平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2015年7月19日 無題

2015年08月08日 22時29分21秒 | Weblog
無題

実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし…十字架によって敵意を滅ぼされました。
エフェソの信徒への手紙 2章14~16節

 6月に、米国・南部のサウスキャロライナ州で、歴史的な黒人教会で9名が撃たれ、死亡しました。中で、議員も亡くなりました。私も南部で生まれ育ったので、興味深くその後の反応を見ています。私は、日本での生活の方が長くなったためでしょうか、不思議と、日本と米国南部文化との共通点に気付きました。
 例えば、①両方とも大きな戦争に負けた経験があります。南北戦争、そして第二次世界大戦です。それによって決定的な影響を受け、負けた側として、どのようにそのことを受け入れるか、向き合うか、乗り越えるのか、ずっと葛藤の中にあるのです。②負けたからこそ、プライドがあります。戦争の原因やあり方に対しては恥を持つべきですが、それと直面せずにプライドを絶対手放さないのです。③そのプライドに注目する右派が生まれてきました。長年経っても、今だ歴史を書き直そうとしている右派です。南部では、南北戦争敗戦の旗(南軍旗)を重んじ、奴隷制度の現実と切り離し、南部文化の象徴にしています。(旗ではなく、当然に自慢できる最高のピーチパイが象徴となるなら良いのですが。)
 自慢するもののシンボルはどうしても、軍事力や愛国主義につながりがちです。けれでも、圧迫され、苦しめられた人たちの気持ちは変わりません。70年経っても、150年以上経っても、です。
 南部も、日本国内も、「負けてよかった」という声があります。負けたことに納得していれば、弁護する必要がありません。「本当にすみませんでした」、と。
 キリストは私たちの平和です。キリストにより、過ちに対して赦しがあり、私たちは解放されました。誇るのは神の愛。絶対に忘れないのは、暴力の悪循環を止めるキリストの十字架。愛国主義よりもキリストに忠実になり、二つが一つになるようにお祈りします。


L.ハンキンス 師

最新の画像もっと見る