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MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

日本の道しるべ

2009-01-01 00:31:32 | 社会・経済

明けましておめでとうございます。

2008 年は本当にひどい一年だったので、

今年こそは明るい年となってもらいたいものである。

さて、おおみそかの夜は

皆様どのように過ごされただろうか…

MrK は地上波番組に見切りをつけ、BS 朝日でやっていた、

『インサイド9・11完全版~同時多発テロの真実』を見た。

2001 年に起こった米・同時多発テロから7年以上が経過し、

当時の記憶もかなり薄れてきていたのだが、

この特集を見てあらためて事件の悲惨さ、

テロの問題の根深さに衝撃を受けた。

一方、先月 27 日に始まったイスラエル、ハマスの間の

攻撃の応酬は一向に収束する気配が見られない。

多くの負傷者が出ている模様のガザ地区だが、

イスラエルに補給路を絶たれているため、

医療の対応が困難な状況にあり、

また食糧の不足も危惧されている。

いくらハマス掃討を目的としているとはいえ、

完全に民間人を巻き込んでしまっているイスラエルの作戦は

行き過ぎといえるだろう。

アメリカはイスラエルを擁護する構えだが、

EU諸国は停戦に向け積極的な行動を起こしているようだ。

で、日本は一体何をするつもりなのか。

中曽根外相は、イスラエルの女性の外相に電話で自制を

促したそうだが、誰からかわからぬ迷惑電話くらいにしか

思われていないことだろう。

さて、そんな混沌とした世界情勢の中、

2009 年、日本は何を目標に進んでゆくことになるのだろう?

政治家が右往左往している状況では、

国民がその目標を見定められないのは当然だ。

今こそ、政治家は目標を国民の前に強く掲げるべき時にあると思う。

財政が立ち行かんから、2011 年度から消費税増税します、

それまでは景気対策に力を注ぎます、では

何ら目標が示されたことにはならない。

話は転ずるが、

50 年前、国民総結集を感じさせるシンボルが建てられた。

東京タワーである。

昭和 32 年に着工。同 33 年に竣工。世界一の高さを誇る建造物。

まだ物資が十分にない時代に、思い切った決断をしたものである。

しかし 50 年が経った今、東京タワーは

東京、そして日本国民のシンボルとしての役割を

十分果たしてきたと思われる。

これに関して、米国紙にも記事が出ていたので紹介する。

12月29日付 New York Times 電子版

Beacon of Japan's Future, Sparkling With Nostalgia
かつての日本の行く末の航路標識、今、懐古とともに輝く
(ちょっと訳に無理がある?)

Photo

それは、まだ戦争の傷跡が残る町の、かつて古い仏教の寺院のあった場所に、解体したアメリカ製戦車の鋼鉄を用いて建築された。
1958 年に完成した時、東京タワーは、明るい未来への方向性を示すことで日本の今後についての想像力をしっかりかき立てた。

エッフェル塔に似ているが、オレンジと白のストライプの 1,093 フィート(333 メートル)の建築物は世界で最も高い自立式鉄塔で、このタイトルは今も保持している。
さらに、カラー・テレビの幕開けとなる放送がこのタワーで開始されたという事実は、またたく間に、技術に秀でたいという、平和な時代における日本の羨望の象徴となった。

パリのエッフェル塔や自由の女神のように世界的に認知はされなかったが、現在まで、豊かで壮大な都市の象徴であり続けている。
しかし半世紀が経ち、老朽化したタワーはかつてのように際立つことはなく、感動的でもなくなってしまった。

東京タワーは懐古的な国内メディアによる報道の高まりの中、先週 50 周年を迎えた。
テレビ・ニュースでは、東京タワーを伝える粒子の粗い白黒フィルムを流し、日本の新幹線や 1964 年の東京オリンピックなどとともにすばらしい成果を残した過去の時代の産物として紹介した。

実際、このタワーは今回、国民の意識の中で、セピア色の過去の記念建造物という新たな地位を得たように思われる。
こうした変化が起こったのは、日本が総じて、その未来に自信を失ったように見え、ついにはゆっくりとした衰退に甘んじるようになった時期に一致する。

こういった変化はさらに広い見方を強調していると言える。すなわち、時代の流れがどのようにして国民の象徴の意味を変えることとなったのか―東京タワーほどの大きなものでさえ―という視点である。

「東京タワーは未来の夢を表していましたが、その夢は過ぎ去ったのです」と、一橋大学歴史学の名誉教授 Masanori Nakamura 氏は言う。
「日本が夢を持っていないのと同じように、東京タワーはもはや夢を提供しないのです」

近年、一層大胆なデザインのガラス張りの超高層ビルの増加によって東京タワーは目立たなくなってきた。
この都市で最も高い構造物としての地位を長年保持してきたが、この地位を 2011 年には新しいテレビ塔に譲ることになる。
それは、東京スカイ・ツリーというちょっと変わった名前のタワーで、2,003 フィート(611 メートル)の高さがあり、東京タワーの約2倍である。

そうは言っても、東京タワーは、開業以来、約1億 5,700 万人もの観光客を招き入れ、この都市の想像力を保持し続けてきた。
先週火曜日、約 20,000 人が 50 周年の記念日に参加し、タワーの2ヶ所の展望台のうちの一つへ上がるエレベーターに乗ろうとして数時間も列に並んだ。

所有者である Nippon Television City は7色の 276 台の照明器具を配備した新しい夜間照明計画 the Diamond Veil ダイヤモンド・ヴェールに 650 万ドルの改修費を拠出した。

タワーを訪れた人たちや近隣の住民は、その魅力を愛情のこもった言葉で説明し、驚異的な社会と経済の変革の数十年を自分たちとともに見守ってきた古い友人のように語った。

「私の父親の世代では、東京タワーは、自分たちが作り上げようとする新しい東京のシンボルでした」と、東京タワーの近くでカメラ屋を営む Midori Tajima さん(60才)は言う。
「しかし、私たちの世代にとっては、すべてが変化してゆくように思えるような 50 年の間、唯一変わらずに私たちを見守ってきてくれたように思えるのです」

小学校4年生で東京タワーの建築を見ていた Tajima さんは、自分の店に古い写真を展示して記念の日を祝った。
その中には密集する木造の家々から立ち上がるタワーや、今はなくなっているケーブル・カーが写っている 1958 年の写真もある。

完成当時、東京でそれまで最も高かった国会議事堂より約 900 フィートも上回った。
建築中には、タワーのてっぺんからハワイが見える、という噂が巷には流れていた、と年寄りの住人は言う。

このタワーの創設者である、右寄りの新聞社、産経新聞のかつてのオーナー、Hisakichi Maeda (前田久吉)氏は 1986 年に亡くなったが、生前には、このそびえ立つ建築物を“日本の建築技術の勝利”であると呼んでいた。
このタワーの建築には、当時 840 万ドルを費やし、数少ない上質の鋼鉄の調達源の一つであった韓国軍の戦車を解体して転用した。

最近の懐古ブームがこのタワーの人気回復につながっている。
この 10 年以上少しずつ入場者数が減ってきていたが、過去3年の間に約 50 %増加し、昨年は 320 万人が訪れた、とNippon City は言う。

この懐古ブームの一部は、このタワーを題材にした最近の小説や映画の一時的流行に影響されている。
(最初に登場したのは 1961 年の白黒映画『モスラ』で、この中で東京タワーは巨大なイモ虫によって倒された)

最近の小説・映画では、高齢化の進むこの国で、この 2, 30 年の間に失われたと思われるもののメタファーとして、東京タワーが登場する。
それは、その経済的奇跡を起こす原動力となった共通の目的意識や若者の楽観主義、さらに日本が経済大国となる前の質素な生活様式を意味する。

このタワーの歴史への興味が非常に高まりつつあることから、オーナーはこれを建築した作業員に引退生活から表に出てくるように要請したり、学校、旅行団体あるいは報道機関に情報を提供することを始めた。
その一人が Goro Kiryu 氏 76 才で、彼によると、タワーの鋼鉄の桁をボルトを締め付ける作業は、たとえそれが尋常でない高さでの作業であったり恐ろしい強風に見舞われることがあっても、当時はいつもと変わらない作業であると感じていたという。

「当時は皆、自分たちの生活を少しでも良くしようとただ一生懸命に働いていました」と Kiryu 氏は言う。
「東京タワーが自分の人生において主要な仕事であったということが今になってわかりました」

テレビジョン・ネットワークが放送をスカイ・ツリーに切り替えることを発表し始めているが、この懐古ブームが東京タワーの収益維持をささえるだろうと日本シティーは見ている。
高さでは相手にならない新たな競争相手に観光客を奪われることを恐れて、Nippon City は、歴史の視点を強調するために、同タワーで行っている古くなったアトラクションを刷新する予定であるという。

「東京タワーは東京の歴史の一部です」と常務の Tatsuo Matsuzawa 氏は言う。
「さらに 50 年間生き延びてもらいたいと思っています」

東京スカイ・ツリーが、どれほど見物客を集めたとしても

東京タワーが果たしてきたかつての精神的役割を

引き継ぐことはないだろう。

昨今、後ろばかり振り返りがちな日本国民を、

なんとか前に向かせる術はないものだろうか。

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ソリー・クリスマス

2008-12-24 16:49:30 | 社会・経済

Merry Christmas ↓ ………

…どうも今年のクリスマスは

メリーな(陽気な)気分になれないのは MrK だけだろうか?

(我がブログを振り返るに、昨年はずいぶん浮かれていたようだ) ↓

『クリスマスの頃には』

『イーヴン・イヴ』

というわけで、本エントリーのタイトル、『ソリー・クリスマス』は

タイプミスではないのだよ。

米国金融不安、世界同時不況、

日本では続発する派遣社員の契約打ち切り…

一方で政府は財政再建のため消費増税の議論。

まさに、Sorry (悲しい)Christmas ↓↓

これが言いたかったのだ(つまらんよ)。

22 日にはトヨタが赤字決算の見込みを発表という、

トヨタ・ショック第2弾の衝撃。

いよいよ日本も本格的な不況に突入したようで、

11 月の貿易統計速報によると輸出額の減少が顕著で、

貿易収支は 2234 億円の赤字となった。

11 月の赤字は 1982 年以来 26 年ぶりだそうである。

こんな沈うつな気分での年越しにはかなりつらいものがある。

11月23日付 Washington Post 電子版

Plunge in Exports Reverberates Across Asia;
輸出の急落がアジア全体に拡大;
Japan Reports Record Drop as Regional Trade Slows; Toyota Warns of First Loss in 70 Years
日本は地域貿易の停滞を受けて輸出の記録的な下落を公表;トヨタは 70 年間で初の赤字決算を通告

Toyotaswoe

日本は 22 日、11 月の輸出額の前年比下落が 27 %と記録的な数字であったことを発表した。
これは、世界第2位経済の劇的な悪化と、多くのアジアの国々を高揚させてきた輸出主導型の好況の終焉を示すものである。

実際、最強のトヨタですらこの 70 年間ではじめての営業損失が見込まれることを明らかにしたが、これは、世界で最も利益を出していた企業が世界同時不況により、今、いかに急速に打撃を受けているかの鮮明な例を示してくれている。

日本の驚くべき輸出額の下落はアジア全体に波及しているが、そのアジアでは多数の国が厳しい見通しをさらに越えたデータが公表されている。
タイでは 11 月の輸出額が約 19 %下落したと発表されたが、これは過去 17 年間で最大の減少である。
同じように台湾の輸出額は 11 月に 23 %下落しており、本日発表されることになっている政府の将来の輸出注文に関する報告ではさらに急落を示すと目されている。

「どこもかしこも一緒に下落しています。27 % の下落は実際のところ驚くべき数字であり、より重大な衰退の前兆となっています」と、Cornell University で通商政策学の先任教授をつとめる Easwar Presad 氏は言う。
「重要な点は、輸出主導の成長に依存してきたこれらの多くの国々が今回のことから脱却するためには内需に頼らなければならないということでしょう」

中国は 11 月の輸出はこの7年で最も大きな下落を示したと発表したが、この下落はアジアじゅうに波紋を呼んでいる。
それは、多くの近隣国にとって中国が最も大きな輸出市場となっているからである。
日本の対中国輸出は 25 %減少したが、これは過去 13 年間で最大の下げ幅である、と日本の財務大臣は述べた。

中国の貿易の約 50 %は加工処理に関連している。すなわち、半導体や他の部品を、日本、韓国、あるいはその他の近隣から買い、それらを低コストで、ソニー、パナソニック、あるいはサムスン向けの製品に仕上げるというものだ。
事実上、中国は広大な世界生産ネットワークの最終組み立て工場のようなもので、それが今や、プッスン、プッスンと音を立てて止まりそうになっているのである。

日本はアメリカ経済との密接な関係の余波を受け、すでに本格的な不況に突入しており、不況の影響を緩和とするために日本政府は金利を引き下げ、国内支出を増大させた。
しかし、トヨタの苦境は、1982 年以降世界貿易における初めての落ち込みになると世界銀行が予測する最新の徴候である。

昨年、トヨタの営業利益は 250 億ドル以上あり、これは大部分がハイブリッドカーのプリウスなど低燃費モデルの成功に起因していたといえる。
最近までトヨタは3月期までの会計年度で約 70 億ドルの営業利益を見込んでいた。
しかし昨日、トヨタの渡辺捷昭社長は、同氏が言うところの百年に一度の消費者需要の落ち込みと急速な円高により、同社は 17 億ドルの赤字を出す見込みであると発表した。

「厳しい状況は、予想されたよりもはるかに早く、広く、また深く我々を襲ってきています」と同氏は名古屋市での沈鬱な雰囲気の記者会見の場で述べた。

米国では、トヨタはプリウスの生産拠点として予定していた新しい工場の稼動を延期し、テキサスにある工場での Tundra pickup truck の生産台数を減らした。
またトヨタはヨーロッパ、アフリカ、あるいは中国の工場についても同様の発表をしている。

11 月の数字がクリスマス前の販売を反映するため、この先数ヶ月はさらに大きな下落が予測される。
確かにそうではあるのだが、すでに多くの国々により輸出額の急落が発表されつつある。

例えば、サウジアラビアは、来年には、金属製品、電気製品、および工業設備品などの非石油輸出が 30 %下落すると見込まれている。今年は昨年より 21 %の増加をみていたところである。

インドにおいては、自動車部品の輸出は、今期 20 %の成長が見込まれていたが、自動車部品協会は、過去 20 年余の間で初となる、同品の輸出額の減少が見込まれている。
インドの部品メーカーは、コスト削減に躍起な米国の自動車メーカーからの需要によって支えられてきており、至近の会計年度には輸出額を 36 億ドルにまで増大させていた。
しかし今やデトロイトは急激に生産量を圧縮してきている状況だ。

スイスでは、高級時計産業もまた打撃を受け、11 月の輸出額は 19 %低下した。11 月はクリスマス前のもっとも重要な月であるのだが。
この下落は、数千ドルで売られている高級モデルと、もっともベーシックなプラスチック製のスウォッチ腕時計の両者を襲っていると、同産業の団体は言う。

日本の輸出危機は、一ドル 90 円となる 13 年ぶりの円高、すなわち円価値の驚異的な上昇によって増幅された。
米国が不況に突入した今年、円はドルに対して約 24 %値を上げたが、急騰する通貨は日本製品の価格を著しく上げ、それによって需要が弱まり、トヨタのようなグローバル企業の利益が減少した。
厳しい輸出速報が発表された後の昨日、円は、ドル、ユーロに対して急落した。

まさに急転直下のトヨタの業績悪化には驚くばかりである。

先が読めなかったとはいえ、

2兆円超の収益を上げていた時期にも、

外需に向けてさらなる投資を続けていたことに

今回の急落の原因がありそうだ。

その時期にこそ、国内需要を高める努力が

払われてしかるべきだったのではないか。

これはトヨタに限ったことではないのだが…。

経営状態の悪化で、

即、非正規雇用者を切り捨てるような方策を打ち出すことは

社会不安を増長させ、ますます内需を低迷させる結果につながる。

正規、非正規問わず、犠牲を分散させ、雇用を最優先に守ることが、

これまで莫大な利益を得てきた

巨大企業の責任ではないだろうか(偉そうに)。

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バーイシクル

2008-07-29 16:28:00 | 社会・経済

原油価格の高騰により、自転車の利用者が著増しているようだ。

車社会の大都会でも自転車での通勤や使い走りが

目立ってきているらしい。

雑踏の中、

颯爽と自転車を走らせる人々(ヌードではないが)の姿を

見る時、あの『名曲』が思い出される。

"Bicycle Race"

キムタク出演の WOWOW のCMでおなじみの

Queen の楽曲だ.

この曲を聴いて、これまでは「自転車に乗りたい」、

ふーん、そう?としか考えたことなかったが、

「なんで自転車に乗りたいの?」で、

今回その歌詞が一体どういう内容なのか調べてみた。

“バイシクル・レース”

自転車、自転車、自転車

乗りたい、マイ自転車、自転車、自転車

乗りたい、マイ自転車

乗りたい、マイチャリ

乗りたい、マイ自転車

好きなところに乗って行きたい

君が黒と言えば僕は白

君が吠えろと言えば僕は噛みつけ

君が鮫と言えば、僕は、そう人間

ジョーズはいかすと思わないし、

スターウォーズも好きじゃない

君がロールスと言えば僕はロイス

君が神と言うなら僕に選ばせてくれ

君が主と言えば僕はキリスト

僕はピーターパンもフランケンシュタインも

スーパーマンも信じちゃいない

今僕がやりたいことは

自転車、自転車、自転車

乗りたい、マイ自転車、自転車、自転車、

乗りたい、マイ自転車

乗りたい、マイチャリ

乗りたい、マイ自転車

乗りたい、マイ…

自転車レースが君を待ち受けている

仕事なんて忘れちまえ

ケツのでかい女ども

今日も自転車に乗るだろう

きれいな女の子を探そうぜ

位置について、用意、ドン!

自転車レース、自転車レース、自転車レース

自転車、自転車、自転車

乗りたい、マイ自転車

自転車、自転車、自転車、自転車

自転車レースは最高

ヘイ!

君が coke と言えば僕は caine

君が John と言えば僕は Wayne

やったぜ、まあ落ち着けよ、あんた

僕はアメリカの大統領になりたくない

君が微笑んでと言えば僕はハイチーズ

カルティエ、どうぞどうぞ

所得税、こん畜生

ヴェトナムやウォーターゲートの候補者になるなんてまっぴらだ

だって、僕の今やりたいことは

自転車、自転車、自転車

乗りたい、マイ自転車、自転車、自転車、

乗りたい、マイ自転車

乗りたい、マイチャリ

乗りたい、マイ自転車

好きなところに乗って行きたい

(以上訳詞 by MrK 、註:当てにならず)

フレディ・マーキュリーによる詞は予想通り意味不明…

(ツール・ド・フランスに触発されて書いたそうだが)

ところで、米国においても

死亡事故が発生するなど、

自転車乗りのマナーが乱れていて

自動車や歩行者との間で交通戦争も勃発。

Washington Post 紙 には

自転車乗りの11箇条の心得が載っていた。

(以下その要約)

 1.目的に適した自転車を購入すること。

 2.毎回、乗る前に自転車を点検すること。

  タイヤ、ブレーキ、チェーンなどを点検しなさい。

 3.道路の規則を知ること、そしてそれに従うこと。

  必要な場合には手信号を用いたり後方を確認しなさい。

 4.ぴったり合ったヘルメットを着用すること。

  眉毛とつばとの間は二本指が入るスペースがあること。

  横のストラップのVの部分は耳のすぐ下に来ること。

  そして顎のストラップはきちっと合っていることが必要だが

  きつくなりすぎないこと。

 5.ヘルメットがあなたの安全を守ってくれると過信しないこと。

  転倒した時、ヘルメットは実際に頭部を

  保護するかもしれないが、まずは転倒を避けることが重要。

 6.道路上の危険に注意すること。

  下水溝の格子蓋だけでなく、砂や砂利、割れたガラス、

  そして落ち葉やその他の破片など、

  タイヤの横滑りを起こさせる危険物に目を光らせなさい。

 7.危険性を認識しておくこと。

  自動車/自転車の衝突事故のほぼ70%が

  都会で起こっていることをご存知か?

  さらに、2003年には、

  致死的傷害を受けた自転車運転手の28%に

  高い血中アルコール濃度が見られた。

  酒を飲んで自転車に乗るなんて、もってのほか!

 8.歩道を走らないこと。

  自転車事故の多くが歩道上で起こっている。

  そこでは自転車が電柱、ポスト、郵便受け、その他の障害物に

  衝突しやすく、脇から出てきた車とぶつかることもある。

  歩道は歩行者に譲りなさい。

 9.日中も夜間も、自分の存在がよく目立つよう心がけること。

10.車の運転手と同じように行動すること。

  道路上の自転車走行は子供の遊びではないのだ。

11.指導者をゲットすること。

  経験豊かな自転車指導員は道路での走行に慣れる手助けとなり、

  適正な走行経路の選択について情報を与えてくれたりする。

  すでにこういった指導員を備えた自転車通勤団体が存在している。

ふーむ…

本来気軽な乗り物だったはずの自転車に乗るのも楽じゃない。

フレディ・マーキュリーも、生きてたら、

今でも乗りたい、乗りたい、乗りたい、と思うだろうか?

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口利き社会

2008-07-14 20:31:14 | 社会・経済

『口利き』…、なんとも悪しき日本の慣習を表現する言葉かな。

もともとの意味は

「〔もめ事や相談事で〕当事者のあいだに入って

両者をとりなすこと、仲介・紹介・斡旋などをすること」。

新銀行東京の融資をめぐり、例のワンマン都知事周辺からの

口利きも話題となっている。

どうも『口利き』とは、こそこそとした恐喝にも似た根回しの雰囲気、

そこには、いいイメージは全くなく、

当然のごとく金銭の授受がからんでいそうである。

今回の大分県の教員採用をめぐる不正で

なにより驚かされたのが、採用試験の成績を

幹部一人の意向で随意に捻じ曲げることが可能な体制だ。

そういう体制だからこそ『口利き』が横行していたのであろう。

2008年度の採用試験では、

『口利き』で頼まれた受験者に水増しをするために、

合格点を上回っていた約10人は

点数を下げられ不合格にされたということである。

このようなシステムが十年以上も維持されてきたこと自体、

驚異なのだが…。

目前に迫っている来年度の採用試験では

厳正な評価体制の確立や試験結果の情報公開の実施を

決めたそうだが遅きに失している。

本来、公的な採用試験では、その判定に

個人の判断が入り込む余地を完全に排除する必要がある。

模擬授業判定や面接試験においても複数の試験官による

厳格な判定を行い、可能な限りの客観的評価を行うべきである。

今回の事件は県教育委員会の組織的問題と考えられる。

幹部はこのおいしいシステムを自ら変えようとはしなかったのだろうし、

今回の発覚がなければこれからも延々と続いていたに違いない。

本来なら採用されるべきだったにもかかわらず不当に不合格と

された人たち、あるいは不正なく実力で合格してきた人たち、

この人たちは当然被害者なのであるが、

どの教師を信じていいのか疑心暗鬼に陥っているに違いない

生徒たちが最も気の毒である。

過去の採用試験のデータが既に処分されており、

不正合格者を遡って特定することは困難かも知れない。

それならば『口利き』のおかげで採用されたと自覚する教師達は、

進んで職を辞し、受験し直すくらいの覚悟が必要だろう。

そうしなければ、生徒や保護者からの信頼回復は難しいと思う。

今回、贈賄罪で起訴された校長の長女は、

十分合格圏内にあったとのことである。

職務にも熱心な優秀な先生との評価だったそうだ。

このまま教職を続ける意向もあるようだが、

この際、実際に合格圏内にあったか否かは関係ないだろう。

採用に際して親が犯罪を犯していたとなれば、

たとえ本人に責任はなくとも自身の決断によって

現場の混乱は回避されなければならない。

学園ドラマで、生徒たちから『先生やめないで』と嘆願され、

涙のうちに一件落着、というわけにはいかない。

相当に根が深いと思われる今回の教育界の不正、

さすがに

『原因の徹底究明と事件の再発防止が求められます』

NHK『ニュースウォッチ9』のキャスター田口五朗氏の

決めゼリフ(笑)で済まされる問題でないことは間違いない。

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素直になれなくて

2008-05-24 23:25:07 | 社会・経済

医療事故は、被害を受けた患者はもちろんだが、

医療を提供した側にとっても大きな不幸である。

癒着胎盤の剥離に手間取り、出血多量で妊婦を死亡させたとして

業務上過失致死罪と異状死の届出義務違反で

福島県立大野病院の産科医師が逮捕された事件は

社会に大きな波紋を投げかけた。

そもそも不確実性の高い医療の現場において、

不明確な過失行為に刑事罰を適用しようとする警察、検察に対し、

多くの医学会や医療系ブログから抗議の声が上がった。

これは、患者と医療者の関係を超えた、

医療における過失の意味解釈の根幹にかかわる問題だ。

医療者の能力の欠如が、即、人命に関わりかねないのが

医療現場であるのは確かだ。

医療者間の能力差は避けられないことから、

不幸にして患者が最悪の転帰をたどった場合、果たして、

それが力量不足によるものか、過失によるものかの

判断には、きわめて難しいものがある。

そのような状況において、ひとたび医療事故が発生した場合、

まず重要なことは、真実を明らかにすることであろう。

日本では、医療者側でも、患者側でもこれができないために、

特に死亡事例においては、最初から警察の介入を余儀なくされると

考えられる。

これに対して、新しいシステムを構築しようとするのが、

現在進められている、事故調査委員会の設置であり、

この運用方法が

『医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の

原因究明・再発防止等の在り方に関する試案』、

いわゆる第3次試案に挙げられている。

ただ、これについては、

明らかに誤った医療行為によって患者が死亡した場合以外でも

刑事訴追される可能性が残されており、依然医療者側からの

反対意見は多い。

一方、米国では、医療事故にからむ民事訴訟は多いものの、

過失による死亡事例においても刑事訴追されることは

極めて少ないそうだ。

米国においては、民事訴訟などの紛糾を極力避けるため、

近年、医療者側は積極的な情報開示を行い、明らかに

過誤があった場合には謝罪を行う傾向が見られるという ↓ 。

5月18日付 New York Times 紙、ウェブ魚拓

これまで、医療過誤が起こると、それにかかわる弁護士や保険会社は

医師や病院に対し、過誤を否定し、自己防御するよう助言してきた。

過誤の容認や悔恨の表現は、提訴を招くと考えられてきたのだ。

しかし、医療過誤対処にかかる多額のコストや

患者家族の強い要求の増加に悩む、John Hopkins や

Stanford など、一部の著名な医療センターでは、

むしろ患者側と非敵対的なアプローチを模索するようになった。

明らかに過誤があった場合、これを迅速に公開し、

誠意ある謝罪と適正な補償をj申し出ることで、

心の通う交渉を行い、提訴に駆り立てる患者側の怒りを

和らげることを期待する。

また、真実を明確にし、そこから過誤の再発予防の教訓を得、

今後の患者の安全性を高めてゆくことも可能となる。

情報の開示や謝罪が提訴数をむしろ増加させるのではないかとの

懸念はあったが、これを行った施設では医療過誤訴訟の件数が

大幅に減少しているという。

しかし、現場医師の抵抗もあり、情報開示が実践されている病院は

まだまだ少ない。

米国では年間98,000人が医療事故被害で死亡しているとされるが、

その30%しか患者側に情報開示されていないという。

しかし、一旦医療者側が謝罪したことが、後に裁判となった場合でも

不利になることはないように定める州も34に上り、

患者側への率直な対応が今後さらに進められそうである。

さて、そういった観点からわが国を見るに、

前述の第3次試案では、医療者側からの患者側への

誠意ある対応が進んでゆくとは期待できないように思う。

恐らく、過失有無などの判断は医療事故調査委員会に一任され、

判断が下されるまでは医療者側は口をつむぐに違いない。

患者と医療者の間に、本当に『良い関係』を築く方策は

もっと別なところにあるような気がしてならないのだ。

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