大事な場所
子どもたちの存在は、希望である。屈託なく遊んでいる子どもたちを見ていると、何かしら、力や元気をもらう。共同保育に関わるようになって31年になる。来ているのは0歳から3歳くらいまでの子ども。話して何かを伝えようとしても、そう簡単ではない。ちょっとした会話を楽しみ、手助けしながら一緒に遊ぶことくらいしかできなかった。
しかし、こちらも元気にされた。思い返すと、共同保育でよく目にした妻の対応 は、「いいとよ、それでいいと・・」であった。丸ごとお母さんたちのありようを受け入れていた。特に、初めて子育てをするお母さんたちには、このような共同保育の場所は、ほっとできる所であったようだ。
私たちにとって神の国は、ほっとできる、平和に憩える場所である。もし、争いはなくても、それぞれが自立し、いろいろなことをわきまえていて、秩序正しく過ごす所ということになると、誰がそのような所へ行きたいと思うだろうか。もうしっかりする必要はない、ゆっくりできて、痛みも苦しみもない、そういう所が行き着く場所として憧れるというお年寄りは多いことだろう。初めて子育てをするお母さんたちは、何事も初めてだから、周りにもいろいろと気を使う。
「いいと、それでいいとよ・・」というありようは、私たちが、神様からいただいていることではないだろうか。その共同保育も来年の3月で休止となる。高速化する社会だから、ゆるいことやその場所が必要なのではと思う。
平良憲誠 主任牧師