晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(87) 大唐内地名考-3 2/21

2015-02-21 | 大唐内のこと

2015.2.21(土)晴れ

 大唐内の唐が中国や朝鮮、海外の国や渡来人を表すものでないとしたら、一体何を表すのだろう。最も一般的に考えられるのは、唐=涸で砂利や岩石の堆積のため水流が伏流となり、涸れた土地を表すものである。穂高の涸沢(からさわ)などその最たるもので、唐沢岳なども唐沢が涸れた沢なのだろう。「地名の語源」をみると、カラ (3)「枯れる」「干上がった」。(唐沢、空沢、唐戸、唐風呂、唐川、辛川、涸川、唐州、香良州、唐木田)という風に多くの地名が載せられている。
 わたしが最も信頼している地名に関する書物で「とちぎの地名を探る」塙静夫著には、29 カラ(唐)は「涸・乾」地名、と端的に述べ、那須町の唐木田(からきだ)という地名を分析している。この地も例によって渡来人の居住した地域という説が存在する。しかし塙氏は渡来人説は根拠の薄いものとして、韓来た説を否定し、「カラ(涸・乾)キハ(際)・ダ(接尾語)」と解している。つまり水気の少ない山丘の端部のところという意味である。地図や航空写真で見ると、背部の山は浅く、奈良川から離れた段丘状の山裾かと思われる。おそらく水利が悪く耕作が困難な土地なのだろう。ただし、高山の唐沢、涸沢のように岩や石がごろごろして伏流水となり、まるで水の流れがないというものではなく、山が浅くて段丘状で耕作としての水を得るのが困難というところが多い。大字の芦野(あしの)も芦が生えていたのでは無く、悪し野の意味では無かろうか。その他栃木県の唐地名を15カ所紹介されているが、栃木県は唐地名が多いところだそうだ。
 綾部や上林で唐地名が無いものかと考えてみたのだが、どうも少ないようだ。綾部から大江に抜ける府道9号線と493号線の交わるあたりに枯木(からき)という道標があったのを憶えている。地図で見ると両府道に挟まれたあたりに枯木坪という地名が見える。坪というのは小さな集落の単位であるので、枯木というのが地名なのだが、やはりこれは前記の唐木田に共通する意味合いがあるのだろう。周囲の谷にはほとんど溜池が設置されている。通常の流れだけでは農業用水として足りないからだろう。
 上林の武吉町には唐戸渕という小字がある。上林川が大きく湾曲するところの内側にあるのだが、これは涸、乾の意味ではないような気がするので後述することにする。
 さて本題の大唐内だが、丸山の尾根から大唐内谷に降りたとき、谷はゴーロ(石や岩が堆積しているところ)となり、一瞬大唐内は大涸地の意味かなと思った。ところが下っていくと大きな砂防堰堤が出てきて、そこから先は水の流れもしっかりある。伝説の鬼の洗濯場という鍋滝があったというのは事実で、あのゴーロの下に埋まってるらしい。
 生守山(丸山)の丹波側は風化崩壊が進み、多くの岩石が流れ出ていると考えられるが(生守山北のコルの小川はどうやら大唐内谷に流れているようである。)大唐内が涸・乾を由来とする地名とは考えにくい。大唐内は最奥の地ではあるが、山は深く、高く、降雪量降雨量も多く、常時水不足に悩まされる地では無いのではないか。
では大唐内の地名由来は一体何だろう、思いをめぐらしているところに一つのヒントが現れた。つづく

大唐内は豊かな土地だと思うのだが。

【作業日誌 2/21】店先バリアフリー、床張り、塗装

【今日のじょん】昨晩も鹿がやってきた。芝生広場にくっきり足跡があり、紅葉のところに大量の鹿糞を残している。侵入径路もわかり、ネットもあるんだけど設置する時間が無い。イライラのつのるばかりだ。



  

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