春に芽生えていく『いのち』
キリスト教において、「命」とは、この世界の命だけを指すのではなく、「永遠の命」の約束をも意味しています。聖書がいう「永遠の命」は、命の長さを指しているだけではありません。神様を信頼し、生活をしていく中での「豊かさ」を指しています。既に味わっている「豊かさ」は、死によって終わるのではなく、継続するという約束です。また「豊かさ」とは、平和、愛、希望です。この「豊かさ」を今からでも味わい、天国をのぞくことができますように。
キリスト教会が中心に据えているのは、自分だけではなく、相手の命を大事にする「隣人愛」です。私たちは、社会の弱者に目を向けるように、社会に意思表示ができない人たちに耳を傾けるように、心身障害のある方、また経済的に困っている方々の味方になりたいものです。喜びがあれば、共に喜ぶと、それが倍になり、悲しみがあれば、それを共に抱えると、半分になると言われています。(参考:ローマの信徒への手紙 12章15節)その実践として、お互いにお見舞いに行き、お見舞いの電話をかけることです。私たちは「共に生きる」ことを目指し、被災地の仮設住宅を訪問します。直接の問題解決にはならないかもしれませんが、共にいるだけで意義があると信じています。
自分と他者の命は神から与えられている貴重なものだと信じるようになります。この命は一回きりの大切なものなので、無駄にならないように、励ましと応援をしたいと思います。
最後に、私にとって、未解決の大きな課題は、自死防止のための対応です。まだまだ、自死される方が多すぎます。これは福音メッセージが直接に応答する事柄として受け止めたいと思います。キリスト教会だからこそ、助けられることがあるでしょう。今週、新緑の美しさを感謝し、自分の命、人の命を感謝して、大事にして歩みましょう。
L・ハンキンス 師