平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2018年9月2日 被造物の世界

2018年09月09日 16時43分15秒 | Weblog
被造物の世界

 物事には、その世界では常識だと言われることがある。何事においてもある。医療の世界、教育の世界、営業の世界、菓子作りの世界、建築の世界、およそ、すべての世界において、これこれのことはその世界では常識だ、というものがある。しかし、100%、それはそうかというと、そうだとも言い切れないものがある。
 どういうわけか、このことは、当てはまらないというものがある。だから神様がおられると言える。そうでなければ、人間はすべてのことを解明でき、神様の出る幕はなくなる。7割がたは、およそそうだと言えるかもしれないが、あとの3割はわからない、そのようなものだってあろう。
 だから、例えば、その道の専門家をまるごとは信用することもできない。人間には過ちがつきものである。「私は失敗をしないので」なんて人は、ドラマの上だけだ。パウロも、罪を犯さない人は誰もいないと主張した。人間の精神構造、思考回路、脳の働きについて、医者や生物学者は、一般の人々よりも理解が深いだろう。だからといって、他の人々よりも人間関係をより良好に作れるか、信頼関係を深く築けるか、というとそうでもないのだ。
 牧師に至っては、本人に、召されたとか献身しているといった思いはあっても、聖なる者ではなく、ご存じのようにただのおじさんおばさんである。神様は畏れているが、残念ながら倫理道徳的に秀でているわけではなく、他の誰よりも優しいわけでも、愛が深いわけでもない。


平良牧師

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