晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(92) 大唐内地名考-7 2/26

2015-02-26 | 大唐内のこと

2015.2.26(木)曇り

 もう少し範囲を拡げて綾部市の河内地名を探す。ざっと目を通すだけなので果たして河内地名なのか解らないのだが、一応挙げてみよう。
名小路(延町)、古路ヶ谷(高津町)、後路(多田町)、荒神段(渕垣町)中小路、荒神下(小西町)、荒神ガナル(内久井町)小路ヶ迫(中筋町)糀ヶ鼻、麹屋谷(七百石町)などと見つかるのだが、肝心の河内、川内などという地名は一向に見つからない。その上上記の地名の中で実際に河内地名なのはどれかというと実に心許ない。例えば荒神地名は他にもいくつでもあるのだが、荒神そのものを表すのか河内(コーチ)地名を表すのか判断がつかない。渕垣町の荒神段には神社のマークがあり、小西町の荒神下も荒神さんの祠がありそうだ。つまり現地でこれらのことを確認しないと何とも言えないのが荒神地名の特色だ。内久井町の荒神ガナルなどは荒神さんがなければ河内を表すものと思っていい地形である。小路、糀地名は荒神地名よりも河内地名に近いという感じがする。しかし極端な河内地形とは言えないので、断定するには無理がある。
 ここでどうしても取り上げておかなければならない地名が、カイチ地名である。この地方のカイチについては「丹波の話」(磯貝勇著)に詳しい。天田郡川合村のカイチ、天田郡菟原村下のカイチ、何鹿郡豊里村鍛冶屋のカイチ、豊里村栗のカイチ、船井郡瑞穂町質美下村のカイチなどについて詳細に書かれている。川合村の上地カイチはわたしの生まれたところで、上地(かみじ)というのは小字ではなく多くの小字を含んだカイチと理解するべきなのだろう。

上地カイチの一画、草深いところデス。

生家の小字はスゲという、この次の停留所が上地。
上川合には区長がいて、上地カイチには総代がいたようである。道造りや葬儀の場合の単位はこのカイチであった。おひまちや山の神などの行事もカイチが単位で、子どもの水泳場所もカイチ毎であったようだ。磯貝氏は、「上地カイチは構成メンバーの大部分が一つの株からなっている云々」と書かれているが、カイチはほとんどが小原姓だったが、株は二つに分かれていたように思う。
 このカイチということばはこの本を読むまで気がつかなかったのだが、そういえば母が時々カイチって言ってたなあと思うくらいである。このカイチと河内が元々は同じところから発しているという説があるようなのだが、果たしてどうなのだろう。少し考えてみたいと思う。つづく

【今日のじょん】念道のポストが撤去されて二ヶ月近くになる。1月の末頃に郵便局に問い合わせたら、「支柱が腐食していまして、取り替えるよう準備しています」という返事だった。そのうち出来るだろうと思っていたらいつまでたってもそのままだ。
 実は会計課にいるときポストの管理をしたことがある。一定期間に点検をし、汚れているものは掃除をし、文字が不鮮明なものは書き換え、一定期間にすべてを塗り替えていた。だから腐食して倒れるおそれなどあるはずないし、交通事故などで壊れた場合、ポストの在庫はいつでもあったし、工事は業者発注で数日あれば更改できていた。時代が変わっているのも解るけど、怠慢としか思えない。
 じょんはカンケー無いかって?なんべん手紙もって行っては帰ってきたことか、、、

 
 

 

 

 

コメント
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