教会は何を選びとっていくのか
世界中のすべての国々に100の富があったとする。それらをそれぞれの人口に応じて均等に分配すると、ある国が手にしていたものは減るが、ある国は多くを得られるようになる。その結果、餓える人々はいなくなる。しかし、これまで豊かに生活してきた者にとって、この事態は喜ぶべきこととは思われない。
いわゆる先進国と自負してきた国々は、かつてのような豊かさを享受することはもうできなくなった。なぜなら、これまで後進国とか発展途上国と言われていた国々も、工業化がある程度進み、合わせてかつてのような一方的な搾取に甘んじることはなくなってきたからだ。世界はグローバル化が進み、平均化しつつある。これはよいことだろう。
そして、そのような世界的な流れのなかで、日本の経済的な上昇率も随分と落ちたということなのだろう。当然あちこちが、縮小を余儀なくされていく。宗教界もその流れの中で影響を受けないということはありえない。この10年のわが連盟の教勢も右肩下がりである。礼拝出席者、教会学校の参加人数、協力伝道献金など、軒並み下がっている。教会によっては、次世代を担うキリスト者たちが与えられないために、たいへんな苦労をされている。
しかし、時代の潮流がどうであろうと、教会はいつの時代も、キリストのミッションのために最善を尽くすことが求められている。その最善であるが、今の時代、教会は何を選び取っていけばいいのだろう。
平良 師