランスを向上させるため運動を行った。2017年4月、痛みなく Cherry Blossom 5km レースを走ることができ彼女は大喜びした。

 その年、彼女は自宅で熱心に運動を行い、骨折など重大な損傷の徴候がなかったことに安堵した。しかし痛みが周期的に再燃したときも「なんとか切り抜けていました」と彼女は言う。2018年4月、彼女は10マイル Cherry Blossom レースを走り、レース後に圧痛、腫脹、および熱感がみられたが、それらを気にしないようにしたところ、その後それらは消失した。

 しかし2019年3月には痛みが増強してしまった。Matacic さんは何かが見逃されていることを心配した。彼女が整形外科医を再び受診するとその医師は再度 X線検査と MRI を行った。今回は、彼女が しばしば酷使によって生ずる痛みと腫脹である Achilles tendonitis(アキレス腱炎)であると彼は説明した。彼によると手術は一つの選択肢であると言ったが、まずは理学療法を勧めた。

 

Downward spiral 下方スパイラル

 

 2020年3月、Matacic さんは Maryland(メリーランド)の自宅近くの丘を駆け上がったとき足首に痛みはないものの温かい液体が流れるように感じた。彼女によると、自宅まで歩いて帰り、トレーニングは終了することにして、エアロバイクに飛び乗り「ばかみたいに」15分間荒れ狂ったようにそれを漕いだという。

 「家に戻った時、苦しみに悶えていました」そう思い起こす Matacic さんはそのとき歩くのがやっとの状態だった。

 今回は痛みと腫れが治まるまで3週間を要した。整形外科医は新たに MRI を行い、足と下腿をつなぎ安定させる索状の組織である足首の靱帯のゆるみが原因のようであると結論づけた。そのような状態は外傷後に起こることがある。彼は靱帯のゆるみを治す手術を勧めた。

 しかし、とりわけパンデミックが始まって間なしの数週間以内だったこともあり、自分が可否を選択する手術に気が進まなかった Matacic さんは、その年の多くを理学療法を行って過ごしたが得られた症状の緩和は皆無かそれに近いものだった。

 2021年7月には、殿部の持続的な鈍痛と間欠的な足首の腫れが彼女の歩行を変化させバランスが障害された。数年前に家庭医が提言したように何らかの神経疾患なのではないかと心配した Matacic さんは神経内科医を受診した。1時間に及ぶ検査を行いその医師はそれを除外した。

 その年は Matacic さんが強く要求した cortisone(副腎皮質ホルモン)を初めとするさらに誤った薬を始めることで費やした。それらでは不安が払拭されるところか、激痛をもたらし、数週間は歩行能力も障害された。

 そのころまでに彼女の生活は制限されていた。彼女は、予測不能の足首が弊害をもたらすことになるかどうかわからなかったので友人たちと計画を立てることにも気が進まなかった。彼女は運動を切望したがもはや走ることはできず、時には近所を歩くこともできなかった。そして彼女は、自身が決して良くなることはないのではないかと思わずにはいられなかった。

 2022年12月、Matacic さんは Baltimore(ボルティモア)で開業している2人目の足と足首の整形外科医を受診した。彼は、靭帯のゆるみに加え彼女には Raynaud’s phenomenon(レイノー現象)がみられるという事実を発見した。これは血管の収縮によって生じる、よくみられる発作性の病態で、指やつま先がしびれて白くなる。レイノー現象はしばしば寒冷やストレスが引き金となる。Primary Raynaud’s(一次性レイノー現象)は原因不明であり、通常軽症で治療を要さない。Secondary Raynaud’s(二次性レイノー現象)は、より重症の傾向があり、しばしば関節リウマチやループスなどの自己免疫疾患を合併する。

 手術を考慮する前に、その整形外科医は、関節を侵す自己免疫疾患を専門とする医師、すなわちリウマチ専門医を受診する必要があると彼女に告げた。

 その受診予約の2、3週間前、Matacic さんはクリスマスを両親とともに過ごした。彼女らの Ohio(オハイオ)の自宅で階段を何度も上がったり下りたりしたあと、ある朝目が覚めると彼女は自身の足首が“ソーセージ”のようになっているのに気づいた。それはひどく腫れており、激しく痛んだ。彼女はそれからの2週間は杖を使って過ごした。最悪の状態の中、唯一良かった点は疑い深い親戚たちに“私には実際に何か悪いところがある”ことを納得させたことだったと Matacic さんは言う。

 

A new approach 新たなアプローチ

 

 2023年1月、彼女はリウマチ専門医 Adey Berhanu(エイディ・ベルハヌ)氏の Washington の診察室に足を引きずりながら入っていった。彼女はその手に、公園で足首を捻挫してからの8年間に集めた1インチの厚さにもなる医療記録のバインダーをしっかりと抱えていた。

 Berhanu 氏は「私の悲惨な話の紆余曲折を」すべて聞いてくれた初めての医師だったと Matacic さんは言う。

 彼女の年齢、以前の活動レベル、そしてMRIで腱の付着部の腫脹である enthesitis(腱付着部炎)の存在を根拠の一部として、そのリウマチ専門医は Matacic さんに、彼女が慢性の自己免疫疾患である psoriatic arthritis(PsA、乾癬性関節炎)であることが疑われると告げた。

 関節炎と、痒みを伴う皮膚疾患である psoriasis(サライアシス、乾癬)を合併した psoriatic arthritis は約150万人の米国民が罹患しており、その大部分は30歳から50歳の間で発症する。症状として、罹患部位の発赤、熱感、液貯留、および腫脹がみられる。一般に乾癬が示唆される皮膚の炎症性斑状病変が最初に出現し、続いて数年後に関節炎による関節痛がみられる。

 しかし Matacic さんを含めた少数の患者では最初に psoriasis を発症しないため、そのことが本疾患の診断を難しくする可能性があると Berhanu 氏は言う。

 PsA の原因は不明であるが、恐らく環境と遺伝子の相互作用を反映している。免疫系が身体固有の遺伝子と、侵入してきた細菌やウイルスとを区別する役割を果たす HLA complex(ヒト白血球抗原複合体)の一部の遺伝子の変異が本疾患の発症リスクに影響を及ぼしているようである。しかし遺伝子マーカーは PsA の指標ではあるが証拠とはならない。従って PsA には確定的な検査は存在しない。

 診断の遅延は稀ではないが、8年というのはめったにみられない長さである。Mayo Clinic(メイヨ・クリニック)の研究者らによる2021年の研究では、症状の発現から診断までの遅れの平均は約2年半であることが明らかにされている。若年の患者や enthesitis の患者で遅延がより大きかった。早期診断が重要だが、それは特異的薬剤による早期治療によって機能障害をもたらす永続的な関節の損傷を予防することができるからである。

 「しなければならないことにあそこまで傾倒する人をこれまで見たことがありません」Matacic さんの年余に渡る理学療法について Berhanu 氏は言うが、それは警告だった。「踵の捻挫。活動的な人が歩けなくなったり運転できなくなるような場合には疑念が生じます」

 「捻挫であればブーツを履いて4週間すれば改善があるはずです」外傷後にしばしば処方される orthopedic walking boot(整形外科ウォーキングブーツ)のことに言及しそう付け加える。

 Matadcic さんによると最初はその診断に懐疑的だったという。それは生涯にわたって服薬が必要な治癒の得られない疾患であってほしくないと思ったからだ。しかし遺伝子検査で HLA-B27 が陽性という結果に納得せざるを得なかった。

 昨年行われた薬物治療によって、痛みなく歩行する能力は劇的に改善した。「もしもう一度走ることができるなら心の底からそうしたいです」と彼女は言うが、ランニングが関節に及ぼすストレスを考慮するとそれは不可能であると思っている

 Matacic さんは自身の痛みをもっと重要視し、ずっと早くに医師を受診していれば良かったと考えているという。ただ長かった診断の遅れにもかかわらず関節の損傷を被っていなかったことは幸運だったと感じていると彼女は話す。

「私は試しに今回多くのことに取り組みました。もし人が自分自身を駆り立てようとしないならその人は couch potate(何もしない怠惰な人間)に成り下がってしまうということを信じるようになりました。それでも最も重要なことは怪我を軽くみないことだと思います」と彼女は言う。

 

 

 

乾癬性関節炎(PsA、psoriatic arthritis)の詳細については下記サイトを

参照いただきたい。

 

日本リウマチ学会

乾癬ネット

MSDマニュアル家庭版

 

 

癬は頭皮、肘、膝、背中、殿部に1つまたは複数の

白銀色の光沢を呈する鱗屑を伴った赤い斑ができ、

その再発を繰り返す慢性の皮膚疾患で、免疫系の異常が

関与していると考えられている。

そういった乾癬の皮膚症状に、手足の関節の腫れや痛みを伴う場合

PsA を疑う。乾癬患者の 10~15%に発症するといわれている。

関節炎の症状が現れるのは、指先・膝・肩などさまざまで、

発現時期も患者ごとに異なっている。

 

PsA は乾癬患者のおよそ7人に1人が発症するとされている。

男性のほうが女性に比べ1.9倍ほど多いという報告がある。

発症年齢は10代から70代と幅広いが、

なかでも30代~50代の発症が最も多いとされている。

関節炎症状の発現は、約8割の患者で皮膚症状が出た後にみられる。

 

PsA は遺伝的要因と環境要因(ストレス・感染症・物理的刺激・生活習慣など)が

複雑に関り合って免疫システムに異常が生じ、

炎症性サイトカイン(炎症に関わるたんぱく質)が関節周辺に過剰に

生成されてさまざまな症状を引き起こすと考えられているが

発症のメカニズムはいまだ明らかになっていない。

 

症状

関節炎の症状は、手指の関節、足裏の腱やアキレス腱、脊椎などに

見られるがその出現様式は多様である。

 

付着部炎(ふちゃくぶえん)

付着部炎は靭帯や腱が骨に付着する部分に生じる炎症で約半数にみられる。

患部に痛みや腫れが生じる。

足裏の腱やアキレス腱の付着部に症状が起こることが多いが、

足だけではなく膝や股関節、肩、肘にも現れることがある。

 

指趾炎(ししえん)

約2~3割にみられる。手足の指全体が腫れ、ソーセージ様となる。

足の第3、4趾に多い。炎症が長期に及ぶと関節の破壊が起こることもある。

 

末梢関節炎(まっしょうかんせつえん)

手足の指の第1関節(指先側の関節)に最も多く腫れや痛みを伴う。

関節リウマチでも同様の症状が対称性にみられるのに対し、

PsA では一般的に左右非対称に出現する。

 

脊椎関節炎(せきついかんせつえん)

背骨や仙腸関節に炎症が起こると腰痛や背部痛をきたす。

腰痛は安静時に増強するが動き出すと改善するという特徴がある。

 

症状の進行には個人差があるが、発症から治療までの期間が長くなるほど、

重症化リスクは高まる。早期の診断が重要となる。

 

皮膚症状が先行しない症例も一部存在し、その場合診断が遅れる可能性がある。

指の第1関節の腫れや痛み、踵や足裏の痛み、爪の変化を認める場合は、

本疾患の可能性を考慮する必要がある。

 

 

検査・診断

PsA は、病歴、症状、血液検査、画像検査等から総合的に診断する。

皮膚・爪の乾癬症状、関節症状、付着部炎・指趾炎の症状等の有無を

確認する。

爪乾癬の存在は関節リウマチとの鑑別に有用なことがある。

点状陥凹、横縞、爪の剥離、角化亢進、肥厚や破壊など、

爪病変の存在を確認する。

血液検査では類似疾患である関節リウマチとの鑑別のため

RF(リウマトイド因子)、抗CCP(環状シトルリン化ペプチド)抗体、

赤血球沈降速度(血沈)、CRP(C反応性たんぱく)、

MMP-3(マトリックス・メタロ・プロテアーゼ-3)などを測定する。

関節リウマチで高値となるリウマトイド因子や抗CCP抗体は

本疾患では通常陰性となる。

 

画像検査では、X線検査で骨びらん骨破壊や関節の変形を、

MRI では脊椎を含めた骨の炎症や関節の破壊・変形を評価する。

病変が好発する指の第1関節では pencil in cup 変形が特徴的である。

これは指先の骨は傍関節部の骨増殖によりカップ状となり、

身体に近い方の骨の先が骨びらんによって先細って鉛筆状になる所見である。

また付着部炎の検出には超音波検査が適している。

 

 

治療

皮膚症状に対する治療に加えて、関節症状に対する治療を行う。

関節症状の治療は薬物療法が中心となり、

抗炎症薬、免疫抑制薬、あるいはサイトカインの過剰なはたらきを抑える

生物学的製剤等の治療薬が選択される。

生物学的製剤には TNFα阻害薬、IL-12/23阻害薬、IL-17A阻害薬、

PDE4阻害薬、などが用いられる。

本疾患は進行すると、関節が変形し、日常生活へ影響が及ぶ。

早期に診断し、適切な治療を開始することが重要である。

 

 

皮膚症状がみられない PsA があることも忘れてはならないようである。

 

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