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彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

井伊家上屋敷と櫻の井

2007年11月04日 | 史跡
国宝彦根城築城400年祭と東京金亀会設立90年を記念して、10月13日に東京永田町の井伊家上屋敷跡地にある同屋敷で使われていた井戸“櫻の井”の修復除幕式が行われました。


井伊家上屋敷は現在の国会議事堂のすぐ前、憲政記念館辺りにあり、皇居(江戸城)の濠沿いに進むと13代藩主・井伊直弼が暗殺された桜田門がすぐにあります。


この井伊家上屋敷は、元々加藤清正の屋敷だったところで櫻の井も加藤清正が掘った物でした。
江戸城が築城された頃、江戸の町は湿地帯が多く点在していた丘や小山を削って湿地帯を埋め立てて平地としたのですが、この湿地は江戸湾に繋がっていた為に埋立地で井戸を掘っても塩水しか湧き出ず、清水が出る様にするためには深い井戸を掘らなければならず、加藤清正のような築城の名手であればこそ掘る事ができた井戸だったと想像されます。

こういった江戸の特徴から、水は遠くから引く水道が発達し“玉川上水”のような水道が出来上がりますし、水に塩分が含まれているために料理の味付けはそれを消すくらいに濃いものになるのです。
海沿いの料理の味付けが濃いのは決して偶然ではなく水の加減もあるんですよ。


そんななか、この櫻の井は清水を飲ませる事で有名で、井伊家上屋敷の表門西側にあったことから、この付近を通る通行人の喉を潤す井戸として愛用されました。
こうした通行人の為に三連の釣瓶が用意されていて、「類なき名水」として『江戸名水』の一つに挙げられ『江戸名所図会』にも描かれているのです。


残念な事に、今は井戸が元の場所から10mほど移転され下を道が通り水は枯れていますが、大井戸の外観はそのまま残っていますので東京見物の時にはぜひ訊ねて欲しい場所の一つです。

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