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イベント 羽田空港国際化1周年 羽田空港国際線ターミナル駅開業1周年記念イベントその1

2011年11月06日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2011 羽田空港駅名板   

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羽田空港は、2010年9月11日(土)~12日(日)に羽田空港国際化を記念して、「羽田GLOBAL EXPO」を開催(「イベント 羽田空港国際化 羽田空港D滑走路と新国際ターミナル完成の羽田GLOBAL EXPOその1、2」参照)しました。また、同年10月21日には、新国際線旅客ターミナルビルと京急線およびモノレールの羽田空港国際線ターミナル駅が完成して、新駅がオープン(「イベント 羽田空港再国際化 新国際線旅客ターミナルビルオープンと京急、モノレール新駅開業その1~3」参照)しました。
2011年10月は、国際線旅客ターミナルビル、京急空港線羽田空港国際線ターミナル駅、モノレール国際線旅客ターミナルビル駅が開設1周年を迎えましたので、23日に見に行きました。

 京急線羽田空港国際線ターミナル駅開業1周年記念祭ポスター

東京国際空港の小史
羽田空港の開港は、1917年(大正6年)に日本飛行大学校が開かれ、飛行訓練施設が置かれたのが草分けです。1931年(昭和6年)に、現国際線ターミナル地区付近で日本初の国営民間航空専用空港東京飛行場(羽田飛行場)として面積53haに延長300m、幅15mの滑走路が1本で正式に開港しました。1933(昭和8年)年には、立川飛行場の民間航空部門が移駐し、アジア各国へ向けた国際線の運航も活発化して「東京国際飛行場」と呼ばれるようになりました。1938~39年(昭和13~14年)にかけて最初の拡張工事で滑走路を800 m、幅80 mの2本の滑走路に拡張されました。
1941年(昭和16年)の第2次世界大戦の参戦により軍用飛行場として使用され、1945年(昭和20年)の終戦により、アメリカ軍の管理下に置かれ、ハネダ・アーミー・エアベースと呼ばれ、翌1946年には、旧A滑走路(2145m×45m)と旧B滑走路(1650m×45m)が新設されました。
1951年(昭和26年)にサンフランシスコ講和条約が締結され、日本籍の航空機による活動が解禁されて、翌1952年には施設の大部分がアメリカ軍から返還され、「東京国際空港」に改名され、翌1953年には日本の航空会社による国際線定期路線の就航が開始されました。1959年(昭和34年)には旧A滑走路も2550mに延伸されました。、

 羽田空港の変遷1(左:国営民間航空専用空港東京飛行場1931年、右:A滑走路を2,550mに延長1959年 国交省東京空港整備事務所から)

1964年(昭和39年)には航空機のジェット化が急速に進展、旧C滑走路(3150m×60m)が新設され、航空機の大型化・高速・大量輸送時代が到来して1971年(昭和46年) に旧B滑走路が2500mに延伸されましたが、旧A滑走路が使用停止となり発着便の増加が不可能になったため、1978年(昭和53年)の成田空港が開港により中華民国のエアラインを除き全ての国際線が移転しました。

 羽田空港の変遷2(左:C滑走路完成1964年、右:B滑走路延長工事1970年 国交省東京空港整備事務所から)

1993年(平成5年)に、 約29万平方メートルの延べ床面積を持つ新国内線ターミナルビル(第1ターミナルビル)が供用開始され、これにビッグバード(Big Bird)という愛称をつけられ、東京モノレール羽田線が羽田空港第1ビル駅まで延伸しました。2000年(平成12年)には、新B滑走路が完成しました。

 羽田空港の変遷2(左:新B滑走路完成2000年、右:D滑走路が完成2010年 国交省東京空港整備事務所から)

・京急急行線の歴史
京急の空港線の歴史は古く、1902年(明治35年)に、蒲田駅(大正14年に京浜蒲田駅に改称)~穴守駅間(海老取川の手前)で開通し、1911年(明治44)年には羽田海水浴場が開設され、穴守稲荷神社への参拝客に加え、羽田穴守一帯は一大行楽地として栄えました。その後、海老取川を越えた先に新しい穴守駅が設置されて、1914年(大正3年)に羽田駅に改称されました。

 昔の穴森線(左:昔の穴守線(明治40年代)、右:穴守線羽田空港駅開業直後(昭和31年4月20日)京浜急行から)

1931年(昭和6年)に、東京飛行場も開港し、穴守線はますます需要度を増しましたが、1945年(昭和20年)の敗戦によって、東京飛行場は連合軍の占領下となり羽田駅も強制退去命令で営業を休止しました。
GHQからの空港の返還により、空港ターミナルビルが竣工したので、休止中の元の稲荷橋~穴森間の500mの延長工事を1955(昭和30年)12月から始め、翌年4月から運行を開始して初代の羽田空港駅を開業し、稲荷橋は穴森稲荷駅と改称しました。羽田空港駅から空港ターミナルビルまで連絡バスを運行しました。1963年(昭和38年)に穴森線を空港線と改称しました。
その後、1993年(平成5年)に穴森稲荷駅~羽田空港駅間を一時閉鎖して海老取川から先をトンネル化の工事を行い、工事の完成によって新たな羽田駅が再び川を越えた先に設置されました。そして1998年(平成10年)11月には、羽田駅から羽田空港駅(現羽田空港国際線ターミナル駅)までの約3Kmの空港線の伸延工事が完成して、羽田駅が天空橋駅と名称を変え、羽田空港駅が誕生しました。

 初代羽田空港駅開業1998年(左:羽田空港駅開業記念式典1998年、右:初代羽田空港駅 京浜急行から)

・東京モノレールの変遷
1964年(昭和39年)9月に、途中駅なしでモノレール浜松町駅 -(旧)羽田駅間が開業しました。その後、大井競馬場前駅、羽田整備場駅(現・整備場駅)、新平和島駅(現・流通センター駅)、昭和島駅、天王洲アイル駅が順次開業する。
1993年(平成5年)9月に羽田空港旅客ターミナル移転に伴い、羽田駅(現・天空橋駅)を移設し、同時に羽田空港駅(現・羽田空港第1ビル駅)まで延伸開業。羽田駅で京急空港線と連絡開始。羽田整備場駅を整備場駅に改称。
1998年(平成10年)11月に、京急空港線の羽田空港駅延伸開業に伴い、羽田駅を天空橋駅に改称する。
2004年には、約18万平方メートルの延べ床面積の第2旅客ターミナルが完成し、東京モノレールが羽田空港第2ビル駅まで延伸しました。

 東京モノレール空港第2ビル延伸説明図

・D滑走路の新設工事
第4本目の新滑走路の新設工事は、現空港の沖に滑走路(D 滑走路)及び連絡誘導路等の新設、並びに東京港第一航路移設に係わる設計及び施工を行うもので、基本施設として、2,500m の滑走路と誘導路、進入灯橋梁、保安・付帯施設等を整備します。また、現空港と新設滑走路を結ぶ連絡誘導路を整備します。

 新滑走路の新設説明図

2006年度末には調査・準備工事が始まり、2007年には埋立部、桟橋部、連絡誘導路部の組合せ構造による滑走路の築造が一斉に工事が開始されました。

 埋立部、桟橋部、連絡誘導路部の組合せ構造によるD 滑走路

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