彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

東京2020オリンピック 聖火リレー滋賀県一日目

2021年05月27日 | イベント

東京オリンピックは誘致段階から反対意見を持っています。

それでも開催が決まり、その頃体調が悪かった僕は「東京オリンピックは観れないと思う」と嘯いていました。


体調は良くなり、なんだかんだで世間がオリンピックムードになっていることにはちょっと距離を置いてみていましたが「積極的に応援しないけど、やるなら好きにすれば」との意見を持っていたのですが、コロナ禍においての開催には反対しています。


そんな東京オリンピックの聖火リレーだから反対なのか?と言えば、そうでもなく市民レベルの思い出作りには楽しいイベントだと思っていました。

コロナ拡大までは…



2020年のオリンピックはコロナ禍で一年延期。

たった一年で解決するのか疑問に感じていましたが、延期した時よりも酷い状態になっています。

そんな中で強行された聖火リレーを応援はできません。ただ地域によっては公道開催を辞めて一定の会場を周回するものになっていました。


僕自身、聖火リレーを反対している訳ではなく公道開催で県民にコロナ拡大危機の可能性を与えるより、皇子山球場や希望ヶ丘などでの周回開催の方が安全だと思っていました。


でも、今の三日月滋賀県知事は民主党派閥だった筈が自民党寄りの政策を示す人物であり県民の健康を度外視しても公道で聖火リレーを行う選択をしたのです。



そして1日目(5/27)、朝から土砂降りの雨。

それでも中止にはならず、警備の警察官やボランティアの皆さんは冷たい雨に打たれながらコースに立たれていました。


僕が向かったのは琵琶湖大橋。



自転車で聖火リレーに参加されるという情報と、琵琶湖の上を聖火が通過するのは面白いかも?という理由。

琵琶湖大橋のピーク部分にはさすがに人も少なくて密の心配はありませんでした。


悪名高いスポンサーの車は静かに過ぎて行き。







自転車での聖火リレーはあっという間に過ぎて行きました。


それならばと、近江八幡市に移動。

日牟礼神社からスタートするランナーを鳥居の下で待ちました。




観覧者は密になりつつありました。


ここはスポンサー先導車より後方だったために何もわかりませんでしたが、日牟礼神社のランナーを見送ったあとでゴール付近の市役所に移動すると大音量でスポンサー車が通り記念品を配って密を故意に作っていました。





それでも雨が降ったり止んだりでまだ人は少なかったのかな?


近江八幡市最後のランナーは笑顔でゴールしてくれました。





新作狂言『光秀』

2021年04月22日 | イベント

多賀大社古例大祭のイベントの一つとして能舞台で披露された新作狂言『光秀』を観てきました。



まずは、面を着けた光秀の霊がご挨拶。



狂言の世界では背面の松の下にいる人物は見えない存在とのことで光秀はその場に移動。

続いて、光秀の子孫が当時し周囲から光秀近江生誕説を訊かれるから近江に調べに行くとのこと。

多賀大社で光秀発行の禁制を観て、


禁制(資料)

佐目で見津氏から話を聞く。

そして、子孫が悟ったことに光秀が喜ぶ。



との話でした。


大河ドラマをきっかけに注目された光秀近江出身説をひとつの文化として残すことは、民間伝承を伝える形として日本古来の方法だと思います。

今後、佐目でどう残って行くのか注目です。


長浜曳山祭見学

2021年04月14日 | イベント

コロナの影響で昨年は中止された長浜曳山祭。


今年は、やや形を変え縮小して行われるとのことで、14日(本祭の前日)に長浜市街地を覗いてきました。

本来なら、奉納歌舞伎が行われるはずの長浜八幡宮では子ども歌舞伎を行わず、バラバラに3か所の山車が出てその場で子ども歌舞伎が演じられます。

ただ、曳山祭の御朱印もありますのでお詣りに行くのは良いと思います。



時間の都合で、長浜駅に一番近かった「春日山」の『義経千本桜』

















大通寺前の諫皷山の『新竹取物語』


















を見学しました。

他には青海山も出ています。







個人的には、2018年の『長浜ものがたり大賞』で『繋ぐ者』という天保8年の曳山祭を舞台にした小説を書いたこともありますので子ども歌舞伎を演じる役者たちが凄く気になりながら見学しました。

特に『新竹取物語』を観ている時は風も冷たく、軽く雨が降りましたが、それでも真剣に演じている役者たち。


長浜の大切な伝統を繋ぎ続けて欲しいです。


『CAPCOM vs 手塚治虫』

2021年02月24日 | イベント
2月23日に宝塚市の手塚治虫記念館に『CAPCOM vs 手塚治虫』を観に行ってきました。



この日が最終日。
ストリートファイターや戦国BASARA、逆転裁判、モンスターハンターなど様々なヒット作を世に出したCAPCOMのキャラと、ブラックジャック、どろろ、ジャングル大帝、火の鳥などの戦後漫画界を先駆けた手塚治虫の作品をコラボさせた異色の展示でした。

40代半ばの僕と20代後半の彼女では、懐かしく感じるゲームが違うのは面白くもありましたが…

展示は終わりましたが、終了後に図録が通販されるそうです。
それほど話題になった展示だったのですね。

ちなみに、手塚治虫記念館に行くのは初めてでしたが僕にとって何よりも大好きな火の鳥のモニュメントがあったのは興奮しました。








『立体切絵 キリッタイの世界』

2021年01月07日 | イベント
大阪府立中央図書館に、いつもお世話になっている大東 守さんの作品展『立体切絵 キリッタイの世界』を観に行ってきました。

久しぶりに作品を拝見できて、お会いすることもでき充実しました。











一枚の紙を切抜き、そこから躍動感ある立体の芸術として様々な作品を作られる神業に魅了されてから何度かイベントにもお邪魔させていただいています。
作品も素敵ですし、その作品ができるまでの過程を拝見できるときも感激します。

幸運を招く登り龍も撮影してきました。
ぜひ、生で見て欲しいです。




非接触スタンプラリーin福知山

2020年12月10日 | イベント
福知山に行ってきました。

12月1日から非接触スタンプラリーを行なっておられます。
観光案内所でネックストラップに入った端末を借りて、スタンプポイントに行くと自動的に端末にデータが記録されてポイントになります。


範囲もしっかり設定されていて、お店などは店舗に入った時という狭い範囲。
公共施設は広い範囲から、建物の指定のエリア(有料エリア等)も設定されているようです。

また、スタンプポイントには加点が決められていて、簡単に行ける場所は1点や有料エリアや遠い場所は3点、4点、5点などが計算されるようです。
ネックストラップで見えるところにかけているため、理解されている施設やお店の方に次のおすすめポイントを聞けたりもしますし、観光で来ていることもわかっていただけます。

加点が、ポイントに行けば光が出ることでわかるだけなので、その場で確認しなかったときに不安だったり、集めたポイントが何点なのかを最後に教えてもらうまで自信が持てなかったりしますが、スタンプを探し辛い時がある苦労や押し忘れを後で気がつく失敗したなどはなく、尚且つコロナ禍における接触のリスクも最小限に抑えて行ける良さはありました。

『本陣職はつらいよ』

2020年11月12日 | イベント
草津宿本陣で行われている『本陣宿はつらいよ』の展示を観てきました。

これは、江戸時代後期の天保10年(1839)4月7日に起こった佐土原藩主島津忠徹急死事件に巻き込まれた草津宿本陣職・田中七左衛門貞文の記録と佐土原藩の記録から事件を読み解く内容でした。

江戸幕府は初期の頃から藩主死後に養子を決めて藩を継続させる末期養子を禁止していて江戸前期にはこの条項に触れて取り潰しになる藩も多々ありましたが、中期以降は藩が取り潰されることで浪人が増えることは治安悪化にも繋がるため、有力な大名や幕閣の協力を得る事で取り潰されないようにすることができました。
幕府も届出さえしっかり行われていれば(幕府が責任を負わないでよいのであれば)見て見ぬフリをしていたようです。
ふっと思い付くだけでも
・桜田門外の変の後の井伊家
・間違えて当主が刺殺された細川家
・南部利用の入れ替え
などがありますので、手続きさえ踏めば良かったのかもしれません。
この辺りは、今でも法律の不備があっても法を遵守する資料さえあれば(行政側が責任を負わない形ができていれば)、大概のことが認可される行政業務と何も変わっていないことがわかり、展示を見ている途中で笑いそうになってしまいました。

しかし、当事者は大変だったようで、藩主忠徹があっという間に亡くなってから、当時は偶々天候不順の年だったことを最大限に利用して参勤交代の到着が遅れる届出を幕府に提出。
草津を治める膳所藩にも協力を仰ぎ、医者を派遣してもらい薬の調合もして忠徹が存命しているように見せながらも棺桶を作る手配も行うなど、本陣、参勤交代に加わっている佐土原藩士、江戸藩邸、膳所藩、佐土原藩の本藩である薩摩藩、そして幕閣関係者も含んだ現代風に表現するなら「佐土原藩主急死事件対策プロジェクトチーム」が一気に仕事を仕上げた感じでした。

佐土原藩は、無事に次の代に引き継がれ、それまで別の場所を定宿としていたものを田中七左衛門の本陣を宿に指定、そして年に米10俵を佐土原藩から田中七左衛門家に贈ることを約束するなどの感謝の意を示したのですが、その感謝も段々薄れて行き、幕末になると財政難になった佐土原藩が本陣に全く非がない小さな無礼を過大解釈して米を贈るのを止むようとするなど、その後のエピソードまで紹介されていて面白かったです。

できれば、これの図録が欲しかったですが作っておられないとのことで残念ではありました。

でも、草津宿本陣の建物と展示が一緒に楽しめるのは有意義でした。














平石久平次二百五十回大遠忌

2020年10月25日 | イベント
長松院で行われた、平石久平次二百五十回大遠忌に参列してきました。


平石久平次時光は彦根藩士として様々な役職に就き、奉行クラスの仕事をこなした人物ですが、同時に天文学者でもあり発明家でもありました。
その発明の一つとして『新制陸舟車(陸舟奔車)があります。新制と付くようにもともとは武蔵国児玉郡(埼玉県本庄市)で作られた陸船車の噂を聞いて久平次が作った物でした。
しかし、陸船車のことは噂で聞くだけでしたので似て異なる物が完成したのです。それが三輪でハンドルがあり足でペダルを漕ぐことで動力を得る自転車の発明に繋がりました。
享保17年(1732)のことです。

欧州で自転車が発明されるのは1817年ですので、久平次は世界で最初の自転車を発明した人物となります。

設計図などを記した平石久平次の記録は、久平次の二十回忌の時に長松院に鉄塔を建て保管されましたが、大正時代に開かれて東京に運ばれほとんどは関東大震災で焼失します。しかし陸舟奔車の史料は彦根に残されていて、今は彦根市立図書館が保管しています。

令和2年の久平次250回忌に(これは後でわかったみたいです)、無縁仏になっていた墓石の本堂前移転が行われ新たな石板も設置されました。




以前に再現された陸舟奔車を彦根市立図書館から借りて12月1日まで公開が行われています。








そして、10月25日に二百五十回忌の法要が行われました。








長松院は井伊直政公が荼毘に附された地に建立されたお寺であるため、藩士である久平次がメインになる法要はご本人にとってもビックリするイベントだったかもしれませんが、近江はビワイチで自転車とも縁が深い場所ですから脈々と繋がってきたものがあったのかもしれませんね。

以前は弁天堂だった場所を「可休庵」と命名し、平石久平次資料館としてビワイチをされる方の休憩所としても提供されるとのことですので、新たなビワイチの聖地となるかもしれません。


ちなみに平石家文書を入れていた鉄塔は戦時中に供出され今は土台の石積みだけが残っています。




井伊直虎命日法要

2020年08月26日 | イベント
今年も8月26日に、井伊直虎さんの命日法要が井伊谷龍潭寺で行われました。

2016年に始まって以来5回目になります。
コロナの影響で、関係者を含めた最小限の人数で規模も例年より縮小して行われましたが直虎さんを敬い供養する気持ちに変わりはありません。

本堂での読経と参加者の焼香


墓所でも読経と焼香


がありました。
今年は井伊家の御霊屋を改築されて、歴代の御位牌も修繕されたので、そちらにも手を合わせました。

額は井伊直愛元彦根市長の字です。

井伊家の最も重要な三人の木像と御位牌


来年も変わらずお参りに行きたいと思っています。

しまさこにゃん誕生祭

2020年02月23日 | イベント
しまさこにゃん誕生祭に少しだけ参加してきました。

コロナウイルスの影響で開催も議論されたみたいでしたが、無事行われましたが…
キャラたちもマスク着用。









いろんな意味でツッコミ所満載(笑)

会場となった千代神社さんでは、ゆるキャラ御朱印がありました。

今日だけの限定御朱印もありましたよ。