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彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

150年前:イギリス艦隊来航(2月19日)

2013年02月19日 | 何の日?
文久3年(1863)2月19日、生麦事件の賠償交渉のためにイギリス艦体が来航しました。

前年8月21日に薩摩藩国父島津久光の行列の前を乗馬したまま横切ったとして、横浜の生麦村でイギリス人が殺された事件に、イギリスは怒りをあらわにしました。
イギリス公使代理ジョン・ニールは幕府に対して10万ポンドの賠償を要求したのです。そして幕府から薩摩藩の支配を幕府が行っていないことを見抜き、薩摩藩に対しても犯人の引き渡し要求(これは事件直後から行っている要求)と2万5千ポンドの賠償を要求したのです。
そして幕府や薩摩藩に脅しをかけるために、横浜にイギリス・アメリカ・オランダ・フランスの四か国艦隊を入港させたのです。この最初であるイギリス艦隊が入港したのが2月19日でした。

このころ、将軍徳川家茂は上洛のために江戸を離れていて、老中格の小笠原長行が家茂の一行から離れ江戸に戻り日英での交渉が始まりますこの交渉は賠償の支払いをするか否かで何度も意見が変わり、最終的に5月9日に幕府からの支払いが行われることになるのですが、薩摩藩はこれを拒否したのです。
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