物心つかない幼少期より、母に付いてお寺にお参りし、仏壇の前に座っていた。
大きくなり勤めを持つようになると、ゆっくり座って拝んだり考えたりしなくなる。
定年退職後に、お寺の役員をすることになった。本堂に座っても仕事との認識が強かった。
あれから20年!この世との別れを意識し始めた。
すると無意識に手を合わせ、名号を唱えていることに、不自然さを感じた。
「南無阿弥陀仏」を、3個に分けて考えた、「南無」は帰命する、命を懸けると訳した。
「阿弥陀」はアミターバ・アミターユ。すなわち大宇宙の命。仏はそれら大宇宙を取り仕切る如来。
自分自身も大宇宙の命の一環である。とまでは理解しそうになっているが、・・・・。
よー解らん!!!
4日付の中国新聞3面の記事である。「大学生の19% 子供望まず」との見出し。
子供を欲しくないと考えている主な理由は、「うまく育てられる自信がない」・
「自分の時間が無くなる」・「経済的に不安」・「子育てに伴う責任を負う自信がない」・
「精神的に不安定」・「子供を持つ必要性・メリットを感じない」等々である。
何事も自分の力で処理できるとの解釈である。全て「自力」の世界での考えである。
少しだけでも、大宇宙のエネルギーととか、他力との考えを入れると、違う世界が現れるのではないだろうか??