彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

6月1日、写真の日

2011年06月01日 | 何の日?
天保12年(1841)6月1日、蘭学者の上野俊之丞(としのじょう)が、日本人で最初の写真撮影を行ったとして、6月1日は写真の日になっています。
ですから今日(2011年6月1日)で、日本人の写真撮影は170年を迎えることになります。


最初に撮影されたのは、蘭癖大名とし有名な島津斉彬でした。

(この写真、ネット上に氾濫している物からいただきました)


俊之丞は、もともと長崎奉行所で時計などの細工を作成や修繕を行っていた御用時計師でした。また上野家は肖像画を手掛ける絵師も排出する家だったともいわれています(今回ネットを見ていて知りました)。
細工を得意とし、肖像画を手掛けるとなれば、カメラという文明最先端の道具に俊之丞が興味を持ったのは自然の流れだったのかもしれません。


フランスで発明されていたカメラに興味を持った俊之丞は、これを取り寄せたのです。
長崎奉行所でよほど信頼をされていたのでしょうね、そうでなければフランスからの輸入品が個人に手に入るなんて信じられないです。
とにもかくにも、カメラを手に入れ、蘭癖大名の島津斉彬はその興味から俊之丞に撮影させたのです。こののち、斉彬自身が写真に興味を持って、自らの手で居城を撮影したりもしています。
これによって、井伊直弼のライバルともいえる島津斉彬の姿が、現代にも残ることになったのですね。


ここまで書いて、水を差すようなことを自分自身で行うのも心苦しいのですが、近年の研究では斉彬の撮影はもう少し後、もしかしたら翌年だったのではないか?との説もありますし、そもそも日本人の手で写真が撮影されたこと自体、60年ほど前に亡くなった平賀源内が自分で作ったカメラで撮影したのが最初という話もあります。
天保12年6月1日の話は、俊之丞の次男である彦馬が記したことですが、彦馬が成人する前に俊之丞が亡くなっているので詳しいことが伝わっていない可能性もあるのです。

ちなみに、今登場した上野彦馬は、高杉晋作や坂本龍馬の写真など幕末の志士たちを多く撮影した日本人最初のカメラマンと言われています(龍馬の写真は弟子が撮影したとの話もありますが…)。
その流れから考えると、俊之丞から直接カメラの指導を受けたように思われがちですが、俊之丞は彦馬に何も教えてはおらず、彦馬自身が医学伝習所で化学を学び「フォトガラフィー」という言葉に興味を持ったことから、親の道を図らずも追った形になったと言われています。
コメント (1)
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