二年前に公開された『柘榴坂の仇討』
物語に登場する井伊直弼以外は全員架空の人物であり、桜田門外の変以外もフィクションですが桜田門外以降の彦根藩士の苦悩と夫婦愛を描く物語として、彦根市民にとって大切な作品となりました。
仇討自体はフィクションでも、品川駅から伸びる坂道は柘榴坂であり、物語の舞台でもあります。
映画自体、管理人もエキストラとして参加していたこともあり品川駅まで行ったからには彦根市民としても個人的にも思いれがあるこの場所によってみようと思いました。
品川駅の西口を降りると、正面に石碑があります


歴史上は新橋~横浜間が日本最初の鉄道の開通となっていますが、実は新橋~品川間は工事が遅れ先に品川~横浜が開通しました、ですので実際の開通よりも早くに品川から鉄道が始まったことを記念する石碑です。

この石碑の向こうに見える坂道が柘榴坂です。

北に薩摩藩下屋敷、南に久留米藩(有馬家)下屋敷という大きな敷地の屋敷に挟まれていて、柘榴の木があったことから柘榴坂と呼ばれたとの話があります。しかしこの柘榴の木がどこにありどうなったのかはよくわからないそうです。

無理やり井伊家と結びつけるなら、坂に直接接してはいませんがすぐ近くに井伊右京(与板藩藩井伊家)の屋敷があったとされていますが、物語には関係ないと思います。
何もない場所かもしれませんが、映画のクライマックスとなる雪中での殺陣を思い出すような場所でした。
物語に登場する井伊直弼以外は全員架空の人物であり、桜田門外の変以外もフィクションですが桜田門外以降の彦根藩士の苦悩と夫婦愛を描く物語として、彦根市民にとって大切な作品となりました。
仇討自体はフィクションでも、品川駅から伸びる坂道は柘榴坂であり、物語の舞台でもあります。
映画自体、管理人もエキストラとして参加していたこともあり品川駅まで行ったからには彦根市民としても個人的にも思いれがあるこの場所によってみようと思いました。
品川駅の西口を降りると、正面に石碑があります


歴史上は新橋~横浜間が日本最初の鉄道の開通となっていますが、実は新橋~品川間は工事が遅れ先に品川~横浜が開通しました、ですので実際の開通よりも早くに品川から鉄道が始まったことを記念する石碑です。

この石碑の向こうに見える坂道が柘榴坂です。

北に薩摩藩下屋敷、南に久留米藩(有馬家)下屋敷という大きな敷地の屋敷に挟まれていて、柘榴の木があったことから柘榴坂と呼ばれたとの話があります。しかしこの柘榴の木がどこにありどうなったのかはよくわからないそうです。

無理やり井伊家と結びつけるなら、坂に直接接してはいませんがすぐ近くに井伊右京(与板藩藩井伊家)の屋敷があったとされていますが、物語には関係ないと思います。
何もない場所かもしれませんが、映画のクライマックスとなる雪中での殺陣を思い出すような場所でした。