通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

清盛塚 呉市・音戸の瀬戸

2012年01月22日 | 広島の話題
「広島県にある、平清盛ゆかりの地を紹介するシリーズの第3弾」

「先週は広島市南区にある疱瘡(ほうそう)神社という、マイナーな場所じゃったけど、今日は?」

「今日は、呉市(くれし)音戸町(おんどちょう)にある清盛塚(きよもりづか)を紹介してみようかの」

「この間、うちも見てきたよ」

「昨日紹介した、音戸観光文化会館うずしおのすぐ近くにあるんじゃ」

「清盛が音戸の瀬戸を切り開いた、という伝説があるけぇね」

「もともと地続きじゃったのを、清盛が切り開いて音戸の瀬戸を作ったといわれとるんよ。ほいじゃが、ここはむかしから海峡だったことが科学的に証明されとるそうじゃ」

「ところで、この清盛塚はいつごろ建てられたんかんじゃろうか?」

「1184年に、清盛の功績を称えて、供養するために建立されたそうなんよ。ちなみに、清盛をが音戸の瀬戸を切り開いたのは1165年じゃそうな」

「この時の工事では、人柱(ひとばしら)を使わんかったそうじゃね」

「むかしは、大規模な工事をするときは、人柱といって、生きた人間を神へ捧げて、工事が安全に完成するように祈ったそうじゃ」

「生贄(いけにえ)のようなものじゃね」

「その人柱の代わりに、清盛は一切経(いっさいきょう)の経文(きょうもん)の一文字を一つの石を書いた経石(きょういし)を音戸の瀬戸に沈めて、工事を完成させたといわれとるんよ」

「一切経って?」

「経蔵(きょうぞう)・律蔵(りつぞう)・論蔵(ろんぞう)の三蔵(さんぞう)を含む、仏教のありがたい経典のことじゃ」

「三蔵って、西遊記に出てきた三蔵法師(さんぞうほうし)と関係があるんかね?」

「三蔵というのは、仏教の経典に深く通じた僧侶に対して敬意を表すための言葉じゃそうな。ほいじゃけぇ、三蔵法師の三蔵もここから来とるんじゃろうの」



北側から見る


西側から見る


清盛塚
(後ろの赤い橋は音戸大橋、遠くに見える赤い橋が第2音戸大橋)


南側から見る


うずしお2階テラスから見る
(以上、撮影日:2011年11月27日)



「清盛塚は、音戸町の近くにある岩礁(がんしょう)の上に石垣を築いて、その上に建てられとるんじゃ」




東側(呉市警固屋(けごや)側)から見る
(後ろに見える白い建物が、うずしお)
(撮影日:2011年12月11日)



「最後になったが、清盛塚は1951(昭和26)年に、広島県史跡に指定されとります」



↓清盛塚については、こちら↓

「清盛塚」くれナビ

「音戸の瀬戸・清盛塚」ひろしま清盛 公式サイト / 大河ドラマ「平清盛」広島県推進協議会




↓広島県にある平清盛ゆかりの地についての関連記事は、こちら↓

清盛神社 廿日市市宮島

疱瘡神社 広島市南区




「今日は、呉市音戸町にある清盛塚について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
コメント (4)
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平清盛 音戸の瀬戸ドラマ館  おんど観光文化会館うずしお

2012年01月21日 | 広島の話題
「今週の火曜日(1月17日)、呉のおばさんの所へ行った時、おんど観光文化会館うずしおに開館した「平清盛 音戸の瀬戸ドラマ館」を見てきたんよ」



おんど観光文化会館うずしお


「平清盛 音戸の瀬戸ドラマ館」の看板
(以上、撮影日:2012年1月9日)


チケット(左が表面、右が裏面)
(撮影日:2012年1月17日)




「ほいで、どうじゃった?」

「中に入るとね、最初に船が展示してあったんよ」

「どの船かいの?」

「第1話で、平忠盛(たいらのただもり。演:中井貴一)が息子の清盛(演:前田旺志郎)に「生きる意味が分かれば、心の軸ができる」と話した時に、乗っとった船じゃね」



うずしお2階に展示してある、呉市での撮影風景
(撮影日:2012年1月9日)




「ほかには、撮影で使われた衣裳や小道具、登場人物の相関図なんかが展示してあったね」

「ほぉ…」

「あと、出演者のサインも展示してあったよ」

「そりゃ、見て見たいのう」

「○○さんは、もっと字が上手かと思うとったけど、意外とそうでもなかったね」

「××さんは?」

「あの人は、ダメじゃね」

「写真は撮っとらんのかいの?」

「船は写真を撮ってもええけど、そのほかの展示物は写真を撮っちゃだめじゃったけぇね」

「字が下手な人の話をしても、伏せ字になってしまうけぇの…。ほいじゃ、誰の字が上手じゃと思うた?」

「源為義(みなもとのためよし)役の小日向文世(こひなた ふみよ)さんの字が、うちはええと思うたね」
(お断りしておきますが、これはあくまでも個人的な感想です)

「肝心の、15メートルの和船は?」

「ドラマ館の最後に展示してあったよ」







NHK大河ドラマ「平清盛」の撮影で使われた、全長15メートルの和船
(撮影日:2012年1月17日)



「おぉ。さすがに迫力があるのう」

「中央に船が展示してあって、そのまわりを回って見学するようになっとるんよ」

「できれば、もっと広い場所に展示して欲しかったのう」

「帆を張った姿も見てみたいね。そういや、4階の食堂が休みになっとったよ。火曜日なのに」

「呉の人に聞いてみたら、呉には火曜日定休という店が意外と多いそうじゃ」

「なんで?」

「呉といえば、戦前までは海軍の街じゃったんよの。日曜日の夜、海軍の軍人さんが明け方まで酒を飲んでんよ。明け方ということは、月曜日の朝じゃ」

「ということは、店の人は月曜日に休むことができんねぇ」

「呉に火曜日定休の店が多いのはそういう理由なんじゃないか、という話を聞いたことがあるのう」



↓音戸観光文化会館 うずしおについては、こちら↓

観光情報発信 音戸観光文化会館 うずしお



↓清盛ブームについての関連記事は、こちら↓

「清盛ドラマ館」地元披露 呉市音戸

清盛海のみち展 グリーンピアせとうち

清盛マリンビュー 運転開始




「今日は、呉市音戸町にあるおんど観光文化会館うずしおに開館した「平清盛 音戸の瀬戸ドラマ館」について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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新藤監督作品 48作品を上映

2012年01月17日 | まんが・テレビ・映画
「昨日(1月16日)、第85回キネマ旬報ベストテンが発表されたんじゃ」

「新藤兼人(しんどう かねと)監督の『一枚のハガキ』が、日本映画の第1位に選ばれとったね。新藤監督、おめでとうございます」

「新藤監督は、広島県佐伯郡石内村(現:広島市佐伯区五日市町)出身ですけぇの」

「ところで、新藤監督がキネ旬のベスト1に選ばれたのは、何回目なんじゃろうか?」

「ウィキペディアで調べた限りでは、『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975年)、『午後の遺言状』(1995年)に続いて3回目になるそうじゃ」

「デビュー作は?」

「1951年(昭和26)の『愛妻物語』なんよ」

「ということは、39歳で監督デビューされたんじゃね」

「この作品で妻の役を演じたのが、のちに新藤監督の妻になられた乙羽信子(おとわ のぶこ)さんなんじゃ」

「戦後、初めて原爆を直接取り上げた映画『原爆の子』(1952年)も作られとってよね」

「1960年(昭和35)に上映された『裸の島』では、モスクワ国際映画祭グランプリを始め、数々の国際映画祭を受賞されとってんよ」

「ところで、新藤監督は今、おいくつじゃったっけ?」

「99歳。今年の4月22日(日)で100歳になられてんよ」

「お元気ですね」

「その新藤氏の100歳を記念して、「『新藤兼人 百年の軌跡』実行委員会」が1月12日(木)に設立されたんじゃ」

「どんなことをするんかね?」

「新藤氏が監督した、ほぼすべての作品にあたる48本の映画と、脚本作品や関連するドキュメンタリー映画、合わせて約60本を上映されるそうじゃ」

「いつごろ?」

「4~5月にかけて、広島市内の映画館や、広島市映像文化ライブラリーなどで上映するんじゃと」

「ほぉ…」

「それだけじゃのうて、新藤氏の誕生会や、出演俳優らの記念トーク、新藤氏の生い立ちや写真パネルを展示する予定じゃそうな」

「すごいね」

「新藤氏の監督した、ほぼ全作品が上映されるのは、これが初めてになるそうじゃ」

「さっきから、「ほぼ全作品」という言い方が気になっとるんじゃけど…」

「新藤氏が監督した作品は全部で49作品あるんよ。そのうちの1作品だけ、フィルム所有者が公開に反対されとるそうじゃ」

「うーん。なんとか上映できるようにして欲しいね」



↓第85回キネマ旬報ベスト・テンについては、こちら↓

2011年 第85回キネマ旬報ベスト・テン



↓新藤監督についての関連記事は、こちら↓

映画『一枚のハガキ』 八丁座

映画『原爆の子』 ニューヨークで初上映




「今日は、「『新藤兼人 百年の軌跡』実行委員会が発足し、今年の春に広島市内の映画館で新藤監督のほぼすべての作品が上映されることについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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宮島言葉のいろいろ その2 「わやにする」

2012年01月16日 | 広島弁
「宮島の町屋通りに飾ってある「宮島言葉のいろいろ」を紹介するシリーズの、今日は第2回目です」

「今日は「わやにする」じゃ」




わやにする … 無茶苦茶にする
(撮影日:2012年1月4日)




「「わやにする」とは、「無茶苦茶にする」という意味じゃね」

「人や動物、自然現象が、物事をひっかきまわしていく、というようなイメージかのう」

「「わやくそ」とか「わやくちゃ」という言葉もあるね」

「これは、「わや」よりも、さらに無茶苦茶な様子じゃの」

「「ちらかっている」という意味もあるね」

「あんたの部屋はわやじゃのう(=君の部屋はちらかっているね)」

「実は、わが家もわやくちゃです」

「夫婦揃って片付けができとらんけぇの」

「寝起きで、髪がボサボサの時にも使うよね」

「髪がわやになった(=髪がボサボサになった)」

「「今日のテストはわやじゃった」という使い方もあるんよ」

「これは「テストの点数が悪い」という意味じゃの」



【今日の宮島言葉】

わやにする

意味/無茶苦茶にする

例文/「わやすーなや(=無茶苦茶するなよ)」



参考文献:
町博光『ひろしまべん100話』渓水社 1999年
廿日市市商工会議所『宮島本 改訂版 宮島検定テキスト』2008年




↓宮島言葉のいろいろについての関連記事は、こちら↓

宮島言葉のいろいろ その1 「わらう」



「今日は、「宮島言葉のいろいろ」で「わやにする(無茶苦茶にする)」について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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疱瘡神社 広島市南区

2012年01月15日 | 広島の話題
「広島県にある、平清盛ゆかりの地を紹介するシリーズの第2弾。先週は宮島にある清盛神社じゃったけど、今日は?」

「今日は疱瘡(ほうそう)神社を紹介してみようかの」

「疱瘡(ほうそう)神社!? なに、それ?」

「なんや、知らんのか? 広島市南区の「南区7大伝説」にあげられとるくらい有名なんで」

「知らんよぉーね。その疱瘡神社と清盛は、どういう関係にあるん?」

「この神社には、平清盛と常盤御前(ときわごぜん)の娘、天女姫が祀(まつ)られとるんよ。天女姫の母親は常盤御前じゃけぇ、源義経(みなもとのよしつね)とは父親違いの妹にあたるんじゃの」

「へぇ。ほいで、どこにあるんかね?」

「広島市南区の堀越じゃ」



堀越公園(広島市南区堀越2丁目12)近くの案内板



「案内板の地図に従って少し上ると、本川(ほんかわ)井戸があるんじゃ」



本川井戸


井戸


神棚



本川井戸の由来

平清盛は、その娘・天女姫(てんにょひめ)・が宮島で亡くなり(一一七九年)その亡き骸(なきがら)を祀(まつ)るため堀越の丘に疱瘡神社を建てました。
そしてその神社が狐や狼に荒らされる事を気遣(きづか)って、全国から大勢の作業者をあつめ、堀越の山の一部を堀り切って、そこに海水を引き込み、神社のある丘を島にするという大工事を行いました。

この本川井戸はその時に作業者たちの飲み水として使うために、掘られたものであるといわれています。

そしてその工事は、堀越の地名の由来ともなりました。

平成十八年八月吉日

(本川井戸の由来板より)



「この井戸は、疱瘡神社を建てる作業者たちに、飲み水を与えるために掘られたものなんじゃね」

「井戸といっても、今は飲むことができんけぇ、蓋(ふた)がしてあるんじゃと」

「清盛は、天女姫のために神社を建てたり、その神社を守るために、山を切り取って神社のある丘を島にしちゃったんじゃね」

「水上社殿の厳島神社を建てたり、音戸の瀬戸を切り開いたり、清盛には海にまつわる話が多いのう」






案内板


「案内板に沿ってさらに上って行くと、疱瘡神社に着くんじゃ」








疱瘡神社


疱瘡神社の由来

源頼朝(みなもとのよりとも)の死後、その側室であった常盤御前(ときわごぜん)は三人の子どもを連れて平清盛の所へ助命嘆願(たんがん)に行きました。
そしてその後に生まれたのが『天女姫(てんにょひめ)』であり、従って源義経(みなもとのよしつね)とは異父同腹(いぶどうぶく)の兄妹です。

姫はその名の通り天女(てんにょ)にも似た美女でしたが、不幸にも疱瘡病(天然痘(てんねんとう))という病気に罹(かか)り、清盛は全国の名医を集めて治療に専念いたしました。
しかし病は容易に癒(い)えず、「この上は平家の守り神である厳島明神の力におすがりする外ない」と治承(じしょう)三年(一一七九)二月上旬に、姫を船に乗せ沢山の女官・従者を従えて、海路二十六日宮島に参着し、祈願の後帰路に就きましたが、急に病状が悪化し二月二十九日に姫は十四才を一期に息を引き取りました。

清盛は止む無くその遺骸(いがい)を埋葬すべき所を神に伺ったところ「これより東方七里、赤旗の建っている場所こそ埋葬の地である」とのお告げに従い、遺骸を船に乗せ東方向灘の浦まで漕(こ)ぎ来ると、まさしく赤旗の建っている丘があり、「ここぞその場所」と考え、金銀十二枚、手玉七つ、玩具類七個と、姫が肌身離さず持っていた一寸八分の黄金仏などを副葬品(ふくそうひん)として埋めて、そのしるしに『せんだんの木』を植えておきました。

そして、その場所から東方八間の所に四間四方のお堂を建てて、本尊に阿弥陀如来を祀(まつ)り、その脇に十二単(ひとえ)で身を飾った姫十四歳の立ち姿の木像を置き、入魂の秘法を行い本尊に配し祀ったと古伝にあります。

その場所が昔からこの場所と伝えられています。

『仁保村志の原文より要約』

平成十八年四月吉日

(疱瘡神社の案内板より)



「疱瘡って何かと思うとったら、天然痘のことじゃったんじゃね」

「天然痘は伝染病の一種で、死亡率が高いんじゃ。その疱瘡を流行させる疱瘡神(ほうそうがみ)を鎮めるために、全国各地にたくさんの疱瘡神社が建てられとるんよの」

「姫が疱瘡にかかったけぇ、清盛は国中の名医を呼んで治療させて、ご自慢の厳島神社で祈ったんじゃけど、効果がなかったんじゃね」

「姫は、宮島からの帰り道、治承3年(1179)の2月29日に14歳の若さで亡くなられたんよ」

「悲しんだ清盛は、神様のお告げに従って、宮島から東へ7里、赤旗の建っている場所に副葬品と一緒に姫の亡きがらを埋葬されたんじゃね」

「案内板に「赤旗の建っている場所」とあるんじゃが、これは、疱瘡神が赤い色を忌み嫌っとる、という俗信に従ったものじゃそうな」

「平家の旗印が「赤」というのも関係がありそうじゃね」

「おっ。ちいたぁ勉強しとるじゃん」

「思いつきを言うただけじゃけどね」

「神社のすぐ近くには三角点もありますけぇの」



三角点



訪問日/2010年(平成22)7月18日




↓疱瘡神社については、こちら↓

「天女伝説」南区みどころガイド-南区7大伝説



↓平清盛についての関連記事は、こちら↓

清盛マリンビュー 運転開始

清盛神社 廿日市市宮島




「今日は、広島市南区堀越にある疱瘡神社について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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