最初の記事を書いた後、昔のことをかなり忘れていたので、彼のアルバムを年代順に整理してみました。なんか評論家みたいでちょっといやでしたけど。(笑)
それで目にとまったのが、ターニングポイントとなる3枚のアルバムと、1970、1980、1990という3つの年代です。
①1969年 「ハイノロジー」(Hi-Nology)
表面的な華やかさを否定するように、1970年代は主流派のジャズを追求。
②1979年 「シティ・コネクション」(City Connection)
再び全国区に登場。1980年代は当時流行したフュージョンにも柔軟に対応。
③1989年 「ブルース・トラック」(Bluestruck)
米ブルーノートとの契約を機に、1990年代はアコースティックなジャズに回帰。
今日は1970年代についてです。この時代はジャズ界が最も熱かったし、彼も熱かったんじゃないでしょうか。沼津やニューヨークへの移住により生活環境を変えながら、ひたすらジャズを追求する姿勢は凄かったですね。
この時代で最も印象深いのは、1971年のベルリン・ジャスフェスティバルのライブ録音です。日本のジャズが世界に認められた、歴史的演奏じゃないかと思います。それと入手可能なアルバムとして、1975年の米国移住前のサヨナラコンサートのライブ録音を紹介しておきます。たくさんのメンバーがゲスト参加してますが、渡辺貞夫をはじめとしたソロが素晴らしく熱気が伝わってきます。
写真は、北海道の「やすらぎのページ」さんの”流氷”です。彼は根室が大好きなようで、亡き弟の元彦は「流氷」という名前のアルバムも出してます。この写真は根室から地平線上に蜃気楼が見えた時のものということです。私は”流氷”の写真を初めて見たのですが、すごく綺麗なので下に追加しておきました。(写真はクリックすると拡大します。)
スピーク・トゥ・ロンリネス=日野皓正ライヴ・イン・コンサート
それで目にとまったのが、ターニングポイントとなる3枚のアルバムと、1970、1980、1990という3つの年代です。
①1969年 「ハイノロジー」(Hi-Nology)
表面的な華やかさを否定するように、1970年代は主流派のジャズを追求。
②1979年 「シティ・コネクション」(City Connection)
再び全国区に登場。1980年代は当時流行したフュージョンにも柔軟に対応。
③1989年 「ブルース・トラック」(Bluestruck)
米ブルーノートとの契約を機に、1990年代はアコースティックなジャズに回帰。
今日は1970年代についてです。この時代はジャズ界が最も熱かったし、彼も熱かったんじゃないでしょうか。沼津やニューヨークへの移住により生活環境を変えながら、ひたすらジャズを追求する姿勢は凄かったですね。
この時代で最も印象深いのは、1971年のベルリン・ジャスフェスティバルのライブ録音です。日本のジャズが世界に認められた、歴史的演奏じゃないかと思います。それと入手可能なアルバムとして、1975年の米国移住前のサヨナラコンサートのライブ録音を紹介しておきます。たくさんのメンバーがゲスト参加してますが、渡辺貞夫をはじめとしたソロが素晴らしく熱気が伝わってきます。
写真は、北海道の「やすらぎのページ」さんの”流氷”です。彼は根室が大好きなようで、亡き弟の元彦は「流氷」という名前のアルバムも出してます。この写真は根室から地平線上に蜃気楼が見えた時のものということです。私は”流氷”の写真を初めて見たのですが、すごく綺麗なので下に追加しておきました。(写真はクリックすると拡大します。)
スピーク・トゥ・ロンリネス=日野皓正ライヴ・イン・コンサート