通でがんす

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宮島の大聖院で作品展が開かれている、広島県出身の人形師は?

2010年09月08日 | 広島の話題

【問題】
9月4日(土)から、廿日市市(はつかいちし)宮島町の真言宗大聖院(だいしょういん)で、人形の作品展が開かれています。
そこには、弘法大師空海(こうぼうだいし くうかい)を始め、不動明王(ふどうみょうおう)や金剛力士(こんごうりきし)の人形などを展示されています。
これらの人形を作った、NHK人形劇でも人形を制作している、広島県出身の人形師は、次のうち誰でしょうか?

1.川本喜八郎
2.菅澤敬一
3.辻村寿三郎
4.友永詔三









【正解】
3.辻村寿三郎




【解説】
人形師辻村寿三郎さん(76)の作品展「大聖院即身成仏縁起」が、廿日市市宮島町の真言宗大聖院で開かれている。
地元有志たちでつくる人形展実行委員会が主催。
26日まで。

人形約50体を展示している。
力強さの中に優しさを醸し出した不動明王や金剛力士、修行中の弘法大師空海の姿を表現した人形など、真言宗をテーマにした作品が並ぶ。
平家物語を題材とした人形や、12星座をモチーフにした神秘的な作品もある。

宮島での作品展開催は、2008年に続いて2回目となる。
入場料は1200円。
高校生以下無料。

(「辻村寿三郎の人形50体ずらり」中国新聞 2010年9月7日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201009070019.html



9月18日(土)の14時から、宮島ホテルまことで辻村氏のトークショー(入場料3500円)が、9月19日(日)の11時と14時からは、大聖院でサイン会も予定されとるそうじゃ。
問い合わせは、同委員会事務局090・8240・5322。



今日は、「辻村寿三郎」「大聖院」「川本喜八郎」について調べてみようかの。



まずは、辻村寿三郎について。

1933(昭和8)年11月、旧満州国錦州省生まれ。
物心ついたころから、人形を作られとったそうじゃ。

1944(昭和19)年、広島市楠町に引き揚げる。
翌年、母の故郷の広島県三次市に引っ越し、そこで終戦を迎える。

1955(昭和30)年、母の死をきっかけに、上京。
前進座の河原崎国太郎(かわらさき くにたろう)の紹介で小道具制作の会社に就職する。

1960(昭和35)年、27歳で独立、人形の創作を一生の仕事とすることを決意。

1961(昭和36)年、第13回現代人形美術展で「八百屋お七」「ヘラクレス」が入選。

1973(昭和48)年、NHK「新八犬伝」で人形美術を担当、一躍脚光を浴びる。
クラスの男子の間で、「われこそは、たまずさが、ぅおぉぉぉんりょう~」と、真似して言うのが流行したんじゃ。
この「玉梓の怨霊」の人形を操ったのが、辻村寿三郎ご本人じゃったそうな。
ナレーションを務めた坂本九の名調子も、えかったのう。




伏姫と八房
石山透「新八犬伝 上の巻」日本放送出版協会 1974年より


1975(昭和50)年、NHK「真田十勇士」の人形美術を担当。
これを見たおかげで、真田幸村が戦国武将の中で一番好きになったんじゃ。
高校のとき、修学旅行で東京のNHKに行ったとき、真田十勇士の人形が2体、飾ってあった。
確か、大きさが90センチくらいあったんじゃないんかのう。
「うわぁ~、こんなに大きいんじゃ」と感激した覚えがある。
エンディング「真田十勇士の歌」を歌うのは、あの村田英雄御大。
本宮ひろ志(「男一匹ガキ大将」)、すがやみつる(「ゲームセンターあらし」)によってコミック化もされとります。




猿飛佐助
柴田練三郎「真田十勇士 巻の二忍者は決起した」日本放送出版協会 1975年より


その後も、創作人形の発表、人形芝居の上演、舞台衣装のデザインなど、精力的に活動されとります。



↓辻村寿三郎については、こちら↓

辻村寿三郎公式ホームページ
http://www.jusaburo.net/



↓DVDについては、こちら↓

「NHK人形劇クロニクルシリーズVol.4 辻村ジュサブローの世界~新八犬伝~」amazon

「NHK人形劇 新・八犬伝 劇場版」amazon



次に、大聖院について。

大聖院は、その正式名称を「多喜山(たきやま)大聖院水精寺(すいしょうじ)」というて、宮島でもっとも古い歴史を持つ寺院じゃそうな。
今から1200年前の806(大同元)年、空海が宮島に渡って弥山(みせん)の上で修行をして開基したのが始まりといわれとります。

厳島神社の別当寺(べっとうじ)として祭祀(さいし)を司り、社僧を統括してきた。
神社なんじゃが、寺の面倒も見とったということじゃ。

観音堂本尊の十一面観世音菩薩、勅願堂(ちょくがんどう)本尊の波切不動明王のほか、三鬼大権現、七福神、一願大師など数多くの仏像が安置されとります。

また、中国三十三観音霊場の第十四番札所、山陽花の寺二十四か寺の第一番札所、そして広島新四国八十八ヶ所霊場の第八十七番札所でもあるんじゃ。

1592(文禄元)年、豊臣秀吉が歌会を開く。

1885(明治18)年、明治天皇が広島に行幸(ぎょうこう)された折に宿泊され、翌日、厳島神社に参拝された。

1905(明治39)年、伊藤博文(いとう ひろぶみ)らの寄進により弥山登山道の大修理が完成した。



↓大聖院については、こちら↓

宮島 大本山 大聖院
http://www.galilei.ne.jp/daisyoin/



最後に、川本喜八郎について。

選択肢1の「川本喜八郎」といえば、NHKで放送された人形劇「三国志」(1982年~1984年)や「平家物語」(1993年~1995年)でも有名じゃのう。

広島関連でいえば、今年8月に行なわれた第13回広島国際アニメーションフェスティバルでも特集が組まれ、「死者の書」などが上映されとりました。
「死者の書」は見たことがあるんじゃが、何が何やらさっぱり理解できんかった。

個人的には、「不射之射(ふしゃのしゃ)」(1988年。中国との合作)が好きじゃのう。
中島敦(なかじま あつし)の短編小説「名人伝(めいじんでん)」から題材を取った作品。
そういや、これを見てから中島の作品を読むようになって、中でも「山月記(さんげつき)」が好きじゃ。

辻村と川本との共通点といえば、幼いころから人形を作ることが好きだったようで…。


「人形が好きなんです。祖母が人形を作るのを幼いときに見ていて、見よう見まねで私も作り始めた。ただ、戦時中は男の子が人形で遊んだり、作ったりするのが許されず、辛かった」
(「人形で俳優以上の情念を-川本喜八郎さん」毎日新聞 1991年2月16日)
http://mainichi.jp/feature/sanko/archive/news/2010/20100827org00m200015000c.html?inb=yt


記事に「「ワ、ワ、ワが三つ」といったCMの仕事をした」とあるのは、「ミツワ石鹸」のコマーシャルのことじゃ。
うわー、懐かしいのう。
あの作品も手がけられとったんじゃ。

川本喜八郎は今年8月23日、85歳で亡くなられとります。合掌。



↓川本喜八郎については、こちら↓

川本喜八郎 Official Web Site
http://www.sakuraeiga.com/kihachiro/

飯田市川本喜八郎人形美術館
http://www.city.iida.lg.jp/kawamoto/



選択肢2の菅澤敬一は、NHK人形劇の「新・三銃士」(2009年~2010年)を、選択肢4の友永詔三は、同じく「プリンプリン物語」(1979年~1982年)の人形を製作されとります。



今日は、「辻村寿三郎」「大聖院」「川本喜八郎」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ほいじゃあ、またの。

コメント
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