2015.2.9(月)雪 穴虫ファイル-5 草津市馬場町穴虫
多くの穴虫が山間地、あるいは山間地から平地に出る地点にあるのだが、前回の河原尻穴虫とここは平地に存在する。山間の三方を山に囲まれた狭隘な地形という地形説はどうも怪しくなる。ここの穴虫は探すのに苦労した。市役所の字配図は既に新住居表示になっていて、地元で聞くしか無い。願信寺を訪ねて地元の年配の方を紹介してもらう。そして作業中の奥村さんに穴虫の位置を聞いた。予想していたのは東側の山間部、あるいは北部の墓地周辺なので意外な場所に当惑する。穴虫地名が古代に由来するとばかり思っていたので、馬場町に古代遺跡が存在せず、穴虫遺跡が中世のものと知って落胆した。
しかし、穴虫地名が中世以降の地名ではないか、火葬に関係する地名ではないかと思いついて、思い起こしたのが願信寺である。炎天下フラフラになりながら何のあてもなくたどり着いたのが願信寺である。ご住職は不在で、穴虫がどこにあるのかは解らなかったが、檀家さんの奥村さんを紹介して下さった。
願信寺、浄土真宗大谷派、その時は知らなかった。
その奥村さんの家は解らなかったのだが、田圃で道を聞いたのが当人だった。こんな偶然があるだろうか。穴虫の現場からは何も解らなかったが、後日穴虫火葬場説を思い立ったとき、願信寺の宗派が何であったか調べて納得した。浄土真宗だったのだ。琵琶湖周辺が火葬地域だというのは書物で知っていたが、それは浄土真宗の盛んな地域でもあると言うことだ。
馬場町のお墓、おそらくここ一箇所かと思うのだが。
穴虫火葬場説の出発点はこの馬場町穴虫でもある。もっと偶然は永年の友人山崎君の父方のお墓があの馬場町のお墓だということだ。
しかしもしかつて火葬が行われていたとして、火葬場はお墓の近くが順当ではないだろうか。願信寺、穴虫、お墓は東西北の三角形の頂点という位置になっている。
穴虫遺跡もそうだ、中世遺跡というので気にもしなかったのだが、穴虫が中世以降の地名だと考えるとこの遺跡が大きくクローズアップされる。それが何処にあったのか、堤防ならそれはいつできたのか、堤防は自然のものなのか、遺物は表面から出てきたのか地中から出てきたのか、いろんなことが想像される。穴虫に中世以降の火葬場遺跡があったならこれは大変。まさに楽しみの多いところなのである。
穴虫、草津川沿いの薮地
No.5 草津市馬場町穴虫
①住所(旧住所)
草津市馬場町穴虫
②大字小字、川、谷、橋、池等地名
小字、草津川
③地形
草津川右岸の堤防上、この堤防は人為的なものと思われるので本来は平地だろうか。堤防がいつの時代にどのようにして出来たか不明。
④近隣の地名
墓尻、墓前、菖蒲谷、馬場
穴虫の小分け地名は穴虫、植カケ田、馬場
⑤寺院、神社等
願信寺(浄土真宗大谷派)馬場町で唯一の寺院
⑥金属関連、国分寺国府関連、宗教関連、その他
周囲は製鉄遺跡多いが、この地には無さそうである。
⑦その他特記事項
穴虫遺跡は土師器、須恵器、中世陶器の散布地とある。
古代遺跡が存在しない。
⑧訪問記録
第一回 2014.5.30 市役所に字配図無く地元で聞いて位置を知る。その前に立ち寄ったのが願信寺で、ここでは穴虫の位置は解らなかった。穴虫の位置としては特異な位置である。無理矢理穴虫地形をこじつけたが無理。
次回訪問課題:穴虫遺跡の位置、状況等調べること。奥村さん、願信寺において火葬の歴史がないか聞くこと。寺と墓と穴虫の位置関係は何を表すか?
穴虫に遺物はないかなど
【今日のじょん】
おい、なに向こう向いてんねん
おとーに取られんように食べてんや
取るか、そんなもん
てなわけでよほど気に入ったか、やった途端に向こう向いて食べている。かぼちゃジャーキー