彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

彦根の盲学校の歴史

2008年09月14日 | 史跡
2008年は盲導犬が誕生して50年になるという事で、9月13日に日本最初の盲導犬チャンピィのドラマが放送されていました。

これに便乗して今回は彦根での盲学校の話を紹介します。


彦根での盲学校の活動は早く、明治41年(1908)に来彦された山本清一郎さんが3月23日に“彦根訓盲院”を設立したことに始まります(写真)
つまり、彦根の盲人教育の歴史は2008年で100年を迎えているのです。

昭和9年(1934)年には今の市立図書館の場所に移転し県の施設となり“滋賀県立盲学校”と改名、昭和12年にはヘレン・ケラーが立ち寄ったのでした。


昭和32年チャンピィが盲導犬第一号として訓練されるのですが、この訓練を塩屋賢一さん(アイメイト協会創設者)依頼したのが河相洌という方でした。
昭和31年に河相さんは滋賀県立彦根盲学校の教諭として彦根に赴任されます。
チャンピィは昭和34年から河相さんと共に彦根城の麓にある彦根盲学校に通い、護国神社で一日一回の休息を楽しんでいたのです。
このことから彦根は、盲導犬第一号を育てた町ともなっているのです。

昭和35年に河相さんが浜松に転任となった為にチャンピィも彦根を去りました。
その後のチャンピイはドラマにも描かれた通り、通常なら7~8年しかない盲導犬の活躍期間を大幅に越えた10年現役という働きを見せ、昭和42年(1967)8月22日最後は野良犬に噛まれてその命を失ったのです。
しかしチャンピィは日本に盲導犬が活躍できる地盤を作り、河相さんはこの後にローザ、セリッサ、ロイドと盲導犬を家族として大切にしておられるとか。


さて彦根の盲学校の歴史はこのチャンピィが亡くなった年の3月26日に現在の位置(彦根市西今町)に移転して、現在もその歴史を続けているのです。