平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2016年10月23日 主からの賜物も赦しも十分

2016年11月13日 11時46分43秒 | Weblog
主からの賜物も赦しも十分

 言葉によって人は傷つきもするし、励まされたりもする。同じ言葉でも、その運び手によって、心に強く響くこともあれば、そうでもなかったりする。日頃のその人となりを問われているとも言える。しかし、この人となりも、自分が理解している姿が、その人の真実の姿かと言えば、それもまたわからないのである。人の内面は分からない。
 いい加減に見えても、その人は、本当はとてもまじめな方かもしれない。自分を上手にアピールできる人もいれば、それができないで損をしている人もいる。また、この人は罪を犯すような人ではいと思われていた人物でも、人は変わりうるのだというのが聖書が教えていることだ。それほど人間は弱い。
 つまり、人は状況の変化によっていかようにでも変わりうるのである。極端だが、それを拒否すれば生活が危うくなる、命さえもどうなるかわからないということになれば、信念を捨てたり、信仰さえ捨てることもあるし、前言を翻すことも行う。また、色々な誘惑がその人をダメにするケースもある。そもそも誘惑とはちょっとした心の隙間に忍びよるものだ。
 東京都知事のI知事は、高額なお金のやりとりを指摘され、M知事は、公私混同の過ちを犯したということであった。私は、牧師としての知恵をもう少し欲しいとは思う。遅きにあるが、性格的にももうちょっと上品であればとも思う。答えは予想できる。パウロと同じで、「十分だろうが」と、神様は言われるのだろう。


平良 師

最新の画像もっと見る