平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2019年11月10日 戦争に利用される装置

2020年01月17日 12時50分11秒 | Weblog
戦争に利用される装置

 戦争になくてならないものがある。それは、国のために勇んで命を投げ出す装置である。それに一役かうのが宗教である。自爆テロなどを勇んでさせることのできる力も宗教である。また、日本も国家神道という仕組みを作り、天皇を神に祀り上げ、この現人神のために喜んで死ねる人間を教育していった。
 そして、国のため、天皇のために死んだ人間は、靖国神社に英霊として祀られることとなった。キリスト教もまた、歴史的にはいろいろな場面で戦争に利用されてきたから、他の宗教のことを云々することも声高にはできない。しかし、少なくとも日本という国は、国家神道という枠組みが作られ、完璧なまでに戦争をする装置ができたのだった。隣組などの組織も利用された。互いに監視し合う(密告)体制を作ったのである。
 戦争は、ひとの社会をだめにするだけでなく、一人一人を罪おとしある者に貶めていく。しかも、罪の意識を希薄なものとしていく。戦争だけは許してはならないとつくづく思う。ところが、この戦争に利用されるこれらの装置は、かつてのような機能を有していないとしても、権力が戦争できる国に日本をなそうと考えたときには、再び利用しかねないという不安がある。
 近いうちに大嘗祭がやってくる。少なくとも、この一連の即位の儀式は、ひとが神になる儀式であることはおぼえておきたい。靖国神社、隣組など、かつての戦争を推進していった装置も、ちょっと姿は変わっているが生かされている。


平良憲誠 主任牧師

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