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「東京奠都の詔」の草案は、誰が残した文書から見つかった?

2010年05月18日 | 広島の話題
奠都(てんと)は「新たに都を定める」ことで、遷都(せんと)は「都を遷すこと」じゃそうな。
今年は平城遷都1300年なんじゃが、藤原京(ふじわらきょう)から平城京(へいぜいきょう)へ都を遷して1300年ということじゃ。



【問題】
江戸を東京として都と定めた「東京奠都の詔(みことのり)」の草案が、廿日市市(はつかいちし)にある海の見える杜美術館で見つかりました。これは、同美術館が所蔵する幕末から明治初期にかけての人物の文書類に含まれていましたが、その人物とは次のうち誰でしょうか?

1.岩倉具視(いわくら ともみ)
2.大久保利通(おおくぼ としみち)
3.木戸孝允(きど たかよし)
4.後藤象二郎(ごとう しょうじろう)









【正解】
1.岩倉具視



【解説】
明治新政府の草創期(そうそうき)、江戸を東京として都と定めた「東京奠都の詔」の草案が見つかった。
廿日市市の海の見える杜美術館が所蔵する岩倉具視関係の文書類に含まれていた。
藩士出身の参与らに意見を求めた文書もあり、位階(いかい)を超えた衆議による作成と判明。
調査を進める佐々木克奈良大教授は「前近代とは異なる詔書の作成過程が分かる第一級資料」と話している。

詔の草案は、岩倉の修正提案と、公家や藩主から選ばれた議定(ぎじょう)や木戸孝允ら参与に意見を求めて回覧した文書とともに軸装(じくそう)
されていた。

奠都の詔は1868年7月17日に宣布(せんぷ)された。
明治天皇が政務にかかわった初めての詔。

江戸の重要性を述べ「東京」として新しく都と定めること
親臨(しんりん。天皇が自ら臨む)して統治すること
―を述べている。

「親臨」は、草案では「躬臨(きゅうりん)」(自ら臨む)となっているが、岩倉は7月15日に回覧文書で「親臨」と改めるよう提案。
議定の山内容堂(やまうち ようどう)らが賛同している。

後藤象二郎や木戸ら参与も意見を求められている。
「関白ら公家のみで作った江戸期の詔と大きく異なり、無位無官の者も加わっている。公議公論を重視する新政府の基本方針が検証できる」と評価している。

東京奠都は、新政府樹立にあたって旧弊(きゅうへい)を打破し、東国を押さえるほか、大都市江戸がさびれることへの懸念などから、当初大久保利通が建言した大坂遷都案を押しのけ、議論が傾いたとみられる。

「東京奠都の詔 草案見つかる」中国新聞  2010年5月17日)




わしゃ、この記事の意味を理解できんかった。
そこで、歴史のおさらいから始めようと思う。



江戸時代末期、大政奉還(たいせいほうかん。第15代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が統治権を天皇に返上した)や王政復古(おうせいふっこ。「天皇親政」が宣言された)などで、天皇のいる京都が政治の中心となっていた。

新たに天皇親政を行うにあたって遷都を行おうという意見があり、大坂へ都を遷そうという「浪華(なにわ)遷都の建白書」が提出された。
これは宮中や京都市民からの反対にあい、実現しなかった。

その後、新政府側の西郷隆盛と旧幕府側の勝海舟らの交渉により江戸城が無血開城され、徳川氏は駿府(すんぷ。現在の静岡市)に移された。
京都から遠く、何かと目の行き届かない東日本を治めるため、江戸を東京として新たな拠点とすることになった。

明治天皇が東京に移った時は、東京を新たに都として定めたので「奠都」。
京都は都として残したので、京都から東京へは「遷都」をしていない、ということ。



「東京奠都の詔」の現代語訳は、次のとおり。



私(明治天皇)は政務を自ら裁決し、国民を安んずる。
江戸は東国第一の大都市で、天下の要所である。
この地に天皇が自ら臨み、統治すべきである。
よって今後、江戸を東京と称する。
これは、私が国全体を一家として東西を同一視するためである。
この意味を国民は理解して行動せよ。

(同上)




歴史に「たら」「れば」はないんじゃが、「もし、大坂が日本の首都になっていたら?」

大阪弁が、日本語の標準語なる。
日本全体が大坂のような「商人の町」になる。

アナウンサーが大阪弁でニュースを読み、役所などの公式文章も大阪弁で書かれることになるわけじゃ。
どこかに「ギャグ」が必ずあって、「ツッコミ」や「ボケ」のないものは嫌われるんじゃろうの。

ということは、外交は結構、やりやすいと思うのは、わしだけかのう?
戦前の大陸進出や、戦後の貿易摩擦なんかも、もっと別のやり方でyまくやったんじゃないんかのう?



閑話休題。



選択肢1の岩倉具視(いわくら ともみ)は、幕末・明治前期の公家・政治家。
2009(平成21)年 3月、岩倉具視関係の文書類約170点が、海の見える杜美術館の所蔵品から発見された。



選択肢2の大久保利通(おおくぼ としみち)は薩摩(さつま)藩士、明治前期の政治家。
木戸孝允(きど たかよし)、西郷隆盛(さいごう たかもり)とともに「維新三傑」の一人。



選択肢3の木戸孝允は長州(ちょうしゅう)藩士、維新期の政治家。
幕末期には、桂小五郎(かつら こごろう)として知られていた。
NHK大河ドラマ『龍馬伝』では、谷原章介(たにはら しょうすけ)が演じている。



選択肢4の後藤象二郎(ごとう しょうじろう)は土佐藩士、明治前期の政治家。
『龍馬伝』では、青木崇高(あおき むねたか)が演じている。



記事の中にあった山内容堂(やまうち ようどう)は第15代土佐藩主。
『龍馬伝』では、近藤正臣(こんどう まさおみ)が演じている。



↓くわしくは、こちら↓

「龍馬伝」NHK



今日は、「東京奠都の詔」の草案について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ほいじゃあ、またの。

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