はなバルーンblog

藤子不二雄や、好きな漫画・アニメの話がメイン(ネタバレもあるので要注意)

水木しげる先生、死去

2015-12-04 22:03:16 | 水木しげる
 11月30日、水木しげる先生が亡くなられた。享年93歳。

 人は、いや生き物はいつかは死ぬものだけど、水木先生に関しては、もういつまでも死なないのではないかと冗談半分で思っていた。少なくとも、御自身がおっしゃっていたとおりに100歳までは生きるものと思っていたので、訃報には非常に驚いた。
 亡くなられてから四日が経ったが、今でも水木先生の「死」については、確たる実感がない。なんと言っても「お化けは死なない」のだから。御自身が作品でも描かれているように、軽くちょっとあの世に行っているだけ、と言う印象がある。

 とは言え、亡くなられたことで、もう「水木しげる」名義の新作が発表されることはなくなったのは事実だ。これまでも、最近の作品はどれだけ関与されていたのか怪しい部分はあるが、それでも水木先生がご健在だったからこそ、「水木しげる作品」を発表することが出来ていたのだろう。そう考えると、寂しいことではある。
 また、残念な事ではあるが、これで刊行中の「水木しげる漫画大全集」も、全巻の編成のめどが立ったのではないだろうか。現在、第2期が刊行中だが、おそらく第3期あたりで全巻完結となるのではないだろうか。通巻では『神秘家水木しげる伝』が第101巻となっているが、はたしてこの後に何巻あるのかな。おそらく、藤子・F・不二雄大全集の巻数は超えない程度だろう。


 いい機会なので、私自身の水木しげる作品とのこれまでについても書いておくか。
 私が初めて水木しげる作品に触れたのは、アニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』[第2作]の再放送だった。小学校に上がるかどうかという時期で、夕方やっていたのだと思う。個々のエピソードについて触れると、なんと言っても第43話「足跡の怪」の印象が強い。ゲストキャラ・山田の目が無くなるところから始まって、徐々に体のパーツが無くなっていき、最後に血の足跡だけが残るという描写は私の脳裏に強烈な印象を残したのだった。このエピソード、もう何十回観返したかわからないくらい何度も観ているが、何度観ても怖いのは、この幼児期の体験が影響しているせいもあるのだろう。
 とにかく、「足跡の怪」を観たせいで、私にとっては「鬼太郎=怖い」だったのだ。

 そして、それから数年後。フジテレビ系土曜18時30分からの枠で『ゲゲゲの鬼太郎』[第3作]が始まった。
 前述のように、私にとっての鬼太郎は怖いものという認識があったので、はじめはおそるおそる観たのだが、なんと今回の鬼太郎はそんなに怖くないではないか。エンディングラストのあれなどは、最初は不意打ちと言うこともあって結構怖かったりしたのだが、それでも「足跡の怪」の怖さとは質が違う。よく、第3作の鬼太郎はヒーロー然として怖さが無いと言われるが、だからこそ私にとっては安心して観られる鬼太郎でもあったのだ。
 シリーズ全108話(+「地獄編」7話)、はじめてリアルタイムで観た『鬼太郎』として、この第3作も私の心に強い印象を残したのだった。


 さて、ここまでアニメの鬼太郎についてばかり書いてきたが、原作の鬼太郎を初めて読んだのは、なぜか『鬼太郎の世界お化け旅行』だった。
 鬼太郎と言えば日本国内で日本の妖怪と戦う話の方が基本のフォーマットであり、『世界お化け旅行』はイレギュラーな存在なのだが、世界各地でおばけと戦うだけあって登場する妖怪のメンバーが豪華で、また一部で有名なあの妖怪「チンポ」も初登場するなど賑やかであったためか、今でも私は原作鬼太郎というとこのシリーズが一番好きだ。中でも最終話「ブードー」でねずみ男が溶ける様はこれまた夢に見そうな不気味さで、私の脳裏から離れてくれない。これが、貸本版『地獄の水』からの使い回しであることは、かなり後になって知った。
 原作鬼太郎に関しては、その後中央公論社から出ていた愛蔵版全5巻を入手して、マガジン版・サンデー版と、ひととおり読んだ。

 鬼太郎以外の水木作品については、講談社のKCSPと朝日ソノラマのサンワイドコミックスで出ていた短篇集をひととおり読んだくらいで、正直そんなに多くは読んではいないのだが、だからこそ現在刊行中の全集は、毎月楽しみにしている。
 せめて、この全集の刊行が終わるまでは水木先生にはお元気でいていただきたかった。そう考えると、やはり残念だ。
 しかし、全集が完結すれば、間違いなく水木しげる作品の集大成になるだろう。今から、全巻完結が楽しみだ。そうやって、作者は亡くなっても、作品は残っていくのだ。

 最後に、水木しげる先生のご冥福を心よりお祈りします。どうか、「あちら」の世界でもお元気で。