「広島県にある、平清盛ゆかりの地を紹介するシリーズの第2弾。先週は宮島にある清盛神社じゃったけど、今日は?」
「今日は疱瘡(ほうそう)神社を紹介してみようかの」
「疱瘡(ほうそう)神社!? なに、それ?」
「なんや、知らんのか? 広島市南区の「南区7大伝説」にあげられとるくらい有名なんで」
「知らんよぉーね。その疱瘡神社と清盛は、どういう関係にあるん?」
「この神社には、平清盛と常盤御前(ときわごぜん)の娘、天女姫が祀(まつ)られとるんよ。天女姫の母親は常盤御前じゃけぇ、源義経(みなもとのよしつね)とは父親違いの妹にあたるんじゃの」
「へぇ。ほいで、どこにあるんかね?」
「広島市南区の堀越じゃ」
堀越公園(広島市南区堀越2丁目12)近くの案内板
「案内板の地図に従って少し上ると、本川(ほんかわ)井戸があるんじゃ」
本川井戸
井戸
神棚
本川井戸の由来
平清盛は、その娘・天女姫(てんにょひめ)・が宮島で亡くなり(一一七九年)その亡き骸(なきがら)を祀(まつ)るため堀越の丘に疱瘡神社を建てました。
そしてその神社が狐や狼に荒らされる事を気遣(きづか)って、全国から大勢の作業者をあつめ、堀越の山の一部を堀り切って、そこに海水を引き込み、神社のある丘を島にするという大工事を行いました。
この本川井戸はその時に作業者たちの飲み水として使うために、掘られたものであるといわれています。
そしてその工事は、堀越の地名の由来ともなりました。
平成十八年八月吉日
(本川井戸の由来板より)
「この井戸は、疱瘡神社を建てる作業者たちに、飲み水を与えるために掘られたものなんじゃね」
「井戸といっても、今は飲むことができんけぇ、蓋(ふた)がしてあるんじゃと」
「清盛は、天女姫のために神社を建てたり、その神社を守るために、山を切り取って神社のある丘を島にしちゃったんじゃね」
「水上社殿の厳島神社を建てたり、音戸の瀬戸を切り開いたり、清盛には海にまつわる話が多いのう」
案内板
「案内板に沿ってさらに上って行くと、疱瘡神社に着くんじゃ」
疱瘡神社
疱瘡神社の由来
源頼朝(みなもとのよりとも)の死後、その側室であった常盤御前(ときわごぜん)は三人の子どもを連れて平清盛の所へ助命嘆願(たんがん)に行きました。
そしてその後に生まれたのが『天女姫(てんにょひめ)』であり、従って源義経(みなもとのよしつね)とは異父同腹(いぶどうぶく)の兄妹です。
姫はその名の通り天女(てんにょ)にも似た美女でしたが、不幸にも疱瘡病(天然痘(てんねんとう))という病気に罹(かか)り、清盛は全国の名医を集めて治療に専念いたしました。
しかし病は容易に癒(い)えず、「この上は平家の守り神である厳島明神の力におすがりする外ない」と治承(じしょう)三年(一一七九)二月上旬に、姫を船に乗せ沢山の女官・従者を従えて、海路二十六日宮島に参着し、祈願の後帰路に就きましたが、急に病状が悪化し二月二十九日に姫は十四才を一期に息を引き取りました。
清盛は止む無くその遺骸(いがい)を埋葬すべき所を神に伺ったところ「これより東方七里、赤旗の建っている場所こそ埋葬の地である」とのお告げに従い、遺骸を船に乗せ東方向灘の浦まで漕(こ)ぎ来ると、まさしく赤旗の建っている丘があり、「ここぞその場所」と考え、金銀十二枚、手玉七つ、玩具類七個と、姫が肌身離さず持っていた一寸八分の黄金仏などを副葬品(ふくそうひん)として埋めて、そのしるしに『せんだんの木』を植えておきました。
そして、その場所から東方八間の所に四間四方のお堂を建てて、本尊に阿弥陀如来を祀(まつ)り、その脇に十二単(ひとえ)で身を飾った姫十四歳の立ち姿の木像を置き、入魂の秘法を行い本尊に配し祀ったと古伝にあります。
その場所が昔からこの場所と伝えられています。
『仁保村志の原文より要約』
平成十八年四月吉日
(疱瘡神社の案内板より)
「疱瘡って何かと思うとったら、天然痘のことじゃったんじゃね」
「天然痘は伝染病の一種で、死亡率が高いんじゃ。その疱瘡を流行させる疱瘡神(ほうそうがみ)を鎮めるために、全国各地にたくさんの疱瘡神社が建てられとるんよの」
「姫が疱瘡にかかったけぇ、清盛は国中の名医を呼んで治療させて、ご自慢の厳島神社で祈ったんじゃけど、効果がなかったんじゃね」
「姫は、宮島からの帰り道、治承3年(1179)の2月29日に14歳の若さで亡くなられたんよ」
「悲しんだ清盛は、神様のお告げに従って、宮島から東へ7里、赤旗の建っている場所に副葬品と一緒に姫の亡きがらを埋葬されたんじゃね」
「案内板に「赤旗の建っている場所」とあるんじゃが、これは、疱瘡神が赤い色を忌み嫌っとる、という俗信に従ったものじゃそうな」
「平家の旗印が「赤」というのも関係がありそうじゃね」
「おっ。ちいたぁ勉強しとるじゃん」
「思いつきを言うただけじゃけどね」
「神社のすぐ近くには三角点もありますけぇの」
三角点
訪問日/2010年(平成22)7月18日
↓疱瘡神社については、こちら↓
「天女伝説」南区みどころガイド-南区7大伝説
↓平清盛についての関連記事は、こちら↓
清盛マリンビュー 運転開始
清盛神社 廿日市市宮島
「今日は、広島市南区堀越にある疱瘡神社について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「今日は疱瘡(ほうそう)神社を紹介してみようかの」
「疱瘡(ほうそう)神社!? なに、それ?」
「なんや、知らんのか? 広島市南区の「南区7大伝説」にあげられとるくらい有名なんで」
「知らんよぉーね。その疱瘡神社と清盛は、どういう関係にあるん?」
「この神社には、平清盛と常盤御前(ときわごぜん)の娘、天女姫が祀(まつ)られとるんよ。天女姫の母親は常盤御前じゃけぇ、源義経(みなもとのよしつね)とは父親違いの妹にあたるんじゃの」
「へぇ。ほいで、どこにあるんかね?」
「広島市南区の堀越じゃ」
堀越公園(広島市南区堀越2丁目12)近くの案内板
「案内板の地図に従って少し上ると、本川(ほんかわ)井戸があるんじゃ」
本川井戸
井戸
神棚
本川井戸の由来
平清盛は、その娘・天女姫(てんにょひめ)・が宮島で亡くなり(一一七九年)その亡き骸(なきがら)を祀(まつ)るため堀越の丘に疱瘡神社を建てました。
そしてその神社が狐や狼に荒らされる事を気遣(きづか)って、全国から大勢の作業者をあつめ、堀越の山の一部を堀り切って、そこに海水を引き込み、神社のある丘を島にするという大工事を行いました。
この本川井戸はその時に作業者たちの飲み水として使うために、掘られたものであるといわれています。
そしてその工事は、堀越の地名の由来ともなりました。
平成十八年八月吉日
(本川井戸の由来板より)
「この井戸は、疱瘡神社を建てる作業者たちに、飲み水を与えるために掘られたものなんじゃね」
「井戸といっても、今は飲むことができんけぇ、蓋(ふた)がしてあるんじゃと」
「清盛は、天女姫のために神社を建てたり、その神社を守るために、山を切り取って神社のある丘を島にしちゃったんじゃね」
「水上社殿の厳島神社を建てたり、音戸の瀬戸を切り開いたり、清盛には海にまつわる話が多いのう」
案内板
「案内板に沿ってさらに上って行くと、疱瘡神社に着くんじゃ」
疱瘡神社
疱瘡神社の由来
源頼朝(みなもとのよりとも)の死後、その側室であった常盤御前(ときわごぜん)は三人の子どもを連れて平清盛の所へ助命嘆願(たんがん)に行きました。
そしてその後に生まれたのが『天女姫(てんにょひめ)』であり、従って源義経(みなもとのよしつね)とは異父同腹(いぶどうぶく)の兄妹です。
姫はその名の通り天女(てんにょ)にも似た美女でしたが、不幸にも疱瘡病(天然痘(てんねんとう))という病気に罹(かか)り、清盛は全国の名医を集めて治療に専念いたしました。
しかし病は容易に癒(い)えず、「この上は平家の守り神である厳島明神の力におすがりする外ない」と治承(じしょう)三年(一一七九)二月上旬に、姫を船に乗せ沢山の女官・従者を従えて、海路二十六日宮島に参着し、祈願の後帰路に就きましたが、急に病状が悪化し二月二十九日に姫は十四才を一期に息を引き取りました。
清盛は止む無くその遺骸(いがい)を埋葬すべき所を神に伺ったところ「これより東方七里、赤旗の建っている場所こそ埋葬の地である」とのお告げに従い、遺骸を船に乗せ東方向灘の浦まで漕(こ)ぎ来ると、まさしく赤旗の建っている丘があり、「ここぞその場所」と考え、金銀十二枚、手玉七つ、玩具類七個と、姫が肌身離さず持っていた一寸八分の黄金仏などを副葬品(ふくそうひん)として埋めて、そのしるしに『せんだんの木』を植えておきました。
そして、その場所から東方八間の所に四間四方のお堂を建てて、本尊に阿弥陀如来を祀(まつ)り、その脇に十二単(ひとえ)で身を飾った姫十四歳の立ち姿の木像を置き、入魂の秘法を行い本尊に配し祀ったと古伝にあります。
その場所が昔からこの場所と伝えられています。
『仁保村志の原文より要約』
平成十八年四月吉日
(疱瘡神社の案内板より)
「疱瘡って何かと思うとったら、天然痘のことじゃったんじゃね」
「天然痘は伝染病の一種で、死亡率が高いんじゃ。その疱瘡を流行させる疱瘡神(ほうそうがみ)を鎮めるために、全国各地にたくさんの疱瘡神社が建てられとるんよの」
「姫が疱瘡にかかったけぇ、清盛は国中の名医を呼んで治療させて、ご自慢の厳島神社で祈ったんじゃけど、効果がなかったんじゃね」
「姫は、宮島からの帰り道、治承3年(1179)の2月29日に14歳の若さで亡くなられたんよ」
「悲しんだ清盛は、神様のお告げに従って、宮島から東へ7里、赤旗の建っている場所に副葬品と一緒に姫の亡きがらを埋葬されたんじゃね」
「案内板に「赤旗の建っている場所」とあるんじゃが、これは、疱瘡神が赤い色を忌み嫌っとる、という俗信に従ったものじゃそうな」
「平家の旗印が「赤」というのも関係がありそうじゃね」
「おっ。ちいたぁ勉強しとるじゃん」
「思いつきを言うただけじゃけどね」
「神社のすぐ近くには三角点もありますけぇの」
三角点
訪問日/2010年(平成22)7月18日
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「天女伝説」南区みどころガイド-南区7大伝説
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清盛マリンビュー 運転開始
清盛神社 廿日市市宮島
「今日は、広島市南区堀越にある疱瘡神社について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」