晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(93) 大唐内地名考-8 2/27

2015-02-27 | 大唐内のこと

2015.2.27(金)曇り、雪
 
 大唐内が河内地名であると断定したのだが、河内が唐内に転訛した例は他に見られない。どうしても涸地の意味が気にかかる。涸が唐に転訛している例は、唐沢、唐古、唐木田など沢山ある。「地名の語源」(鏡味完二)をみていると、ガラ(1)小石、土と石の混じったもの。〔唐内(ガラチ)〕とある。大唐内には丸山をはじめとする周辺の山々からの崩壊土石の堆積があることは間違いないだろう。丸山の丹波側は風化が進み強烈なガレになっており、丸山の尾根から大唐内谷に降りる斜面もガレ場がいくつかあった。砂防堰堤から上流は完全に岩石土砂に埋まっており、伝説の鬼の洗濯岩も埋没してしまった。しかしこれは堰堤がつくられたことと、28水はじめ強烈な水害によるものと考えられる。
 仮に砂防堰堤などの対策がとられていないとしたら、あの膨大な土砂は大唐内全体に堆積すると考えられる。つまり人々が住み着いて、豊かな耕作地が広がった村を見たら、これは河内集落だなあと思うわけだけど、それは最初に入植した人々から何千年にもわたって住みやすく、豊かな耕作地をつくるために汗してこられた賜であろう。だから大唐内という地名が出来たときには一面小石と岩石の野原であったかもしれない。
 このことは地名の語源を探るとき、現在の姿を見るだけでは不充分なわけで地名が発生しただろう過去の様子も想像しなければならない。最近の採石地などは別として山の形などは太古からそう変わるものではないが、川の流れや水流に伴う土砂の堆積や浸食などは思ったより変化が激しいのではないかと思う。そう考えると地名の語源は幾つかの説が並記されるべきということになる。
 大唐内の風景を漫然と眺めていると、豊かな耕作地に見えるのだが、実際の土壌をつぶさに見たことは無い。肥えた土の中に多くの礫が混ざってないだろうか、すぐに見たくなって大唐内谷に入る。前回来たときには、府道の分岐のところからしっかり雪が積もっていて入れなかった。しかし今日は脇には雪が残っているものの道路には皆無なので入ってみる。

大唐内谷入ってすぐ、狭隘部といえども結構広い。
ところが集落に入っていくと段々雪が多くなる。道の脇は当然、畑も空き地も雪が積もって土壌の様子を見るどころではない。最奥の市営住宅のところからは道路上にも雪が積もっており通行もままならない。土壌の観察は本格的な春が来てからにすることにして、雪の大唐内を後にする。

薬師堂のあたりもこのとおり、広畑は雪の下

【今日のじょん】久々におおいの芝生広場にゆく。ところが凄い風でじょんの垂れ耳も立っている。じょんは風が苦手だが、風そのものでなく風で揺れる草や木が怖いみたい。
向こうは大島。

 

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