彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

9月28日、滋賀県誕生

2010年09月28日 | 何の日?
明治5年(1872)9月28日、大津県と長浜県が合併して滋賀県が誕生しました。

この時に誕生した滋賀県は、近江国と同じ地域であり、今の滋賀県とも同じ地域になります。

では滋賀県がそのまま同じ形だったのかと言えばそうではありません。実は明治9年(1876)8月21日から明治14年(1881)2月7日までは、福井県嶺南(旧の若狭国)は滋賀県に組み込まれていました。これは以前にも書きましたが、今は海無し県に含まれる滋賀県も4年半だけは日本海に面する海がある県だったのです。

さて、滋賀県は県庁所在地で大津と彦根が争った近年の例も含めて、昔から北と南に分かれた感がある地域です。それは戦国時代の京極氏と六角氏の戦いを発端とする説や、もっと以前から風土の違いが生むモノだという説など様々ですが、そう言う話からは広い県土を想像される方もおられます。

しかし、滋賀県は
・1/6が琵琶湖
・半分が森林
で人が住んでいる場所ではありません。

つまり滋賀県民は県土の1/3の地域の中にひしめき合っている事になります。
滋賀県の広さは全都道府県の中では狭い方から数えて10番目になり、一時期日本で一番狭いと言われた大阪府(今は2番目)よりも人が住める地域は狭いとの統計が出ています。

実は滋賀県って狭い県なのです。
でも琵琶湖を一周すると東京から浜松まで行くのと同じ距離だという話もあり、一方では広く感じている方もおられる不思議な県なんですよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする