正義を主張するときには自己吟味を!
宗教は、一種の阿片であると言われる。はまり込むと気持ちが良すぎて、抜けでなくなる。キリスト教でも、恍惚状態に陥ってしまって、ちょっとそうした気分を味わえる類のものもあるだろう。しかし、多くのキリスト者たちは、神様に多くを委ね自由に生きることを許されていることを知りつつ、それでも教えや使命を意識して、理性的に生きている。
最近、大麻を所持しているというので逮捕された元芸能人がいて、話題になっている。医療に大麻を使用することを主張して、前回の参議院選挙に立候補した人物でもある。癌に侵され、痛みに苦しむ人に麻薬を投与して、それを和らげるのは結構なことだと思う。大麻には、その他にもいろいろと効能があるということだが、一方で害も指摘されており、暴力団の資金源になっているために、どうしても犯罪との関係が生まれる。
今日、来日したF国の大統領のあだ名は、暴言王だそうだ。A国の大統領候補のT氏のことを、「あいつは差別主義者だ」と言っているそうだが、どちらも本質的なところはあまり変わらないといった印象である。暴言を吐くだけでも問題がないわけではないが、麻薬組織の人々を平気で殺害していることについては、人権感覚に乏しく、残忍性が高い。
何事も正義を主張するときには、自分の行いを必ず吟味されるのは必至。医療用大麻使用を推奨してきた元芸能人もF国大統領も、そして、私たちキリスト者も、それは同じなのである。
平良 師