ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

50周年同窓会(2)

2016年03月13日 | 日記
ほなさんの同窓会での挨拶を載せます。
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恩師の先生におかれましては、お元気でお越しいただき
誠にありがとうございます。50年前に教えていただい
た結果、私たちはなんとかここまでやってこれることが
できました。しかし先生の教えが身についているか、ご
ゆっくりと今日は判定してください。

さて、○○中学第20回卒業生のみなさん、こんにちは。
(「こんにちは」と皆から返事あり。)
本当にお久しぶりです12組のほなです。今日の世話人
20数名のひとりで、事務局をやらせていただきました。
挨拶というより、経過報告をさせていただきます。

本日の司会をお願いしました5組の森優子さん(旧姓○
○さん)は、瀬戸内寂聴さんとコラボするような「朗読
家」であり、プロの司会者でもあります。本日はみなさ
んご存じの「○○(男性歌手名)」のコンサートの仕事
が入っておりましたが、今日の同窓会のために「ぜひに
!」と頼み、快く来ていただきました。

というのは、昨年6月、「森優子朗読ライブ」が徳島で
開催され、その打ち上げ会の席で、同窓生の方々と会い、
盛り上がり、ぜひとも同窓会をやろう!ということにな
ったからであります。
翌7月、第一回目の世話人会を開きました。13名が参
加してくださいました。半分の方は顔がお互いに判りま
せんでした。(笑いあり。)

50年ぶりですからね、仕方ないのです。
一番困ったのは、卒業名簿には、名前だけしか無かった
ことでした。住所も連絡先も存在しておりませんでした。
○○中学校は、A小学校、B小、C小から成り立ってお
りました。このうち、C小の卒業名簿は、世話人の○○
君が持ってくれており、提供をしてくださいました。

C小は2クラス80名でした。これをベースにしようと
したところが、我々の中学は同窓生583名、13クラ
スありましたから、なんとしても、残り11クラス分、
約500人を世話人は探し出さねばなりませんでした。

大変なことがはじまったのでした。

50周年同窓会(1)

2016年03月13日 | 日記
ゴルフバムさん、コメントありがとうございました。
洗髪中に、
「頭、全部が痒い」
これ、ほなさんも言うてみましょう。
この言葉に、ほなさんの頭の毛の抜けよう(バラバラな生
え方)をみて、理髪店の店員さんは、思わず手を引くかも
しれませんわ。

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さて、昨年6月からの大仕事でありました、中学卒業50
周年同窓会が終わりました。
世話役を引き受けて、どうなることか思いましたが、
多くの方のご協力を得て、大盛況のうちに閉幕となり
ました。ありがとうございました。

「ほなさんが幹事役だから成功せんものと思ってたわ。」
とお褒めの言葉までいただきました。

132名出席、
同級生9名によるブラスバンドが、校歌・応援歌を
奏で賑やかで、皆が50年前の朝礼を想い出しました。

会の当日、私の仕事は、ホテル入口で受付への案内を
A君とやることになりました。この間もっとも名簿を見
てきたほなさんが同級生を、恩師の案内をA君が紅い大
きなリボンを手にし、という割り振りです。

三々五々やってくる同級生は私の名札をみて、
「おお、ほなさん世話になるなぁ。連絡くれてありがと
 う。」
と言ってくれました。年老いた顔の瞳の奥には、あの
少年少女時代の輝きがまだ残っています。
隣のA君は、
「全く誰だか判らんわ。知っとる奴、おらん。」
とちょっと憮然としています。

そこへ、メガネの奥の眉毛が半分白くなった同級生が、
腰を悪くしたのでしょうかウォーキングステッキを左右
につきつつやってきたのです。この時です、A君は、
「先生、ようこそお越しくださいました。」
と直立不動で言い、片手で大きなリボンを背広の胸につ
けようとしているではありませんか。

される方もそのままの姿勢でおります。慣れているので
しょうね、この同級生も。それで私は、A君だけに判る
ように手を振りながら、
「オイオイ、A君。この人は違うよ。確かに先生だけど
 大学の先生だ。」
この同級生は大学の非常勤講師をしている方でした。

A君は65歳の生徒と85歳の恩師を間違いながらも、
なんとか無事、案内することができました。
132人の集合写真を観ると、A君が間違うのも無理は
なく、恩師よりはるかにシニアらしい年寄りばかりであ
りました。

50年の時間は、やはりあまりにも長かったのです。