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キリンビヤホールの外壁タイル 広島市中区本通

2011年09月09日 | 広島の話題
「この間、広島パルコの横を歩きよったら、キリンビヤホールの外壁タイルが取り付けてあるのを見つけたんよ」

「どこ? パルコの壁に?」

「パルコの西側、並木通りから本通りへ入る方の壁にあったんじゃ」

「うーん、知らんかったね。そのビヤホールは、いつごろできたんじゃろうか?」



キリンビヤホール(爆心地から約670メートル)

キリンビヤホールは、1938年(昭和13年)6月 郊外に建設されたビール工場とともにオープンしました。
1945年8月6日午前8時15分 原子爆弾のさく裂によりにぎやかだった周辺の町並みはすべて焼失し、この建物の外郭だけが残りました。
しかし、同年12月には早くも営業を再開し、その後多くの市民の憩いの場として親しまれてきました。
被爆の惨禍を後世に伝えていくため、外壁のタイルの一部分をここに移設して保存しています。

(説明板より)



キリンビヤホールの外壁タイル(並木通り側より)



同上(正面より)




「キリンビヤホールは1938年(昭和13)にオープンした、鉄筋3階建ての建物じゃったそうじゃ」

「「郊外に建設されたビール工場」いうたら、府中町にあったキリンビールの工場のことじゃね」

「ほうじゃの。府中町は1年前の1937年(昭和12)、町制を施行して府中村から府中町になったばかりのころじゃ」

「この時代の広島に、ビヤホールがあったんじゃね」

「そんなことを言うなや。ビヤホールいうたら、明治時代から日本にあったんで」



日本では1897年(明治30)年7月20日、大阪市北区中之島の大江橋南詰に大阪麦酒株式会社(現在のアサヒビール)によって、「氷室生ビール」と洋食をメニューにした本格的なビヤホール「アサヒ軒」が開かれたのが最初。

(「ビアホール」ウィキペディア)




「へぇ、そうじゃったん。ほいじゃ、ビアガーデンは?」



日本で最初の屋上ビアガーデンは1953年に大阪市北区梅田でオープンした「ニユートーキヨー大阪第一生命ビル店」である。

(「ビアガーデン」ウィキペディア)




「なるほど。ビアガーデンの方が新しいんじゃね」

「キリンビヤホールに話を戻すと…、原爆の投下で窓ガラスが割れ、火災が発生したんじゃが、建物が倒れることはなかったそうじゃ」

「その年の12月には、営業を再開しとってんじゃ。ほいで、いつまで営業しよっちゃったんかね?」

「よう分からんのじゃが、ウィキペディアによると、1990年(平成2)頃まで存在したそうじゃ」

「広島パルコがオープンしたのが1994年(平成6)じゃけぇ、その時にこの外壁タイル取り付けられたんじゃね」

「とは言いながら、この外壁タイルがあることを、今まで全然知らんかったんじゃがの」

「「えぇ、そんなものあったっけ?」というのが、正直なところじゃね」

「わしも、平日の夕方に10分ほど立って見よったんじゃが、皆さん素通りされとったのう」

「この近くを通られたら、足を止めて見てくださいね」





↓広島パルコについては、こちら↓

広島PARCO





↓キリンビールについては、こちら↓

KIRIN キリンビール





↓広島パルコについての関連記事は、こちら↓

「これでいいのだ!」というセリフが出てくる、赤塚不二夫のマンガは?





「今日は、広島パルコ横にあるキリンビヤホールの外壁タイルについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

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