晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の地名随想・続編 2/11

2015-02-11 | 上林地名考

2015.2.11(水・祝)曇り

 先日「上林家の先人たち」ー丹波から宇治へという冊子が発行されたというニュースが市民新聞に載っていた。機会があれば読んでみたいと思っているのだが、上林春松本店の綾鷹の人気と相まって上林家に興味を持たれる人も多いだろうと察する。さて上林家といえば古城山の上林城址を思い浮かべるが、歴史通の方なら市志(いちし)の上林殿塚、茶園をご存じだろう。上林家の塚がなぜ山深い市志にあるのか不思議に思ったのだが、「領地の堺、勢力範囲を示すためのものだろう」と川端先生の言である。また茶園というのは市志の小字で市志に入って最初の家がある当たり、右岸である。上林氏が宇治に移住し、幕府御用茶師となり茶業で成功したのも上林における茶の栽培、製茶技術の習得があったものだろうとされている。古文書にも井根の大半が茶畑であった様子も出ており、上林での茶の栽培が相当盛んであったようだ。


 府立高校の校長も務められた天野主先生の著書に近隣4市1町の昭和45年、50年の経営耕地面積が載っている。例えば昭和45年の茶園では綾部市59㏊、福知山市17㏊、大江町6㏊、舞鶴市25㏊、宮津市0㏊となっている。このデータで中世、近世の茶栽培の様子を計り知ることは出来ないが、古文書などで見る限り盛んであったと考えられる。そういう意味で市志の茶園も上林氏にちなんだ茶園があったのだろうという説が多く見られ、定着してきたようだ。
 上林氏と上林殿塚、茶園という地名など将にロマンを感じさせる取り合わせだが、わたしはこの茶園という地名に疑問を感じている。詳しく調査しているわけではないので単なる思いつきのようなものであるが、地名を調べるために連日各地の小字地名を眺めていると、チャエンという小字がいくつも出てくるのだ。しかも茶エン、茶円、茶縁なんてのがある。試しに昭和45年データで茶園がゼロという宮津市で茶地名を拾ってみよう。茶エン×2、茶園、茶ノ木×3、茶堂下、茶ヤヶ鼻、茶畑、茶屋谷、御茶ヶ鼻、シキ浜茶水、茶ノ下、茶山、茶場、中茶ヤ、中ノ茶ヤと多彩である。茶ノ下、御茶ヶ鼻、茶ヤヶ鼻、茶ノ木などを見ると茶というのがなにか地形を表すように思える。
 さていたずらに、茶所宇治の小字地名を調べると茶の付く地名は1件も見当たらない。これはどういうことだろう。
 
市志の茶園は川の蛇行する内側、尾根末端の小さな平地という地形である。山間地で日照時間は短いが南向きで日当たりはいいところである。お茶の栽培にどのような地が適しているのか、市志の茶園が果たしてお茶栽培に適しているのか、現地にそのような言い伝えが残っているのか、お茶の株が残っているとか栽培の跡があるのかなど色々調べないと地名については語れないと思うのだが、今までに見た諸先輩方の文書にはそのような形跡が見られない。
 と言ってチャにお茶以外の意味が見つからないのも現実である。
 穴虫考の目処がついたら茶園について調べてみたいと思うのだが、当分先になりそうである。それよりも他のことを調べている際に何かヒントが出てくるかもしれない。

【作業日誌 2/11】店先バリアフリー

【今日のじょん】夕べも鹿が大暴れしたみたいだ。じょんは吠えることが無かったんだが、雪のために足音が聞こえなかったんだろうか。大体の通路が確認出来たので、いずれネットを張ることにする。

ネット張り候補地


 

コメント
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