K&A

kan-haruの日記

イベント 日生劇場 坂東玉三郎特別舞踊10月公演を見る

2011年10月19日 | イベント
kan-haru blog 2011 坂東玉三郎特別舞踊公演パンフレット   

< 総合INDEX へ

母校明大の歌舞伎観劇会2007年の秀山祭九月大歌舞伎の夜の部の観劇会では、壇浦兜軍規の「阿古屋琴責」で、坂東玉三郎の演じる琴、三味線、胡弓の独奏と唄が、運良く1階1番前の20番という齧り付きの席で観賞することができました。
年1回程度の歌舞伎鑑賞では素人ですが、三島由紀夫に見出された坂東玉三郎の類稀な美を煌めかせた美貌とその才能の演技は、女形の頂点にいて、その美しさには舞台を観る歓びと感動に胸が高鳴ります。そこで、歌舞伎ではありませんが玉三郎の美に浸りたいと、日生劇場10月公演の坂東玉三郎特別舞踊公演を、10月13日に見に行きました。

 ポスター

日生劇場
日生劇場(千代田区有楽町1-1-1)は、日本生命が東京に進出するにあたり、いわばメセナ活動の一環として劇場を作りたいということで、日生第5代社長弘世現が五島昇に相談し、浅利慶太らに紹介され、弘世の並々ならぬ尽力により生まれた日生劇場で、1963年10月20日にベルリン・ドイツ・オペラを招いてこけら落としが行われました。

 日生劇場(写真拡大)

上演は、現代劇や歌舞伎、そしてオペラやミュージカルの公演などに使用されてきました。

 ロビー(写真拡大)

劇場の外観は、花崗岩仕上げの古典外観で、客席の天井・壁は音響効果上、うねるような曲面で構成され、天井には2万枚ものアコヤ貝の貝殻を散りばめた劇場で、海の底をイメージしてデザインされたと云われています。座席は、1階、中2階、2階席で1,330人を収容します。

 劇場内(写真拡大)

アクセスは、東京メトロ日比谷駅のA13出口から徒歩1分です。観賞の座席は、1階席N列26、27番で後ろ寄りでしたが、通路際の席で舞台が見やすい劇場なので心地良く観賞できました。

 入場券

玉三郎特別舞踊
玉三郎が初めて日生劇場に出演されたのは、35年前の1976年(昭和51年)で、今回の公演は16年ぶりです。公演は、14時からの開演で、「傾城 吉原絵巻」では花魁道中を艶麗に魅せ、「藤娘」ではクドキや酔態を色っぽくみせる様子など女方舞踊の名作です。最後は「楊貴妃」で実在の美女を題材から得て幽玄の世界にいざない、平成23年度第66回文化庁芸術祭参加公演で、10月2日から26日までの上演です。

・傾城 吉原絵巻
劇場は真っ暗になり、開幕です。長唄舞踊の「傾城」は、1828年(文政11年)に江戸中村座で初演され、作詞は二世瀬川如皐、作曲は四世杵屋三郎助です。舞台が明るくなり背景の長唄連中による長唄が始まると、華やかな吉原仲之町で吉原の傾城が登場する場面、新演出によるもので金糸の豪華な鳳凰の刺繍を施したこの世のものとは思えない衣装で、華麗な花魁道中に外八文字を踏んで見せます。ここで、舞台背景は襖の絵柄に変わって吉原の座敷となり、傾城は座敷へはいっていきます。座敷に戻った傾城は、間夫に恋いする女心を艶やかに踊り、待っても現れない間夫に恨み言を言いながら純粋な恋心をしっとりと表現します。長唄が進むと、座敷から眺める秋の月の趣を語りながら間夫を待つ夜を舞います。やがて、うっすらと雪化粧の郭の情景を思いながら恋心を舞い納めます。

 楊貴妃

・藤娘
藤娘は、1826年(文政9年)に江戸中村座で初演され、大津絵から抜け出た藤娘が躍る趣向でしたが、1937年(昭和12年)に六世尾上菊五郎が歌舞伎座で踊った時は、藤の精が藤娘になって登場するように改めて上演されました。
幕開きで劇場が暗転して、置唄が始まり照明が明るくなると、舞台は近江国の大津で、上手の松の大木には藤棚の藤が絡んでいる場面で、藤柄の着物と帯を付けて、黒塗笠を被った娘姿の藤の精は、藤の枝を手にしながら踊り始めます。続いて藤の精は、移り気な男心を嘆き、女心の切なさを語り、固く契った仲でも男は裏切るので妬ましいと、恋のもどかしさを艶やかに踊ります。続いて松の大木に去り、小陰から現れるとゆったりと藤音頭を踊り始めます。次に、藤の花色を豊かになるように酒を与えると、酒に酔った藤の花が松の木に絡んで離れなくなった様子を艶めかしく踊ります。その後、藤の精も恋しい相手と一緒に酒をことほど、嬉しいことはないと一途な女心を見せます。やがて、酒に酔ってほろ酔い加減になって、恋が成就するようにと軽快な手踊りを披露します。辺りは夕暮れとなり、雁が帰って行くのを見て、藤の枝を担いで名残を惜しみながら姿を消します。

 藤娘

・楊貴妃
楊貴妃は、1991年(平成3年)に熱海のMOA美術館の能舞台で初演された新作舞踊です。白居易の長編叙事詩「長恨歌」の後半部には、楊貴妃を失った玄宗皇帝が仙術士の方士に命じて、楊貴妃を捜す物語が描かれています。この後半部を題材にして、室町時代に金春禅竹によって能の「楊貴妃」が作られました。舞踊の「楊貴妃」は、「長恨歌」の後半部と能「楊貴妃」をモチーフにしながら、玄宗皇帝から手紙を預かった方士が冥界で楊貴妃に出会う物語を、幻想的に描いています。京劇に通ずる玉三郎によって、京劇の女方の手法が取り入れられ、能、京劇、歌舞伎舞踊を融合させた、玉三郎しか演じられない、美意識に支えられた夢幻の舞踊です。
あらすじは、唐の時代の玄宗皇帝は、国事と政治を疎かにし、国内では反乱がお起きて、皇帝から寵愛を受けていた楊貴妃に原因があるとして命が奪われます。皇帝は楊貴妃への気持ちが募るばかりで、仙術使いの方士(坂東彌十郎出演)に楊貴妃の魂を捜すように命じます。皇帝からの手紙を携えた方士が蓬莱山に辿り着き、楊貴妃の魂を呼び出すと、在りし日の姿で現れる場面では、箏曲、胡弓、尺八の楽曲と唄の演奏のもとに、白い紗幕の裏に誰もが認める美しい楊貴妃が幻想的に登場します。楊貴妃が舞いながら前進すると紗幕が開き、方士と対面し皇帝からの手紙を渡すと、楊貴妃は皇帝と送った日々を懐かしみ、その想い出を踊り始めます。かって玄宗皇帝が作った寛裳羽衣の曲に合わせて、楊貴妃は2枚の扇を使い悠揚におどり、せめて夢だけは覚めないで欲しいと願う。また、皇帝と楊貴妃は七夕の夜、比翼の鳥や連理の枝に喩えて、永遠の愛を誓った。その誓いを胸に秘めて、艶やかに楊貴妃は踊ります。やがて楊貴妃は、方士と出会った証拠にと、皇帝との想い出の釵を方士に渡し、蓬莱の彼方に去って行きます。

 楊貴妃

舞踊を終え幕が閉じると、何度も何度ものカーテンコールに応えて、深く挨拶を繰り返し、緞帳が降りて玉三郎の舞踊の美の世界から、現実に引き戻されました。初めて見る舞踊公演で、歌舞伎芝居と異なり台詞の無い世界の舞踊で、筋書きを表現していく芸は素晴らしいものです。玉三郎の新構成の「傾城」花魁道中の目の覚めるような美しさは、驚きで表現できません。「藤娘」の舞台構成も、上手の松の大木から張り出した枝の構図と、前に置かれた藤棚を中心に、咲き乱れる大きな藤の花の中で、藤娘を絵として観客を魅了させて見せる芸術は素晴らしいものです。「楊貴妃」では、一転天空を現すシンプルな背景の背景幕の前での、能、京劇、歌舞伎舞踊を融合させた芸術は玉三郎だけの世界です。初めての、舞踊観賞には感激して、劇場内の喫茶店でお茶を飲んで休み、感激の興奮を納めて帰路につきました。

< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(10月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 2011年版2010年版2009年版2008年版2006・2007年版
<前回 イベント ものづくりのまち大田区で初の出展企業、大学の製品化前の研究開発成果発表のフェア開催 へ
次回 イベント 東京都立産業技術研究センター本部 異業種交流会H11で10月開設の施設見学その1
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小さな旅 牧の原温泉 開通の... | トップ | 内川周辺の仮下り線高架橋築... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

イベント」カテゴリの最新記事