幸せに生きる道
人類全体が幸せにならなければ、個人の幸せもほんとうにはないのだろう。すべての人々に食べ物が行きわたり、すべての人々が健康で、すべての人々が自分の好きなことができ、すべての人間関係において争いがない、こんな世の中になったらよいと誰もが願う。不幸な人が誰もいなくなる。
しかし、人間は、人間がいる限り、幸せにはなれないと言った人がいる。人間を不幸にしているのは、人間なのではないのか。人の悩みの種は、人ではないのか。すべての人間は罪を犯してしまうから致し方ない。しかし、人は人がいるからこそ、幸せにもなれるのではないか。人間関係の軋轢があるからこそ、努力を重ねて幸せを築くこともできる。
アダムはエバと共に生きる道を示された。イエス様は、「あなたがたには世で苦難がある」と言い切っておられる。人は、そのように造られているのである。だからといって、苦難のままかというと、そうではない。幸せという流れを見い出すことはできる。イエス様は、「しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と言われた。
「世に勝つ」とは、この世においていわゆる成功を収めることではない。富を築くとか、名声を得ることではない。貧しくても、苦難の中にあっても、世に勝つことはできる。それは模範を示されているイエス様のように生きることだ。イエス様のように考え、イエス様のように行動する。そうすれば、幸せに生きられる。簡単ではないが・・。
平良 師