平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2016年10月16日 主の慈しみに生きる人々よ、主に賛美の歌をうたい、聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。

2016年11月04日 18時49分57秒 | Weblog
主の慈しみに生きる人々よ、主に賛美の歌をうたい、聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。

詩編30篇5節

「何一つ感謝することがない」と、心の病で入院中の人が言いました。この人は、そのように思っているからこそ、入院しているのでしょう。ウツの原因の1つは、認知の歪みにより、極端に考えてしまうことです。置かれている状況により、先が見えなくなると、気分が落ち込む人もいるでしょう。一方、同じような事情があっても、ウツにならず、困難を耐える力を見出す人もいます。いったい、何が違うのでしょうか。感謝の気持ちによると言っても言い過ぎではないでしょう。大切なことは、小さなことから感謝ができるか、できないか、です。
 極端な考え方に対しては、極端に答えたら良いでしょう。例えば、「何もない」という考えの人に対して、「お部屋は停電ですか」と尋ねると、その人は「いいえ、明かりはついています」と答えました。その人は、電気が使えるだけでも感謝できることに気づきます。またある人は、「今朝、起き上がれませんでしたか」という問いに、病気を抱えながらも、「なんとか起きることができました」と答えます。調子が万全でなくても、今朝の目覚めに感謝できることに気づきます。
 目の前の状況がどうしようもないとき、手に余るとき、誰も助けてくれる人がいないとき。そんなときこそ、「感謝リスト」を書きましょう。最低5つは書いて、いくつになるかを数えましょう。また、私たちは、神様に文句や願い事を遠慮なく吐き出して良いのです。その合間に、神様の前で沈黙を守る一瞬があれば、その中で「あなたは大丈夫」というメッセージが聞こえてきて、「感謝」の気持ちが湧いてくるでしょう。感謝の気持ちに加えて、愛、希望が、少しあれば、十分です。
11月、私たちは何に感謝しましょうか。


L・ハンキンス 師

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