或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

6区 ボザール通り

2009-07-22 06:14:08 | 830 パリ紀行
7区のリール通りにあるラカンのアパートの後に訪ねたのが、6区のボザール通り(Rue des Beaux-Arts)の13番地にあるホテル「ロテル(L'hotel)」。区は違うけど場所的には近くて、マラケ河岸(Quai Malaquais).を東方向に歩いて数分程度。パリで最古の鉄橋であるポン・デ・ザール(Pont des arts)[芸術橋]の手前を右折して通りに入っていく。このホテルは作家オスカー・ワイルド(Oscar Wild)の生前最後の宿として有名。ペール・ラシェーズ墓地の記事で彼を紹介したけど、その続編ってところ。

1854年アイルランド生まれの彼は、英国で「サロメ」等の劇作家として名声を得るが、その絶頂期の1895年に同性愛がきっかけで警察に逮捕され、それがきっかけで没落し破産。その後は追われて逃げるようにパリに移り住むも過去のような作品は残せなかった。安ホテルを転々とし、ついには前に記事にした自分が宿泊したホテル「Hotel Louvre Marsollier Opera」へ。

しかし宿賃の滞納から締め出される。その時に救いの手を差し伸べたのが「オテル・ダルザス(Hotel d'Alsace)」の主人で、このホテルが現在の「ロテル」。しかし1900年11月には大脳髄膜炎により息を引き取ってしまう。なんかねえ、こういうタイプの人って哀れな末路が多すぎ。ホテルの前まで行くと、彼ゆかりの上の写真のプレートを発見。高級なのは意外だった。なんと4つ星。なるほどね、ある時期に大改装をしたらしいけど。オスカーゆかりの部屋が今でも残されているらしい。

彼の作品では「ドリアン・グレイの肖像」(1890年)が好きだなあ。耽美主義の極み。その妖しい美学には読む度に惑わされてしまう。そうそう、ラカンじゃないけど、彼にも名言がたくさんあって。男と女がらみのものでは、「男はつねに女の初恋の人になろうとする、女は男の最後のロマンスになろうとする」、「男は人生を早く知りすぎるし、女はおそく知りすぎる」、「男は退屈から結婚する、女はもの好きから結婚する、そして双方とも失望する」、なんて感じ。究極のニヒリズムを感じる。

死に先立つ前に自分の死を予言して、「私は、この古い壁紙とともに死と闘っている。私たちのうちどちらかが行かねばならない」、という言葉を残したらしいけど、いかにもオスカーらしい。最後の最後まで彼らしさを失わなかったということか。

ロテル 玄関マラケ河岸
ポン・デ・ザールボザール通り