田口昭典先生を迎えての特別集会に
田口昭典先生は、私の拠点開拓伝道所時代、連盟の宣教部の主事をされていた。そういうこともあって、はじめの3、4年、私は田口先生には、随分とお世話になった。田口先生との出会いは、先生が神学校時代、福岡城西教会に出席神学生として来られたときだった。あれから、20年たち、その間も、何やかやとお世話になっている。
金沢に行かれてからは、国内宣教師として、金沢教会の出来事が、連盟の事柄になるようにといろいろな工夫と努力をなさり、教会の教勢もかなり伸びてきている。先生のモットーは、「できないと言わず、やってみよう」である。
これは私も同感だ。私も人から何か頼まれるとき、「やってみましょう」、と言うことにしている。責任を果たせないことも山ほどあって、ほんとうは、できません、と応えた方が誠実なのかもしれない。
しかし、おそらく田口先生も、神様が用いるのであれば、と考えられるのではないだろうか。先生は、事柄に良き物を見ようとされる、肯定的に見ようとされる、反対意見もまずは受け止めて、教会がさらに前へ、進んでいくことができるようにもっていかれる。
牧師として、先生から教えられることは多い。田口先生は、子どもが6人、私は5人。先生はヤマメを123匹も釣った。私は鱒を100匹。多くの点で良き先輩である。そして、いつもキリストにまっしぐらな先生だ。そこであなたの大切な一人に声をかけ、祈りに覚えて、特別集会に来ていただこう。
平良 師
田口昭典先生は、私の拠点開拓伝道所時代、連盟の宣教部の主事をされていた。そういうこともあって、はじめの3、4年、私は田口先生には、随分とお世話になった。田口先生との出会いは、先生が神学校時代、福岡城西教会に出席神学生として来られたときだった。あれから、20年たち、その間も、何やかやとお世話になっている。
金沢に行かれてからは、国内宣教師として、金沢教会の出来事が、連盟の事柄になるようにといろいろな工夫と努力をなさり、教会の教勢もかなり伸びてきている。先生のモットーは、「できないと言わず、やってみよう」である。
これは私も同感だ。私も人から何か頼まれるとき、「やってみましょう」、と言うことにしている。責任を果たせないことも山ほどあって、ほんとうは、できません、と応えた方が誠実なのかもしれない。
しかし、おそらく田口先生も、神様が用いるのであれば、と考えられるのではないだろうか。先生は、事柄に良き物を見ようとされる、肯定的に見ようとされる、反対意見もまずは受け止めて、教会がさらに前へ、進んでいくことができるようにもっていかれる。
牧師として、先生から教えられることは多い。田口先生は、子どもが6人、私は5人。先生はヤマメを123匹も釣った。私は鱒を100匹。多くの点で良き先輩である。そして、いつもキリストにまっしぐらな先生だ。そこであなたの大切な一人に声をかけ、祈りに覚えて、特別集会に来ていただこう。
平良 師