「うー。寒い、寒い」
「ありゃ、今朝は雨が降っとるね」
「一昨日の朝も、雨が降っとったのう」
「今日は昨日より気温が5度低い、いうて天気予報で言よったね」
「明日から仕事じゃ。今日は家でゆっくりしようかの」
「今年(2012年)の正月三が日は「初笑い門松」ということで、広島市と呉市に飾ってあるいろんな門松を紹介してきたよね。その門松について、ひとつ、分からんことがあったんじゃけど」
「なんじゃろうかの?」
「門松の竹の先のことなんじゃけどね。うちは今まで、竹の先を斜めに切ったのしか見たことがなかったんよ」
福屋 広島駅前店
(撮影日:2011年12月29日)
「ところが、そごう広島店新館に飾ってある門松の竹だけ、節のところで真横に切ってあったよね」
そごう広島店新館
(撮影日:2011年12月29日)
「おぉ、これか。この切り方、実はわしも初めて見たんじゃ」
「なんで、竹の切り方が違うんじゃろうか?」
「まず呼び方なんじゃが、上の写真のように斜めに切ったものを「そぎ」、下の写真のように節のところで真横に切ったものを「寸胴(ずんどう)」と呼ぶそうじゃ」
「どっちが本来の形なんかね?」
「もともとは「寸胴」じゃったらしいんよ。これが「そぎ」になった逸話というのがあるんじゃ」
「どんな?」
「元亀3年(1573)、武田信玄と徳川家康の間で「三方ヶ原(みかたがはら)の戦い」という戦(いくさ)があったんじゃ。この戦いは、家康にとって人生最大の敗戦じゃったそうな」
「へぇ…」
「その翌年、信玄から家康に届いた新年のあいさつに、次のように書いてあったそうじゃ」
まつかれてたけたくいなきあしたかな
「? ま、疲れて…?? 竹炊く…??? ひらがなで書いてあると、全然わからんね」
「これは、次のように読むそうじゃ」
松枯れて 竹類なき あしたかな
「松というのは、そのころ「松平」と名乗っていた徳川家のことで、竹は「武田」のことじゃの」
「「松枯れて」じゃけぇ、信玄は「松平家を滅ぼしてやる」と言いたいんじゃね」
「これを家康の家臣が、次のように読み替えたそうじゃ」
松枯れで 武田 首なき あしたかな
「武田の首がない。つまり、「次はやり返してやるぞ」と言いたいんじゃね」
門松の習慣は平安時代からあったが、現在一般的となっている竹をななめに切って並べる「そぎ」にしたのは家康。
竹を武田家になぞらえて「(三方ヶ原では大敗したが)次は斬る」との意味合いを込めたとされる。
(「三方ヶ原の戦い」ウィキペディア)
「家康は、門松の竹を槍に似せて斜めに切り落とした。門松の「そぎ」はここから生まれて、江戸時代以降、関東を中心に広まったそうじゃ」
「なるほど。そんな由来があったんじゃね」
「この「そぎ」が、広島近辺では今では一般的になっとるんじゃの」
↓初笑い門松についての関連記事は、こちら↓
初笑い門松 広島市・広島駅~八丁堀
初笑い門松 広島市・紙屋町
初笑い門松 呉市
「今日は、門松の竹の切り方には「そぎ」と「寸胴」があるということついて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「ありゃ、今朝は雨が降っとるね」
「一昨日の朝も、雨が降っとったのう」
「今日は昨日より気温が5度低い、いうて天気予報で言よったね」
「明日から仕事じゃ。今日は家でゆっくりしようかの」
「今年(2012年)の正月三が日は「初笑い門松」ということで、広島市と呉市に飾ってあるいろんな門松を紹介してきたよね。その門松について、ひとつ、分からんことがあったんじゃけど」
「なんじゃろうかの?」
「門松の竹の先のことなんじゃけどね。うちは今まで、竹の先を斜めに切ったのしか見たことがなかったんよ」
福屋 広島駅前店
(撮影日:2011年12月29日)
「ところが、そごう広島店新館に飾ってある門松の竹だけ、節のところで真横に切ってあったよね」
そごう広島店新館
(撮影日:2011年12月29日)
「おぉ、これか。この切り方、実はわしも初めて見たんじゃ」
「なんで、竹の切り方が違うんじゃろうか?」
「まず呼び方なんじゃが、上の写真のように斜めに切ったものを「そぎ」、下の写真のように節のところで真横に切ったものを「寸胴(ずんどう)」と呼ぶそうじゃ」
「どっちが本来の形なんかね?」
「もともとは「寸胴」じゃったらしいんよ。これが「そぎ」になった逸話というのがあるんじゃ」
「どんな?」
「元亀3年(1573)、武田信玄と徳川家康の間で「三方ヶ原(みかたがはら)の戦い」という戦(いくさ)があったんじゃ。この戦いは、家康にとって人生最大の敗戦じゃったそうな」
「へぇ…」
「その翌年、信玄から家康に届いた新年のあいさつに、次のように書いてあったそうじゃ」
まつかれてたけたくいなきあしたかな
「? ま、疲れて…?? 竹炊く…??? ひらがなで書いてあると、全然わからんね」
「これは、次のように読むそうじゃ」
松枯れて 竹類なき あしたかな
「松というのは、そのころ「松平」と名乗っていた徳川家のことで、竹は「武田」のことじゃの」
「「松枯れて」じゃけぇ、信玄は「松平家を滅ぼしてやる」と言いたいんじゃね」
「これを家康の家臣が、次のように読み替えたそうじゃ」
松枯れで 武田 首なき あしたかな
「武田の首がない。つまり、「次はやり返してやるぞ」と言いたいんじゃね」
門松の習慣は平安時代からあったが、現在一般的となっている竹をななめに切って並べる「そぎ」にしたのは家康。
竹を武田家になぞらえて「(三方ヶ原では大敗したが)次は斬る」との意味合いを込めたとされる。
(「三方ヶ原の戦い」ウィキペディア)
「家康は、門松の竹を槍に似せて斜めに切り落とした。門松の「そぎ」はここから生まれて、江戸時代以降、関東を中心に広まったそうじゃ」
「なるほど。そんな由来があったんじゃね」
「この「そぎ」が、広島近辺では今では一般的になっとるんじゃの」
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初笑い門松 広島市・紙屋町
初笑い門松 呉市
「今日は、門松の竹の切り方には「そぎ」と「寸胴」があるということついて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」