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幕府の老中として日米和親条約を結んだ、福山藩7代藩主は誰?

2010年09月24日 | 広島の話題

【問題】
現在、福山城博物館では、企画展「幕末の福山藩」が開かれています。
これは、幕府の老中として日米和親条約(1854年)を結び、開国に大きな役割を果たした福山藩7代藩主を中心に紹介されていますが、この藩主とは次のうち誰でしょうか?

1.阿部正精(あべ まさきよ)
2.阿部正右(あべ まさすけ)
3.阿部正倫(あべ まさとも)
4.阿部正弘(あべ まさひろ)









【正解】
4.阿部正弘



【解説】
企画展「幕末の福山藩」が、福山市丸之内の福山城博物館で開かれている。
幕府の老中として日米和親条約を結び、開国に大きな役割を果たした7代藩主阿部正弘(1819~57年)を中心に紹介する。

正弘が着た「紺糸菱綴五枚胴具足(こんいとひしつづりごまいどうぐそく)」、アメリカ使節との交渉について部下に指示した書簡など計約120点を展示している。
幕府側として長州藩に敗れた第2次長州戦争、明治に入っては幕府を相手に戦った福山藩の歩みも絵図でたどる。

阿部家が藩主となった1710年から300年の記念展。
同館=電話084(922)2117。

(「書簡や絵図で幕末の福山紹介」中国新聞 2010年9月23日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201009230167.html




会期/2010(平成22)年9月18日(土)~11月14日(日)
場所/福山城博物館 1、2階展示室
開館時間/9時~17時(入館は、16時30分まで)、月曜休館
観覧料/一般500円、高校生以下無料



↓企画展「幕末の福山藩」については、こちら↓

「阿部氏福山入封300年記念 幕末の福山藩」福山城博物館公式ホームページ
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/fukuyamajyo/



今日は、「外国からの圧力」「ペリー来航」「日米和親条約」「阿部正弘」について調べてみようかの。



1.外国からの圧力

「アヘン戦争」をご存じじゃろうか?
1840年からの2年間、イギリスから清(しん。現在の中国)へのアヘンの密輸が原因で、清とイギリスとの間で行われた戦争。
結果は、清が負けたんじゃ。

この結果、清はイギリスに多額の賠償金を支払い、香港(ホンコン)を割譲(かつじょう。譲り渡すこと)され、広東(カントン)や上海(シャンハイ)など5港の開港を認めさせられた。

当然、このことは、すぐ日本にも伝わってきた。
「清のような大国が負けた。日本のような小さな国はひとたまりもない…」

「オランダ風説書(ふうせつがき)」といって、海外に関する情報を書いた書類を、オランダの商館長が江戸幕府に提出しとったんじゃ。
「鎖国」中とはいえ、幕府は清とオランダと交易をしとりましたけぇの。
このころの風説書に、次のように書いてあったそうじゃ。

「蒸気船の発明によって、海上の交通網が飛躍的に発展している。したがって、これ以上、日本が鎖国を続けることは不可能だから、開国したほうがよい」

18世紀後半から、アメリカやロシア、イギリスなどの国の船が日本の周辺に現れ、国交や通商を求めてきとった、という事実もある。
もちろん、幕府は「鎖国」を理由に、これらを断っとったんじゃ。

清の開国に危機感を抱いた幕府は、文政8(1825)年に出した「異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)」を緩和し、天保13(1842)年に、「薪水給与令(しんすいきゅうよれい)」を出した。
「清とオランダ以外の外国船は打ち払ったもよい」から、「遭難(そうなん)した船に限って、燃料や食料を与える」と政策を転換したんじゃ。

といっても、200年以上続けてきた鎖国を止めようと考えたわけじゃない。
「薪水給与令」も、「燃料や食料は差し上げますから、どうぞお引き取りください」というくらいのものじゃった。

そんな中、ペリーが黒船で現れた。



2.ペリー来航

1852年、東インド艦隊司令長官のペリーは、軍艦4隻を率いてアメリカを出発した。
ペリーが日本に行く目的は、捕鯨船の補給基地として日本の港を開港させることじゃった。
このころのアメリカは鯨を捕まえ、その油をロウソクや石けんの原料として利用しとった。
当時の捕鯨船にとっては、水や食料、燃料となる薪(まき)を補給するため、嵐の時に避難するため、そして長旅に疲れた乗組員を休ませるために、寄港地の確保が必要じゃったんじゃ。

嘉永6(1853)年6月、ペリーは浦賀沖に来航した。
開国の交渉に来たというペリーに対して、浦賀奉行は長崎へ行って欲しいと言った。
しかし、ペリーはそれを拒否したばかりか、軍艦を江戸湾の奥まで進めるなど、脅しをかけてきたんじゃの。
幕府はペリーを久里浜に上陸させ、開国を求めるアメリカ大統領の国書を受け取った。
そして、1年後に返事をすると約束し、なんとかペリーを追い返した。

この時、老中首座として対応したのが、福山藩第7代藩主でもあった阿部正弘(あべ まさひろ)。

阿部は朝廷に状況を報告し、全国の諸大名に幅広く意見を求め、対策を協議したんじゃ。
幕府が意見を聞くというのは、今までに例のないことじゃったそうな。



3.日米和親条約

嘉永7(1854)年1月、ペリーは国書に対する返事を求めて、再び江戸湾へやってきた。
幕府は横浜市でペリーと協議し、3月に日米和親条約を締結した。

主な内容は、次のとおり。

第2条 下田と函館の2港を開港する

第8条 燃料や食料を供給する

第9条 アメリカに片務的最恵国待遇(さいけいこくたいぐう)を与える

第11条 下田に領事を駐在させる

以後、 同年8月には日英和親条約(イギリス)、安政元(1855)年12月には日露和親条約(ロシア)、安政2(1855)年12月には日蘭和親条約(オランダ)と、幕府は諸外国と条約を結ばざるを得なくなっとったんじゃ。



4.阿部正弘

最後になったが、阿部正弘と、彼の政策について。

阿部正弘は文政2(1819)年、5代藩主・阿部正精(まさきよ)の6男として、江戸藩邸で生まれた。
阿部は、生まれてから死ぬまで江戸におって、福山に滞在したのは、天保8(1837)年、福山に帰藩した時だけじゃそうな。
18歳で第7代福山藩主となり、25歳で老中、27歳で老中首座となる。
そして、ペリーと日米和親条約を締結したのは、35歳の時じゃった。

幕府は、広く意見を求めたものの、これといった妙案もなく、最終的には何とか穏便にまとめようということで、日米和親条約を結んだんじゃの。
しかし、「これからは軍事力を強化せんと、諸外国に太刀打ちできん」とも考えた。
同時に、成立から250年を経過し、硬直化した幕府自体の改革もせんといけんかった。

そこで、阿部を中心として、安政元(1854)年から安政4(1857)年にかけて行われたのが「安政の改革」じゃ。

まずは、「人材登用」。
家柄にかかわりなく有能な人材を登用する。
これによって幕府の統治能力を回復しようとする試みがおこなわれたんじゃの。

徳川斉昭(なりあき)を海防参与とし、江川英龍(ひでたつ)、岩瀬忠震(ただなり)、勝海舟らを海防掛へ登用した。

築地に講武場(こうぶじょう)を作り、旗本や御家人に武芸の鍛錬を行わせた。

次に、外国の蒸気船に対抗できる船を造らんといけん。
武家諸法度によって定められとった大船の建造禁止を解いた。

船を造るからには、船を操る人を育てんといけん。
長崎に海軍伝習所を開いて、オランダ海軍士官から海軍技術を学ばせた。

軍艦を造る技術はなかったが、修理はせんといけん。
当然、鉄が必要になってくる。
長崎と横須賀に製鉄所を建設した。

ペリーの時のように、江戸湾に攻め込まれてはかなわん。
海からの防備の強化するために、台場を築いた。

安政4(1857)年、阿部は39歳の若さで病没。

阿部は1855(安政2)年、福山藩に「誠之館(せいしかん)」という学問所も設立されとります。
これが現在の、広島県立福山誠之館高等学校となっとるわけじゃ。



↓誠之館の関連記事は、こちら↓

広島藩の藩校の流れをくむ学校は?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20100918



NHK大河ドラマ「龍馬伝」では、阿部は第5話の「黒船と剣」(1月31日放送)あたりに出てこられたんじゃが、覚えとられますかいの。
ペリーが黒船でやってきて、江戸幕府に開国を迫る。
その時の老中が阿部で、諸藩に意見を求めたんじゃ。
武市半平太(たけち はんぺいた)や岩崎弥太郎(いわさき やたろう)が、それぞれ意見書を出されとりましたのう。

勝麟太郎(かつ りんたろう=勝海舟)もこの時に意見書を提出し、これが阿部の目に止まったことで、勝が取り立てられたそうじゃ。

龍馬は剣の修行で江戸におったころで、桂小五郎と浦賀で黒船を見て、想像を絶する巨大さに衝撃を受けとりました。



今日は、「外国からの圧力」「ペリー来航」「日米和親条約」「阿部正弘」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ほいじゃあ、またの。



(2010年10月16日 全面改定)


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