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MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

『北』を知るには紅茶占い?

2009-05-29 19:49:02 | 国際・政治

5月25日、
北朝鮮が2回目となる核実験を行ったが、
その背景には、健康問題を抱える
金正日総書記の後継問題が絡んでいるとの
見方がある。
4月5日にテポドン2号が発射された直後の
9日に行われた最高人民会議において
増員された国防委員の一人に、
金正日総書記の妹の夫、張正沢氏が選出された。
さらに、総書記の三男、金正運氏も
国防委員会の指導員に任命されたという。
軍部を抑えるための金一族の重職への配置が
粛々と進められている模様だ。
昨年、脳卒中を患ったとみられる金正日だが、
4月の劇ヤセ映像を見て、まだまだ長生きしそうな
印象を受けたが、実際には、
かなり健康に不安を抱えていると見るべきか。
実の息子とはいえ
できが悪かったり、若すぎたりで、
今のままでは、後継を託しても
軍部を掌握することは難しいと考えているのであろう。
金正日自身は長男の正男氏より三男の正運氏を
推しているやに伝えられるが、真実は不明のままである。
いずれにしても、偉大なる将軍様は
国際世論や世界平和よりも、
一族による体制維持が最重要課題であると
お考えなのであろう。

5月25日付 New York Times 電子版

Test delivers a Message for Domestic Audience 核実験は国内向けのメッセージ

Nukemap_2

 二回目の核実験を行ったと北朝鮮が突然月曜日に声明を出したとき、これはワシントンからさらなる譲歩を引き出すための北朝鮮による新たな挑戦的な策略だというのがこの領域における最初の見方であった。
 それは過去に何度も繰り返されたパターンであり、今回も同様に一つの動機ではあるようだと、北朝鮮ウォッチャーは言う。しかし今回については、北朝鮮の後継者問題が第一の要因であると多くの専門家たちは信じており、今回の核実験を聞かされる人たちが、米国民だけでなく、その国の全国民であることを指摘する
 月曜日の核実験はより独断的な外交政策への転換の最たるものであり、そういった政策は北朝鮮指導者の金正日が脳卒中を患ったとみられる8月からほどなく始まったようだとみる識者もいる。後継者についての憶測は、一番下の息子、金正雲に注目が向けられているが、3代目への一族の世襲制を続けようとしているものであり、共産主義国家では類のないものだ。
 今回の核実験が北朝鮮の強力な軍隊との結束を示すことを目的とした権力の誇示であると指摘する専門家たちがいる。一方、軍隊の支持は金氏による後継者の選択を磐石なものとするのに不可欠である。必要最小限の食料や電気すら供給できなくなっている政府において技術的躍進の誇示が年老いた金氏の遺産としての役割を果たすことを目論み、この声明を北朝鮮の大部分の貧困層に向けたものとみなすものもいる。
 いずれにしても、北朝鮮政府がおそらく今回の核実験で権力の円滑な移行が確かなものになることを望んでいるのであろう。そして、おそらく、少なくとも当分は年配の金氏がいまだ権力の座にあることを示している。
 「金正日は、国家に強大な核兵器をもたらしたことを示したいと考えています」と、ソウルを本拠地とする研究機関、Institute of Foreign Affairs and National Security で上級研究員を務める Yoon Deok-min 氏は言う。「この実験は間違いなく国内向けのデモンストレーションです」
 識者たちはこの核実験を、支配者一族が移行に向けての準備をしている兆しと呼んだ。先月、金正日の義弟、張成沢が、北朝鮮政府における最も権力のある集団、国防委員会に加わったと、ソウル高麗大学の国際関係学教授 Kim Sung-han 氏は語った。彼によれば、張氏の昇任は金正日の健康悪化の場合に軍からの支持を確実にするための動きかもしれないという。
 4月、韓国ニュース・メディアは、20代半ばの金正雲が委員会の下級職に任命されたことを報じた。Kim Sung-han 氏によれば、若い金氏が、年長を重んじる社会において権力者に就任できる年齢に達するまで張氏が後見人の役目も果たすことになるのではないかと言う。
 「今回の実験は軍との良い関係を築こうとする金正日の願望のメッセージです。軍が継承問題の鍵となっているのです」と彼は言う。
 確かに、北朝鮮識者が認めているように、このきわめて秘密主義の政府の動機を理解しようとすることはまさに紅茶占いの訓練である。そして北朝鮮がいまだにワシントンから可能なかぎり多くの援助や食糧を引き出すために核による瀬戸際政策をしたがっているということで多くの北朝鮮ウォッチャーの意見は一致している。そういったやり方はこれまでに実証済みである。
 北朝鮮はこれを1998年に試みた。この時、北朝鮮は日本の上空へ多段階ロケットを発射し、その数ヶ月後長距離ミサイルの発射実験を中止する申し出で追い打ちをかけた。それらの譲歩はワシントンとの関係に緩和をもたらす結果となり、2年後に Madeleine Albright 国務長官による画期的な訪問へとつながっていった。
 問題は、これらの関係改善がしばしば長続きしなかったことである。ちょうど一年前、北朝鮮はその兵器計画を断念することに同意した後、主要な核兵器プラントで冷却塔を爆破した。しかし、北朝鮮は4月にその約束を破り、長距離ロケット打ち上げ実験に対する国連の制裁措置への怒りから、その計画を再開した。
 月曜日の実験における北朝鮮の主たる目的が、イスラエルやパキスタンにならって独自の核抑止力を築くために、その核技術を進展させることであったにすぎないという人たちもいる。早期の地震記録が示したところでは、北朝鮮北東部の地下爆発は3年前の最初の核実験よりはるかに強力であったと韓国のニュース・レポートは述べている。
 核爆弾や他の兵器の開発が現体制の存続を確かにする最善の方策であると北朝鮮が見ているというのが、多くの専門家による共通の見方だ。ちょうど米国がインドに対する反対を取り下げ、結局関係を修復したように、今回の実験によって北朝鮮を核武装国家として米国に認めさせるのを北朝鮮が望んでいるとも彼らは言う。
 「ピストルを突き付けて誰かにプロポーズしているようなものです」と東京、慶応大学の政治学者、小此木正夫氏は言う。「北朝鮮の目的とその手段の間には大きなギャップがあります。しかこれは北朝鮮が操作法を知っている唯一のやり方なのです」
 北朝鮮は、ワシントンの注意を引くことを主たる目的として月曜日の実験をおこなったと、小此木氏はみている。継承の危機とイランへの関心の集中を考えるとき、北朝鮮が新しいオバマ政権にとって低い優先度であり、そういった米国の見方が北朝鮮を軽視しようとする政策を反映しているという感覚が同国指導者たちの間に広がっていると彼は指摘する。
 「彼らは核武装国家として認められたいと思っているのです」と、高麗大学の Kim 氏は言う。「もしワシントンがそれを認めたとしたら、北朝鮮はアフガニスタン支援の軍隊を進んで送ることさえするだろうと確信しています」と、いくらか誇張を交えて付け加えた。

金正日は、切れ者といわれる張成沢に
一族の命運を託すつもりなのか?
金正日の68才は、まだまだ老けこむ歳では
ないと思われるのだが、
今回の核実験は、
彼が明日をも知れぬ重病を抱えている可能性を
感じさせるやけくそとも思える暴挙であり、
独断的な行為である。
しかし、そうは言うものの、
我が日本も、
クラスのいじめっ子に対して、臆病な生徒が見せがちな
一対一では何も言えないくせに、
学級会になると先頭に立って糾弾するといった
いかにも性格の悪そうなやつにみられる行動を慎み、
各国と協調して非難の足並みを揃えるべきだと
思ってしまうのだ。

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教皇の目論見

2009-05-13 22:49:20 | 国際・政治

前回のエントリーで、
ヴァチカンのコンクラーベを舞台にした
小説&映画『天使と悪魔』を取り上げたばかりだが、
現実社会の教皇も色々とお悩みのご様子だ。

国際紛争において
偉大なる宗教指導者の果たす役割とは一体何か?
どのようなスタンスをとるべきだろうか?
あくまで中立な立場を貫くべきか?それとも
あるいはどちらか一方に正義があると明言するべきか?
ホロコーストをはじめとする反ユダヤ主義に対する
ヴァチカンの姿勢は微妙な状況にあり続けている。
今回、就任後初めて中東を訪問したドイツ人教皇、
ベネディクト16世においては、
反ユダヤ主義との間に確実に一線が引かれているとは
言い難い言動が指摘されている。
果たして今回の中東訪問の意義は?
そんな話題である。

5月11日付 Washington Post 電子版

Pope, in Israel, confronts dark history of Germany
教皇、イスラエルの地でドイツの暗い歴史に対峙

Benedictxii

 ローマ教皇ベネディクト16世は、5月11日月曜日、イスラエル訪問の初日に、彼の祖国ドイツの暗い歴史に対峙することとなった。そこで彼は、6人のホロコーストの生存者と握手し、「大虐殺の犠牲者の方々の命は失われたが、決してその名を失うことはないだろう」と述べた。
 最近ホロコーストを否定した司教(聖ピオ十世会)の破門を解く決定を彼が行って以来、ユダヤ人とのぎくしゃくした関係を緩和しようとするベネディクトの企ては部分的な成功を収めたに過ぎなかったようだ。イスラエルにあるホロコースト記念館で二人の高官は、当地での演説で謝罪しなかったことや、『殺人』や『ナチス』の言葉を使わなかったとして教皇を非難した。
 また、戦時中の教皇、ピウス12世がホロコーストでユダヤ人を救うべく十分な努力を行ったかどうかについてのヴァチカンとイスラエルの間にある積年の見解の相違の解決に明確に進展をもたらすことはなかった。
 しかし、エルサレムにある Yad Vashem ホロコースト記念館で花輪を捧げ、『永遠の炎』に点火した月曜日に教皇が見せた感情的な一面はこれまで殆ど目にすることがなかった。
 声や手を震わせながら、この82才の教皇はなくなった人たちについて流暢に語った。
 「私は、彼らの両親が子供の誕生を心待ちにしていた時の喜びに満ちた期待をただ想像することしかできません。この子に何という名前をつけようか?彼、彼女にはどんな未来があるのか?あのような悲しい運命が待ち受けていることを誰が想像できたでしょうか?」
 「静かにここに立っている時、彼らの叫びが今でも私たちの心に響きます」
 2度目となるローマ教皇のイスラエルへの公式訪問はおそらく9年前の初回のような高揚なドラマの再現とはならないだろう。当時はベネディクトの前任者ヨハネ・パウロ2世が、ユダヤ教の最も聖なる場所 Western Wall(嘆きの壁)で、キリスト教徒のユダヤ人差別を謝罪し手書きのメモを残した。
 それでも今回、ベネディクトは、赤絨毯、聖歌隊、旗や赤いカーネーションを振る子供たち、イスラエルのノーベル平和賞受賞者 Shimon Peres 大統領による Benedict の名を冠した新しい小麦の株の贈呈など満載の格別な暖かい歓迎を受けた。
 「あなたには平和の推進者、偉大な精神的指導者の姿を見ます」と Peres 氏は言い、ナノテクノロジーを用い、小さなシリコン粒子に記録した30万語のヘブライ語で書かれたユダヤ教聖典のテクストをベネディクトに寄贈した。
 「ヴァチカンにはこういったものは一つもお持ちでないでしょう」と Peres 氏は冗談めかして言った。
 ユダヤ人との緊張を緩和することがベネディクトの最優先の目論見であることは明らかだった。しかし、空港に到着した時、イスラエルのそばにパレスチナ人の独立した国家を提唱する注目すべきコメントは新しい強硬派のイスラエル政府とは相容れない立場に彼を置く可能性があった。
 イスラエル人もパレスチナ人もともに、『確定的で国際的に認められた国境に囲まれた自分自身の祖国で平和に暮らすべきである』とベネディクトは述べた。
 イスラエルの Benjamin Netanyahu 首相はベネディクトがこのように語った時すぐそばに立っており、イスラエル当局は後で、この教皇の訪問の目的は政治的なものではないとし、対立の火種をもみ消そうとした。イスラエル外務省の Yigal Palmor 報道官は、米国やヨーロッパ諸国によって共有される何年も前から続いている立場を教皇が表明したのだと述べた。
 しかし、教皇の到着後間もなく、地域の争いがその邪魔をすることになった。パレスチナの聖職者 Taysir Tamimi は、ある異教徒間の集会でマイクロフォンを奪い取り、イスラエルによる最近のガザでの戦争や西岸地域の占領を糾弾する予定外の演説を行った。
 そういったことがなければきわめて台本通りの一日で終わるはずだったところに、このできごとはドラマをもたらすこととなった。ヨルダン西岸地域とガザ地区のイスラム最高位にある Tamimi 師は、彼を説得して演壇から降ろそうとしたキリスト教の聖職者を無視した。群衆の中には拍手喝采したものもいたが、明らかな不快感を示すものもいた。教皇は明確な反応を示さなかった。
 これに対しヴァチカンは『この割り込みは会話があるべき姿の直接的な否定となった』との声明を行い非難した。
 ベネディクトは教皇となる前、ユダヤ人とのよい関係を推進する人物であると好評を博していたが、彼の経歴や教皇就任以来のユダヤ人の感性に対するこれまでに感じられる彼の無神経さはイスラエルに不安を抱かせている。
 この教皇はホロコーストを否定するイギリスの司教の破門を解いたことで、今年初め、ユダヤ人の怒りを買ったが、ベネディクトは、この司教の過去を知らなかったと後日説明していた。イスラエルの最近のガザへの軍事攻勢のさなかに、その地域はさながら、『広大な強制収容所のようだ』とヴァチカンの上級職員が話したことで、関係はさらに悪化した。
 しかし、カトリック教徒とユダヤ教徒との間の論争の最大のポイントは、やはり、第二次世界大戦におけるピウス12世の果たした役割である。ベネディクトは彼を『偉大な聖職る者』と呼び、ユダヤ人が戦時中の彼の行いを憂慮しているにもかかわらず、彼を聖人にまつりあげようとする取り組みを支持している。
 Yad Vashem では、ベネディクトは記念館の主要な箇所を訪れなかったが、実はそこの写真の説明文には、ピウスはナチスによるユダヤ人虐殺に抗議することなく、概して“中立な立場”を保ち続けたと書かれている。
 Yad Vashem の評議委員会の委員長であり、イスラエルの前チーフ・ラビであったMeir Lau は記念碑でのベネディクトの演説は重要とみなしたが、物足りない点もあるとも述べた。
 「 “killed” と “murdered” の間には明らかな違いがあります。ホロコーストの何百万人と表現するのと、600万人と表現するのとの間にも違いがあります。6という数字は述べられませんでした」自身がホロコーストの生存者である Lau はイスラエル・テレビにこう語った。「そこには明らかに謝罪はありませんでした」
 Yad Vashem の館長 Avner Shalev もまた概括的にはこの演説を称賛したが、彼が期待したもののうち二つは叶わなかったと言う。教皇が反ユダヤ主義に触れなかったこと、そして誰がホロコーストを行ったかについて明言しなかったことである。「彼はナチスもナチスドイツもあるいはその協力者にも言及しませんでした」と Shalev は言う。
 しかし、教皇に会った生存者の一人 Edward Mosberg は満足していると言った。
 「これはきわめて重要なできごとでした」と、Mosberg は言う。
 ベネディクトは聖地パレスチナへの一週間に及び巡礼の旅を行うことでイスラム教徒やユダヤ教徒と心を通わせようとしている。彼はイスラエルに到着する前には隣国ヨルダンで3日間を過ごしていた。
 3年前、イスラムの預言者モハメッドの教えのいくつかを“邪悪で非人間的”、特に“武力によって信仰を広げよとの彼の命令”などと表現した中世の文章を彼が引用した時、イスラム世界の多くの人たちを怒らせた。彼はその後、自分の発言がイスラム教徒の怒りを招いたことに対して遺憾の意を示した。
 ヨルダンを出発する前、彼はイスラムに対して“深甚な敬意”を持っていると語った。
 しかし、イスラム教徒は、ユダヤ教徒と同じく、月曜日にはベネディクトに対して明らかに混在した反応を持った。
 教皇がエルサレムの大統領居住地を訪れている間、3年前にハマスの兵士たちに捕えられ、ガザ地区にいまだに監禁され続けているイスラエル兵士 Gilad Schalit の両親と会った。
 ベネディクトがイスラエル人捕虜の家族には会いながら、イスラエルで捕らわれの身となっている11,000人のパレスチナ人のいかなる縁者にも会おうとしていないとガザのパレスチナ人たちは怒りをあらわにしたのである。

どちらかに肩入れすれば必ず他方からの反発を招き、
関係は悪化する。
いかに偉大な宗教指導者であっても
紛争解決の糸口を掴むことは至難の業といえそうだ
(いや、かえって難しいのかもしれない)。
カトリック教会とユダヤ教、イスラム教との関係。
もう少し勉強しなくてはならない。

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ダライ・ラマ 14世

2009-03-24 20:49:58 | 国際・政治

やりました、WBC2連覇!

もし韓国が優勝してたら、

今度はグランドのどこに何本の韓国国旗が

立てられることになることやらと、心配してましたが、

日本の優勝で、めでたしめでたし…。

さて、お話はがらっと変わって、今日はチベットのことなんですけど、

北京オリンピックが終わってから、チベットに関する話題は

私たちの耳からずいぶん遠ざかっていました。

ところが最近またにわかに、チベットの人たちの不満が高まり

暴動が起こっているようです。

3月23日付 東京新聞電子版

新華社通信は、

僧侶を含めたチベット民衆による一方的な暴動と報じていますが、

真相は不明です。

3月10日は、チベット民族が中国共産党のチベット弾圧に対する

蜂起を行なってから50周年にあたります(この蜂起は亡命という結果に

終わるのですが、チベット政府にとっては特に重要な日と

考えられています)。

この記念日に発せられたダライ・ラマ法王の声明では、

中国指導部の姿勢を批判する一方で、中国人に対して

チベット人ならびにチベット問題についての真の理解を求めています。

偉大な指導者ダライ・ラマとは一体どのような人物なのでしょうか?

3月17日付 TIME 電子版より紹介します。

The Dalai Lama ダライ・ラマ

Dalailama  50年前の今日3月17日、二発の迫撃弾が、Tenzin Gyatso、現在のダライ・ラマ14世のチベットの宮殿近くに着弾した。「中国軍の大砲が死の警告のように聞こえた時、宮殿のすべての職員と、そのまわりの広大な広場にいた身分の低い人たちの心に真っ先に浮かんだ思いは、私の命を守らなければならないこと、私が直ちに宮殿を出てこの町を去らなければならないということだった」と、チベット兵士に変装しポタラ宮殿から逃れたことについて、Dalai Lama は自身の自叙伝の中でそう想起している。それ以後、Dalai Lama 法王をチベット仏教で最も認識される一面とならしめたのは、インドのダラムサラにある亡命先からということになる。
 3つの国連決議の後ろ盾、リチャード・ギアやシャロン・ストーンなどの世界的なセレブリティによる支持、Dalai Lama の努力を認めたノーベル賞をもってしても、Dalai Lama には中国を説得して実質的なチベットの自治権を認めさせるという運には恵まれなかった。北京は、チベットと中国における抗議活動を煽動したとして Dalai Lama を糾弾し、彼を“うそつき”とか“陰謀者”と呼んだ。そして時がそのような傷を癒すことはほとんどなかった。22人の犠牲者を出して失敗に終わったチベット民族蜂起の50周年を前にした先週のある日、もし亡命中のチベットの宗教指導者が“分離主義”を放棄するならば中国は Dalai Lama の特使とのさらなる話し合いを歓迎する用意があると同国の首相は発表した。チベットの亡命中の首相は同じ調子で応酬した:「中国の首相の主張は…真実からほど遠い」

Fast Facts(確かな事実)

・“Dalai Lama” の直訳は“大海の師”で、“人間の姿をしたラマ僧”、あるいは、世界に対するその英知と慈悲が死後に再び生まれ変わるといわれている極めて高尚な宗教の師、を意味する Bsod-nams-rgya-mtsho を表現するために1580年にモンゴルの族長によって最初に作られた言葉である。
・1642年、第5代 Dalai Lama はチベットの一時的な支配権を得、以後、この地域は、中国の共産革命まで Dalai Lama の支配下であり続けた。この革命では国家の新しい指導者たちはチベットが中国本来の国土の一部であると主張した。信奉者たちがこの危機への対処を求めた時、Dalai Lama はまだ15才であった。
・Dalai Lama 14世がわずか2才の時、彼はチベットの田舎の町で賢人や捜索隊によって見い出され、Dalai Lama 13世の転生者と認定された。しかし、最初は、彼はいくつかの試験に合格しなければならなかった(これには Dalai Lama 13世、Thupten Gyatso の所有物であった身の回り品の選別が含まれていた)。
・身代金を要求した権力のある中国の省長に拘束されたが、その後、法王は 1940年2月22日に即位した。(チベット政府は彼の釈放のために身代金を支払った)
・Dalai Lama が外の世界について最初に学ばなければならなかったことの多くは、雑誌やニュース映画、チベットで7年間を過ごしたオーストリアの登山家 Heinrich Harer との会話などから得られた。
・1954年、中国への一年間の外遊に乗り出し、チベットの利益のために働きかけを行うため、毛沢東主席と会談した。また、1973年に初めてヨーロッパを訪問し、6年後には初めて米国を訪れた。
・インド政府が彼に亡命を許したヒマラヤに逃れるまで、Dalai Lama 14世によるチベットの統治はわずかに9年間であった。その後、90,000人以上の追随者がダラムサラへの亡命で彼と行動を共にした。1966年に始まった中国の10年に及ぶ文化革命の間にほぼ破壊しつくされた文化を保存するために、彼らはそこに僧院や農村社会を構築した。
・Dalai Lama は地球上で最も長期間在位している支配者であり、68年間人々を指導してきた。これは、エリザベス女王二世、タイのブミボル・アドゥリャデ国王、あるいはあのフィデル・カストロよりも長い。彼の後継者についての質問には回答はないままであるが、彼は、次の Dalai Lama は中国国境の外で見つけられるだろうと述べており、チベット人が現在の宗教制度を彼の死後も存続すべきであるかどうかを決定する選挙を行うことを提唱している。

Quotes about the 14 th Dalai Lama(Dalai Lama 14世についての引用)

「チベットの解放のための彼の戦いにおける Dalai Lama は一貫して暴力の行使に反対してきた。代わりに彼は、チベット人の歴史的文化的立場を守るため、忍耐と相互尊重に基づく平和的解決を提唱してきた」
―1989年のノーベル平和賞を Dalai Lama 14世に授与する決定に際して、ノーベル賞委員会(Boston Globe, 1989年10月)
「国際社会が関心を持ち、問うべきことは、闘争、破壊、略奪、放火などを含む犯罪的暴力のこの重大な事件においてまさしく彼がどのような役割を果たし、影響を及ぼしているかということである。審判を受け、とり調べられるべきは Dalai Lama 自身である」
―この年の初め中国で起こったチベット人による破壊的抗議行動における Dalai Lama の役割について、中国外務省スポークスマン Qin Gang(2008年3月19日)

Quotes by the 14 th  Dalai Lama(Dalai Lama 14世の発言)

「それは私の純粋な宗教だ。そこには寺院も、複雑な哲学も必要ない。自分たちの脳、自分たちの心が私たちの寺院である。哲学は思いやりである。
―慈悲について(New York Times、2003年11月28日)
「私はただの僧侶である、それ以上でもそれ以下でもない」
―彼自身について(New York Times、1989年10月9日)
「私たちは皆この小さな惑星、地球を共有しているのであるから、お互いに、また大自然とも、調和と平和のうちに生きていく術を学ばなくてはならない。それは単なる夢ではなく、必要なことなのだ」
―彼のノーベル平和賞受賞講演より(NobelPrize.org、1989年12月11日)
「私は現在に至るまで中国との交渉では中道の路線を真摯に追い求めてきたが、中国側から何ら前向きの反応は見られなかった。私としては、もうお手上げだ」
―彼の故国の自治をめぐる中国との議論に関して進展がなかったことについて(USA Today、2008年10月25日)
「この世の生き地獄だ」
―チベット蜂起50周年の期間中、中国の支配下にあった50年間の運命を表現して(AP、2009年3月10日)

わずか2才で Dalai Lama 候補に選ばれた

ラモ・トゥンドゥプ少年(現 Dalai Lama 14世)が

Dalai Lama 13世の転生者であることを確かめるため

所有物を言い当てるよう尋ねられて、

「これがボクのものだい」と、正確に答えたという逸話や、

昨年6月のエントリーでも取り上げたように

セレブリティがマブダチという話など、

周辺にはちょっと胡散臭さも感じるところもありますが、

輪廻転生を強く信じ生と死に真剣に向き合うチベット仏教を

深く信仰し、仏陀を極め、難しい仏教哲学の試験に優秀な成績で

合格したといわれる Dalai Lama 14世が偉大な人物であることは

疑いのない事実のようです。

いかなる迫害を受け苦難の生活が続こうとも、

チベットの人たちが Dalai Lama の教えを守り、

真実と非暴力の道を歩み続けていくことこそが、

仏性を求める彼らに課せられた試練なのかもしれません。

私たち日本人には、

同じ大乗仏教を信仰するチベットの問題に対して無関心であることなく

彼らの苦難や窮状に対して理解を深め、支援の道を探る努力が

求められているように思います。

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酩酊男の迷走

2009-02-18 21:49:48 | 国際・政治

実に腹立たしいことだらけだ

当の本人にも、その周囲の人たちにも、任命した総理にも、

そして、日本のメディアにも。

今回の財務大臣の辞任をめぐってさまざまな報道があるが、

やはりここは冷静に海外メディアの報道をご一読いただこう

2月17日付 New York Times 電子版

Minister Quits at Bad Time for Japan's Economy(日本経済最悪のタイミング大臣辞職)

Photo  先週末来、ローマでのG7会合の記者会見での奇妙な行動をめぐって批判を浴びていた日本の財務大臣の辞任は、ますます悪化する景気低迷のこの時期に同国の指導者に新たな問題をつきつけた。

 火曜日、中川昭一財務大臣が辞任に追い込まれたこのエピソードは、つい昨年9月から政権についている麻生太郎総理にとって大きな痛手となった。彼はすでに経済の舵取りについてや彼自身の見苦しい失態によって非難を浴びている状況にある。

 週末に行われた日本テレビネットワークによる世論調査では麻生氏の支持率は約10%となっており、今週出された数字では日本経済は1974年以降で最も急速に減速していることが示された。

 今年行われることになっている総選挙では、長期政権にあった自由民主党とその連立政党は政権を失う危機にあると政治アナリストは言う。自由民主党の敗北は日本の政治的展望における大規模な変化の始まりとなりうる。総選挙は9月までには行われるのは間違いないが、前倒しされる可能性がある。

 中川氏の失態は選挙の結果にさほどの影響を及ぼさないかもしれないが、「このことによって強調されるのは、麻生政権がいかに危機管理に欠けているかということです」と、東京、Tantallon research の最高責任者である Jesper Koll 氏は言う。

 経済財政担当大臣である与謝野馨氏が当面財務大臣を兼務すると、麻生氏は火曜日に発表した。これによって、与謝野氏は幅広い大臣職に就き、数十年で最悪の日本の景気低迷に歯止めをかける取り組みの先頭に立つこととなる。

 日曜日のローマでの記者会見では、赤ら顔の中川氏はしどろもどろの答弁をし、同時に、居眠りをしていたようにも見えた。もうろう状態で時折あくびをし、発言の間も目をつむっている中川氏の映像がインターネットで配信された。

 中川氏は飲酒していたことを否定し、そのふるまいはかぜ薬と疲労のせいであったと弁明した。

 しかし世界の舞台で日本の恥を晒したとして彼を非難する野党議員からの国会での質問に対して、中川氏はその出来事の前にワインに口をつけたことを認めた。

 当初、中川氏は、経済復興支援を目的とした一連の予算案が国会を通過するまで職に留まりたい意向を示していた。しかし、野党が彼の申し出を引き延ばしの戦略であるとして拒絶し、彼に対する議会の問責決議を提出した後、辞任することを認めた。

 「辞表を提出しました。私が辞めることがこの国にとって良いことだと判断しました」と彼は言った。

 麻生氏は「中川氏は難しい決断をされたと思います。彼の決断を尊重します。財務大臣としてたいへん有能な人物を選んだと今でも思っています。こういう事態となったことは遺憾に思います」と麻生氏は述べた。

 与謝野氏が日本の経済政策をどの程度変えることができるかは不透明なままである。彼は財政的保護主義者として知られており、急増する日本の債務に対処するために増税の必要性をこれまでに訴えている。

 米国に次ぐ規模の日本経済が、2008年の最終四半期には1974年以降最も速いペースで悪化したことが月曜日に発表されたデータで示された。

 現四半期も同様に悪い状況であると考えられており、経済を不況から救い出すには追加の経済刺激策が必要であると、多くの経済学者たちは言う。しかしながら麻生氏の政治的問題はその手続きを減速させるばかりである。

 「日本の経済が急速悪化するのと同時に、この国の政策決定は苦境に入りつつあります」と東京、NLI Research Institute のチーフ・エコノミストの Koichi Haji 氏は言う。「誰もが同じ疑問を持っています。『果たして現政権でこの危機を乗り切れるのか?』と」

 中川氏(55才)は大酒家として知られていたが、これまで日本の報道機関は彼のその悪癖を深刻に取り上げてこなかった。

 今回のG7会合における彼の行動は、当初、国内の報道機関からは無視されていた。しかし、海外メディアの笑いの的になっていたことが判明した途端、日本での憤慨が高まったのである。

 テレビで放映された火曜日の記者会見で、中川氏は自身の醜態について自国に謝罪した。彼は衆議院での議席には居座り続けると見られている。

「G7会合における自分の行動で多大なご迷惑をおかけしたことを謝罪します。引き続き日本経済の改善に向けては全力を尽くします」と、中川氏は述べた。

今回のG7での財務大臣の醜態は

確かに海外メディアに取り上げられはしたが、

当初『日本の恥を世界に発信した』といった、

そんな大袈裟なものではなかったと思われる。

そもそも海外では、日本の一財務大臣のことなど

ほとんど気にもかけていなかったに違いない。

大変な経済危機に陥っている国の財務大臣なのに、

groggy (酩酊してもうろうとした)な状態で

記者会見に臨むとは呑気なものだ、

てな感じだったのではないか?

海外メディアに揶揄されたことに気がついた

日本のメディアは遅ればせながらこの事態に注目し、

「日本の恥を世界に晒した」と大騒ぎし、

件の映像を繰り返し流し、国民の怒りを扇動した。

結果、与野党の政治家が重大視し、

中川氏を辞任に追い込んだ、という流れだろう。

今回の騒動に関わった面々は、日本のメディア、永田町であり、

国民は置き去りにされた形だ(いつものことだが)。

記事中にもあるように、

中川氏の大酒癖は以前より有名な話で、

これまでにも色々と話題には上っていたが、

日本のマスコミがこれについて重要視してこなかったことは

事実であり、まさにこのことこそ問題であると思う。

財務・金融担当大臣という重職に任命された段階で、

その資質については

追求・解決されておくべきことであったと思う。

麻生総理には、今回の問題において

任命責任を重視する姿勢は見られず、

政権にも大きな影響はないと発言した。

「日本の恥をさらした」

「あの男の酒癖の悪さがついに露呈した」

「問題のある人物を財務大臣に選んだ」ことなどは、

たいした問題ではない。

追及されるべきは、

日本経済が重大な危機に瀕しているこの時期に

財務大臣が辞任するという深刻な事態に至ったことに対する

結果責任である。

財務大臣が重職であり、

国会議員は重職ではないというのか。

そのような人物は即刻、議員辞職していただきたいし、

現政権は結果責任をしっかりとるべきである。

と言いながら、

一刻も早い定額給付金お待ちしています~(笑)。

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We Can Change, Really?

2009-01-15 11:53:24 | 国際・政治

日米問わず、医療制度改革はきわめて深刻な問題である。

米国においては、医療制度の問題は経済対策、

イラク問題に次いで重要な論点となっている。

民間保険に頼るところの大きい米国では、医療コストの増大は、

保険料の高騰につながり、必然的に無保険者の増加を生じている。

また医療費の膨大は、連邦、州、企業、国民への負担を

顕著に増大させた。

1月20日の大統領就任式が間近に迫ってきたが、

新大統領はこの問題にいかに立ち向かってゆくべきか?

アメリカにおける公的医療保険は、貧困層に対するメディケイド、

貧困児童が対象の州貧困児童健康保険制度 SCHIP、

高齢者公的医療保険のメディケアがあるが、

国民の多くは民間の医療保険を利用している。

医療費を抑えるため、

民間保険では医療管理型プランが推し進められたが

逆に必要な治療さえ受けられなくなる事態が生じ問題となった。

一方、高い保険料を支払うことのできる人々は

最先端で高額な医療を上限なく受けることができる。

こういった医療保険制度を含む医療システムにいち早く市場原理を

導入したアメリカの医療制度は今、

深刻な行き詰まりに直面しているといえる。

Obama 氏の "change" に期待する意見をご紹介しよう。

1月12日付 Washington Post 電子版 Opinion より

by Rober J. Samuelson

先週、Barack Obama 氏は、現在の経済危機を切り抜けた後には、連邦予算の縮小を行うことについて真剣に語った。
そのためには、医療費の急増と向き合う必要がありそうだ。
2007 年、医療費分の支出は全連邦支出2兆7千億ドルの4分の1に達している。
もしこれについて Obama 氏が真剣に考えるつもりなら、著名なコンサルティング会社のリサーチ機関である McKinsey Global Institute からの興味深い調査報告を読む必要がある

アメリカの医療は混沌とした状態だ。すばらしい医療を提供してくれる一方で、際立った欠点もある。
たいへん割高な保険料のため全人口の約 15 %は健康保険に入っていない。
急騰を続ける支出は政府の他の事業を圧迫し、膨れ上がった保険料により労働者の手取り給与はしぼんでいる。

McKinsey が提供するのは医療費の3分の1に及ぶ過剰浪費部分についての説得力のある概算である。
2006 年、米国の総医療費は2兆1千億ドルで、他の富裕国の平均を 6,500 億ドル上回っていると見ている。
この余分の金のおかげで国民の健康が相応の大きな利益を被っているかといえば、そうでもない。
いくつかの保健対策(たとえば乳がん生存率)については、多くの国々より良い成績であるが、他(平均寿命等)については劣っている。
この不満足な状況を説明するために我々は常に悪の根源を探し続けている。
McKinsey 調査では、おなじみの要因がいくつか挙げられている。

ひとつは、私たちの民間-公的保険システムの混在が、管理にかかる高額の諸経費によってコストを押し上げていることである。
請求様式はやっかいな事務手続きを生み、これに営業費がさらに負担を増加させる。
事実、米国における諸経費は他の国々の2倍以上の高さである。
しかし、( Medicare などの政府による事業を含めた)すべての管理経費は全医療費の7%を占めるにすぎないため、その影響はさほど大きくない。

しばしばスケープゴートに上げられる対象も同様である。乱用が問題視されている緊急救命室での医療の問題である。
2006 年、緊急救命室での総医療費は 750 億ドルだが、全医療費の 3.5 %に過ぎない。
占める割合は小さく、これによって全体の傾向を説明することはできない。

医療費を実際に押し上げているのは、他の国の人々に比べてアメリカ国民がよりお金のかかる医療サービスを受けており、それに多くの費用を支払っていることである、と同調査は指摘する。
人口で修正した 2005 年のCTスキャンの数でみると、米国はドイツより 72 %高かった。
また、米国におけるCTに対する償還額は4倍高い。
膝関節置換術は、他の富裕国の平均より 90 %多く行われていた。
2005 年、膝関節や股関節の置換術は 750,000 件で、5年間で 70 %増加している、と Journal Health Affairs は報告している。

私たちは国民の価値観を反映した医療システムを持っている。
それは、きわめて個人主義的で、企業家精神に溢れており、中央集権的管理には懐疑的である。
実際、Medicare や民間保険は医師や患者の治療選択に対して有効な規制をほとんど強いることができていない。
それは、ほとんどの米国民が望んでいることであるのだが。
患者が最先端の手術、検査、あるいは薬剤を希望するのは理解できるし、医師たちは診療の自由を望んでいる。

上限のない保険の払い戻しが高度な医療にかかる費用を補ってくれることから、金のかかる医療を後押しすることになる。
MITの経済学者 Amy finkelstein 氏は、1950 年から 1990 年にかけての一人当たりの医療費の実質増の約半分は包括的な健康保険の拡大を反映していると見ている。
2006 年、消費者の現金支出費は全医療費の 13 %で、これは割合としては 1960 年の約半分となっている。
残念ながら、この半自動的なシステムは、他の支出分にしわ寄せを生じ、無効で不必要な治療を生み出してしまうことで、国家の他の目標を頓挫させることになりかねない。

机上では、医療費抑制のためには様々な方策がある。医療の価格や安易な受療に対して規制の強化と、より効率的で、慎ましい医療に消費者を向かわせる "market mechanisms"(市場原理)などだ。
しかし、すべては失敗に終わっている。それらが積極的に行われなかったためである。
その理由は政策にある。支出抑制に向けて主軸となる一貫性がないのだ。
ほとんどの患者が医療費を直接支払わないため、縮小した医療を受けることや、より低価格のサービスを探すことにほとんど関心を持ってこなかったのだ。
また、サービスの提供者(医師、病院、製薬会社)も医療を制限することに関心を示さない。
他者が医療費と呼ぶものが、彼らの収入、すなわち、賃金であり、給料であり、利益であるからだ。

この政策的なアンバランスを修正しない限り、医療費抑制の努力は失敗に終わるだろう。
支出抑制に前向きな大衆の支持基盤の確立が必要である。
しかしこれまで我が国の政策は、ひたすら医療費を、法人組織の非課税の付加給付や政府予算に負わせることによって、その重荷を隠蔽してきた。

私たちはこの状況を変えることができる。
高齢者に Medicare の負担を増やすことも可能だ。
雇用者提供健康保険料に大しても通常の収入として税を課する措置も考えられる。
あるいは、政府の医療費を補填するため連邦税の創設を検討してはどうか。
もし医療費が歳入以上に増大するならば、税も自動的に上がるようにするのである。
国民は自分たちの現行のシステムにおける出費過多を敏感に感じることになるだろう。
もちろん、それらは全くの不評判となることが予想される。
アメリカ国民に不愉快な問題への直面を強いることになるからである。
しかし、医療は他の優先事項と比較して一体どれほど重要だとお考えか?

果たして Obama 氏がそれほど大胆になれるだろうか?
大統領選中、彼は医療費の抑制ではなく、むしろ充実を提唱していた。
"change" の美辞を用いるのは簡単だが、実際に変えることはむずかしい。

アメリカ経済が順風満帆な時代にあっても、

国民や企業に負担増を求める医療制度改革には

根強い反対意見があった。

ましてや、昨年からのアメリカ経済のリセッションのさ中には

記事の最後に書かれているような提案が

容易に受け入れられるとは思えない。

ヒラリー・クリントン氏が強く訴えていた国民皆保険の達成を

最優先にするのか、それとも医療費の抑制をめざすのか、

オバマ氏はむずかしい舵取りを迫られている。

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