通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

平清盛公日招像 呉市警固屋

2012年01月29日 | 広島の話題
「広島県にある、平清盛ゆかりの地を紹介するシリーズの第4弾」

「先週は呉市・音戸の瀬戸にある清盛塚じゃったけど、今日は?」

「今日は、同じく呉市(くれし)警固屋(けごや)の高烏台(たかがらすだい)にある平清盛公日招像を紹介しようかの」

「清盛の日招き伝説にちなんだものじゃね」

「ほうじゃの」

「清盛が音戸の瀬戸を切り開いた時のこと。その日のうちに工事を完成させるため、清盛は手に持った金の扇で、西の空に沈みゆく夕日を招きかえした、という伝説なんよね」

「太陽さえ自分の意のままに操れるほど清盛の権力が絶大であった、ということを象徴した伝説と言われとるんじゃ」

「自然に手をつけると、しっぺ返しをくらうことがあるよね」

「清盛が熱病で亡くなったのも、この日招きが災いしたと言われとるんよの」






















平清盛公日招像



平清盛公の銅像

対宋貿易と厳島参詣のための海上の捷路(しょうろ。近道のこと)音戸の瀬戸開削(かいさく。土地を切り開いて運河などを通すこと)工事を指揮した平相国(しょうこく)清盛公が、永萬(えいまん)元年(一一六五年)七月十日 沈む太陽を中天に招きかえして、その日のうちに、この難作業を完成させたという古来の伝説にもとづき、瀬戸開削八百年を記念して、当時四十八才の清盛公の英姿(えいし。勇ましく、りっぱな姿のこと)を ゆかりの地日迎山高烏台に建立してその遺徳(いとく。故人が後世に残した徳のこと)を偲(しの)び、あわせて海上交通の平安を永世に祈願する所以である。
銅像原型は林 健の作である。

昭和四十二年七月吉日

社団法人 呉観光協会々長 増岡博之

(平清盛公日招像の碑文より)




平清盛公日招像あたりから見た音戸の瀬戸
(手前の赤い橋が第2音戸大橋、奥の赤い橋は音戸大橋)




「音戸の瀬戸を見渡すことができる場所に建てられとるんじゃね」

「こうやって見ると、音戸の瀬戸って狭いよのう」

「この銅像じゃけど、今から45年前の1967(昭和42)年7月に建てられたにしては、きれいすぎん?」

「NHK大河ドラマ『平清盛』の放映開始に合わせて、去年の秋に改修したそうじゃ。駐車場にはトイレも新築(修理?)中じゃったのう」

「そういや、ひろしま清盛の特技は、「太陽を呼び戻すこと」じゃったね」




日招きのポーズをとる、ひろしま清盛
(撮影日:2012年1月22日)




「この銅像を作った林健(はやし たけし)という方は、広島市中区江波(えば)にあるおさんぎつねの像も作られとってんじゃ」




おさんぎつね
(撮影日:2011年4月2日)






訪問日:2011(平成23)年12月11日





↓広島県にある平清盛ゆかりの地についての関連記事は、こちら↓

清盛塚 呉市・音戸の瀬戸

疱瘡神社 広島市南区

清盛神社 廿日市市宮島






↓おさんぎつねについての関連記事は、こちら↓

おさんぎつね 広島市中区江波





「今日は、呉市警固屋の高烏台にある平清盛公日招像について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
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