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大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 浅間神社例祭

2007年06月07日 | 大森町界隈あれこれ 社寺
kan-haru blog 2007

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浅間神社
好天に恵まれた6月2、3日は、浅間神社(せんげんじんじゃ)の例祭でした。
浅間神社(大森西2-2-7 地図参照)は、環七通りに面してありますが、昔は沢田村の鎮守様で1716-1736年の享保年間に富士山本宮浅間神社を勧請した神社であり、鳥居の傍には冨士講の記念石碑があります。
浅間神社の由来(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺(2) 浅間神社」参照)によりますと、1918年(大正7年)に耕地整理のため移転し、その後また、氏子の増加と道路拡張のため1940年(昭和15年) 現在地に遷座したといわれております。


例祭前の道草
大森町駅から商店街通りを西に、さわやか信用金庫の四つ角を右折して北に直進すると左手の大森学園高(「大森町界隈あれこれ 大森町学びや もりこう会の集い(その1)」参照)の前に、「おもちゃの病院」のプラカードを生徒が掲げて立っておりましたので、興味を持ちちょっと寄道しました。
おもちゃの病院は、エントランスの上階の多目的スペースで実施しており、ちょうど修理中のおもちゃが直ったところに遭遇し、待っていた子供が喜んで修復したおもちゃ動かしておりました。
修理を行う生徒に聞いてみたところ、「故障のおもちゃの部品が入手できないのが悩みです」と言っていました。


例祭の露天出店数は大森町随一
「おもちゃの病院」の寄り道を早々に退散し、例祭へと向かいました。内川を渡り右手に氏神様の諏訪神社(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社例祭」参照)の脇を抜けて直進し、環七通りが見える傍に沢田東町会神酒所があります。


浅間神社の氏子は、大森北六丁目沢田町会、大森沢田西町会、大森西二丁目三和会、大森沢田東町会の各地域が氏子会となっております。
環七通りに出ると歩道の角から露天が立ち並び、東邦医大通りの角まで隙間なく続き、神社境内の露天と合わせると、大森町の神社例祭の露天数では最大の出店を誇ります。
例祭初日の夜は、奉納演芸があり遅くまで大変と賑わい、明かりに灯された夜店はどことなく哀愁が漂いお祭りの気分を盛り立てます。


大森町以外の大田区の露天の出店数の多い祭事には、池上本門寺のお会式(「風景・風物詩(B9) 秋の風物詩 池上本門寺のお会式」参照)や、大森鷲神社の酉の市(「風景・風物詩(B10) 秋の風物詩 酉の市 大森鷲神社」参照)などは、特に群を抜いております。

浅間神社の神輿と太鼓曳き巡行
例祭2日目は、神輿と太鼓曳きの巡行です。浅間神社は、東京では名うての交通量が激しい環七通りに接しております。神輿と太鼓曳きは、神社からの宮出しと宮入の巡行は環七通りがメインとなりますので、通りが空いている日曜日に行われます。


浅間神社の神苑内には、浅間(あさま)幼稚園があります。例祭の2台の太鼓曳きには、幼稚園児をはじめとして、沢山の幼児や児童が参加して、とても賑やかでした。


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